【最長片道切符の旅#26】孤高の長大ローカル線、飯田線を使ったボリューミーな大回り旅

最長片道切符の旅26日目。本日は2023年4月25日(火)。愛知県の豊橋駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅26日目(当初の予定)】
■ 豊橋駅 (6:00発)
↓ 飯田線 普通
■ 天竜峡駅 (9:08着/9:14発)
↓ 飯田線 普通
■ 飯田駅 (9:40着/9:43発)
↓ 飯田線 普通
■ 岡谷駅 (11:58着/12:26発)
↓ 中央本線 普通
■ 塩尻駅 (12:37着/13:08発)
↓ 中央本線 普通
■ 奈良井駅 (13:32着)
■ 奈良井宿(長野)観光
・ 昼食
・ 奈良井宿 (街並み)
・ 楢川歴史民俗資料館
■ 奈良井駅 (16:46発)
↓ 中央本線 普通
■ 木曽福島駅 (17:07着/17:31発)
↓ 中央本線 特急しなの20号
■ 名古屋駅 (19:07着)

出発地(豊橋)と到着地(名古屋)だけで見ると、東海道新幹線でたった2駅、所要時間は20-30分程度ですが、今回はまる1日使って遠回りをしていくというかなりボリューム満点な日となります。

【6:00発/11:58着】 孤高の長大ローカル線、飯田線で岡谷駅へ

本日は今回の最長片道切符の旅では一番の早出となります(6日目と同時刻)。眠い目をこすりながら乗車するのは6:00発、飯田線の天竜峡行きの普通列車です。飯田線は豊橋駅を起点とし、愛知県東部を縦断、静岡県北西部をかすめ、長野県南部を通り、辰野駅までを結ぶ路線ですが、その途上で、どの路線とも接することなく、独立しているうえ、路線長が195.7km、途中駅は94駅(起終点駅含む)というローカル線にしては比較的長い路線となっております。また、飯田線には伊那路号という特急列車は走っているものの、運行は1日2往復、しかも、豊橋・飯田駅(おおよそ路線の真ん中付近)の間しか走らないため、必ず普通列車を使わざるをえず、走破にはかなり時間がかかる路線です(一筆書きの旅である性質上、全線走破が前提となる)。とはいえ、今回乗車したのは313系。座席はセミクロスシートで、早朝の時間帯のため、乗客はまばらで快適なのが救いです。

豊橋駅
豊橋駅
飯田線を走る313系電車
飯田線を走る313系電車

列車は豊橋駅を出発。ところで、飯田線の豊橋駅付近は少し変わった事情があります。飯田線の豊橋・平井信号場(下地・小坂井駅間)間においては名鉄名古屋本線と線路を共有しており、名鉄名古屋本線がJR東海の線路を間借りしているのです。そのため、時間帯によってはすぐ隣の線路を走る名鉄の列車とすれ違うことがあるかもしれません。また、豊橋駅のホームも名鉄がJR東海のホームを間借りしている関係で、名鉄線の列車の入線は線路容量の関係で、1時間に6本に制限されているとのこと。また、その途中にある飯田線の船町・下地の両駅には名鉄の列車は止まらず、飯田線の普通列車でも通過することがあります。

平井信号場付近
平井信号場付近から分かれる名鉄名古屋本線の線路

名鉄名古屋本線と分かれ、単独区間へ入ると列車は豊川駅へ。ここまではTOICAのエリア内、かつ、複線のため、ある程度需要が多いことが伺えます。その先は新城駅を経由して、本長篠駅付近までは比較的住宅が多い中を通っていきます。特に新城駅付近までは通学だけでなく、通勤客の利用もそれなりに見ることができました。また、長篠城駅手前では進行方向左手に、長篠城跡の基礎の部分を一瞬だけ見ることができます。長篠城は有名な長篠の戦いの舞台となり、織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼(信玄の息子)が戦った地となります。そんな歴史を反映してか、長篠城駅の待合室は小ぶりながらも城郭風のデザインが特徴となっています。

次の本長篠駅を過ぎると、列車の運行間隔も大幅に減り、辺りは山の様相を帯びていきます。特に湯谷温泉・三河槇原駅間では進行方向右側に宇連川を見ることができます。川床が一枚岩みたいになっているのが特徴で、水深が非常に浅くなっています。

宇連川
宇連川

列車は愛知県最後の駅、東栄駅へ。地元の祭り、「花祭」で使われる鬼の面を象った個性的な駅舎が特徴な東栄駅からは意外と数名の学生さんが乗車。直後に静岡県へ入るため、県境を越えて通学していることになります。次の出馬(いずんま)駅からは静岡県に進入。途中の駅でも学生さんの乗車があり、近くの主要駅である中部天竜駅へ着くと、学生さんたちは一気に下車し、再度車内が空きました。一方で、ここから通勤で乗車する方も多少見られました。ちなみに、中部天竜駅に隣接して、かつては「佐久間レールパーク」という鉄道博物館があり、JR東海の前社長である須田寛氏が保存していた鉄道車両の展示などを行っていたようです。しかし、2009年に名古屋市内の「リニア・鉄道館」の新設とともに、展示車両は移設され、佐久間レールパークは閉館へと至りました。須田氏によると、この地は気温差が激しく、展示車両の傷みも激しかったのだそう。

東栄駅の駅舎
東栄駅の駅舎

中部天竜駅を出発すると、さらに山奥へ入っていきます。中部天竜駅付近で一瞬だけ天竜川と並行していたものの、トンネルで山を越え、今度は水窪川に並行します。この水窪川にかかる第6水窪川橋梁(城西・向市場駅間)は川を渡らないという風変わりな特徴を持つ鉄橋として知られています。一旦、左岸から右岸へ渡るものの、すぐに右岸から左岸へ引き返す形の鉄橋で、「S字鉄橋」や「渡らずの鉄橋」として、有名なスポットです。当初の計画では普通に右岸へ渡った後にトンネルを通過する予定でしたが、地盤が軟弱なため、トンネル建設中に崩壊が発生。そのため、軟弱地盤の箇所を避けるようにルートを変更したため、このような鉄橋が作られたのです。

天竜川と佐久間発電所(中部天竜・佐久間駅間)
天竜川と佐久間発電所(中部天竜・佐久間駅間)
第6水窪川橋梁①
第6水窪川橋梁。左岸から右岸へ。
第6水窪川橋梁②
第6水窪川橋梁。右岸から左岸へ。

そこからしばらく、街が見えてくると水窪(みさくぼ)駅へ到着。かつては旧水窪町という自治体の中心地でしたが、現在は浜松市天竜区の一地区となっています。そして、長いトンネルを通ると再度、天竜川沿いへ戻り、大嵐駅へ到着します。中部天竜駅で乗車した方は水窪駅や大嵐駅で下車。この辺は閑散とした区間ではあるもの、周辺の道路網は地形の関係でお世辞にも良いとはいえず、例えば、中部天竜駅のある佐久間地区と水窪地区、また、水窪地区と大嵐駅付近を行き来するには鉄道を使った方が合理的な場合があるからだと思われます。

水窪地区中心部
水窪地区中心部

そして、大嵐駅の次が国内でもトップクラスの秘境駅とされる小和田駅です。駅前までは車が乗り入れることはできず、最寄りの集落や自動車の通れる林道までは山道を歩いて徒歩1時間かかります。かつては駅前に集落があったものの、ダム造成の影響で、集落はダム湖に沈んだことで、いまのような姿に。近年までは高台の1世帯が残っていたものの、その方も離村し、現在は駅周辺に暮らす住民は一人もおらず、無人地帯となっています。

小和田駅の駅舎
小和田駅の駅舎
小和田駅ホーム
小和田駅ホーム

小和田駅を出発すると長野県へ入り、中井侍駅へ。こちらもなかなか秘境度が高い駅ですが、車の乗り入れは可能な駅。「中井侍銘茶」という緑茶の名産地で、急峻な斜面を利用して、茶畑が運営されているようです。しばらく進み、小規模な町が見えると平岡駅へ到着。しかし、ここは秘境駅が多い周辺のエリアの中ではオアシスに過ぎず、まだまだ「秘境駅銀座」が続きます。平岡より2駅目、為栗(してぐり)駅は天竜川が間近に見られる駅で、対岸からの吊り橋が唯一のアクセス手段となります。吊り橋は二輪車以外通行禁止なので、乗用車で駅前まで乗り入れることはできない駅です。為栗駅から進むこと2駅、田本駅もなかなかの雰囲気がある場所。田本駅は崖下のわずかなスペースにある駅で、駅にアクセスするには県道から山道を15分下る必要があります。そして、金野駅。車でアクセスは可能なものの、その道は狭く、集落からも離れているため、飯田線の駅の中でも利用人数が198人/年(2018年度)と、一番利用者が少ない駅となっています。

為栗駅付近
為栗駅付近
田本駅
田本駅
金野駅
金野駅

天竜峡駅手前にて天竜川を渡ると、急に街が現れ、終点の天竜峡駅へ到着します。豊橋駅からは約3時間かかりましたが、まだ飯田線の折り返し地点に過ぎません。ここからは普通列車の飯田行きに乗り換えて、続きの区間を乗車していきます。天竜峡駅を過ぎると、先ほどとは一転、飯田市の郊外を走行していきます。車窓の点では先ほどの「秘境駅銀座」ほど、大きな特徴はないものの、線形に大きな特徴があります。飯田線は全体的に線形が悪いのが特徴ですが、地図上で飯田市周辺の線形を見ると飯田市の中心地に立ち寄るべく、中心地に向かって線路が大きくU字型にカーブを描いていることがわかります。この線形を利用して考案(?)されたのが「下山ダッシュ」というもの。市内の下山村駅と伊那上郷駅は5駅離れているものの、両駅をほぼ一直線上に結ぶ道路があり、その間、線路は迂回しているため、列車を逃しても走れば、一度逃した列車に追いつけるというものです(列車のダイヤや個人の体力によってはもちろん失敗することもあります)。

天竜峡駅
天竜峡駅
天竜峡駅と313系電車
天竜峡駅と乗車してきた313系電車
213系電車
213系電車

飯田市の市街地に入ると、終点の飯田駅へ到着。途中駅では一番規模の大きい駅です。ここで、再度乗り換え。中央本線直通の上諏訪行きへ乗車して岡谷駅まで向かいます。天竜峡駅もそうでしたが、接続時間はほんの数分で、すぐに出発します。ところで、飯田市は長野県南部を代表する都市で、人口は約9.5万人(2023.11現在)。飯田線という鉄道路線は存在しながらも、途中に接続路線がなく、行けるのは辰野か豊橋のみ。特急列車は先述の通り、ここで途切れるうえ、本数も少ないため、都市間移動は圧倒的に高速バスが優勢となっています。ただし、市内の元善光寺駅付近はリニア中央新幹線の長野県駅が建設される予定のため、周辺の交通事情もそのうち変化があるのかもしれません。

飯田駅
飯田駅

さて、車窓については飯田市街地を出ると、飯田線の終点駅である辰野駅まで、左側に木曽山脈(中央アルプス)、右側に赤石山脈(南アルプス)を望むことができます。

急カーブを進む
急カーブを進む
木曽山脈の山々
木曽山脈の山々を望む

飯田駅からは駒ヶ根駅、伊那市駅など、長野県南部の各都市を経由して、約2時間で辰野駅へ到着。非常に長い路線でしたが、車窓の変化が多く、飽きの来ない路線でした。ここからももう少しだけ同一列車への乗車が続き、列車はそのままJR東日本の中央本線の区間に入ります。辰野駅がある中央本線の線区は辰野支線(別名「大八廻り」)となります。中央本線の岡谷・塩尻駅間にはみどり湖駅を経由するトンネルを使った直線的なルートと、山を迂回する辰野支線が存在します。この列車は後者の辰野支線の一部を走行しています。辰野支線をしばらく走っていると、みどり湖駅方面からの高架の線路と合流して、岡谷駅へ到着します。

岡谷駅

【12:30発/13:32着】 中央本線を経由、JR東日本の区間を走破し、奈良井駅へ

この時点でも、移動時間が約6時間となるなかなかの大移動となりましたが、容赦なく旅程は続きます。続いては中央本線、みどり湖駅経由の松本行きへ乗り換え、塩尻駅へ行きます。岡谷駅を出発すると、先ほど通った辰野支線と分かれていきます。直線的なトンネルを通り、スピードがのることからも、乗車中の211系のモーター音がよく響きます。

211系電車
211系電車

塩尻駅手前で辰野支線が合流、そしてまもなく、名古屋方面への短絡線と名古屋方面から塩尻駅方面へ向かう三分岐を越えるとまもなく塩尻駅へ到着です。ところで、これがJR東日本の区間における最後の乗車となります。短区間での乗車となったため、あっけない最後となりましたが、最長片道切符の旅の中でも、一番移動距離が長い管轄会社となるため、達成感もひとしおです。JR東日本に感謝しつつ、塩尻駅で列車を下車。この先も同じ中央本線に乗車するものの、塩尻駅より先はJR東海の管轄となり、別名「中央西線」と呼ばれます。ここで中央西線を走る普通列車の中津川行きに乗車します。

塩尻駅
塩尻駅
中央西線を走る313系電車
中央西線を走る313系電車

塩尻駅では少し時間があるので、列車の待ち時間を利用してある場所へ。その場所とはぶどう園。といっても、途中下車したわけではなく、ぶどう園があるのはなんと塩尻駅3・4番線のホーム上。塩尻市はぶどうの栽培、ならびにワインの製造が盛んな場所であることから、そのPRの一環として1988年に作られました。ナイヤガラとメルローの品種が栽培されるらしく、秋に収穫が行われるそうです。

塩尻駅のぶどう園
塩尻駅のぶどう園
ぶどう園内にある駅名標
ぶどう園内にある駅名標

そうこうしているうちに列車の出発時刻となり、塩尻駅を出発。塩尻を出発してしばらくするとまもなく、列車は再度山の中へ入っていきます。時期は4月下旬。気温が高い日も珍しくなく、新緑の季節を迎えている折、色とりどりの木々が車窓にグラデーションを生み出していました。

塩尻駅から乗車すること、約20分で奈良井駅へ到着。観光スポットや地理に詳しい方であれば、「奈良井」と聞くとピンと来る方も多いと思いますが、知名度はありながらも、奈良井駅の規模はそこまで大きくなく、ワンマン列車であれば、先頭車両の一番前の扉から出入りする必要があるので、降り遅れのないように注意する必要があります。

奈良井駅ホーム
奈良井駅ホーム

【13:32-15:35】 茶色と白が作り出す造形美、奈良井宿を観光する

ここからは奈良井を観光していきます。奈良井は中山道の34番目の宿場として定められた「奈良井宿」で有名な場所です。先ほど奈良井駅はそこまで大きくないと書きましたが、その一方、観光の拠点駅になっている側面はあり、簡易委託駅として観光案内所が切符の販売を行っており、サービスの一環として荷物預かり(有料)も行われています。また、奈良井駅は奈良井宿の宿場町の入口に接しているため、バスなどの二次交通を使わずとも、すぐに観光が始められる点で便利です。

奈良井駅の駅舎内
奈良井駅の駅舎内
奈良井駅
奈良井駅

それでは奈良井宿を歩いていきます。奈良井宿に宿場町と定められたのはこれよりも奥にある鳥居峠の存在によるもの。鳥居峠は交通の難所とされたため、峠越えにそなえて宿泊をする旅人が多かったといわれています。宿場町の街並みは本当に江戸時代にタイムスリップしたような光景。日本全国にも歴史的街並みを観光資源にしている場所はあまたありますが、大抵の場合はその中にも数軒程度、普通の家が混ざっていることはよくあること。しかし、奈良井宿は徹底的に茶と白、そして、類似した建築様式の木造家屋で景観が揃えられており、その統一感はいままで訪れた歴史的街並みの中でもトップクラスかと思います。

奈良井宿のまち並み①
奈良井宿のまち並み①

美しい風景に感動していましたが、ここで昼食がまだであることを思い出し(すでに14時前)、宿場町の中にある「越後屋」さんで食事としました。ここでは看板メニューである「ざるそば」を頂くことに。お店で手打ちをされているもので美味しかったです。何よりも容器が特徴的で2段重ねのものを用いています。越後屋は漆器店も兼ねており、この食事処でも木曽塗の器を使っているようです。ちなみに、こちらでは長野県名物の五平餅も扱っていましたが、空腹ではなかったので、今回は見送ることにしました(そもそも、餅自体があまり好きではない)。

越後屋の外観
越後屋の外観
越後屋のざるそば
越後屋のざるそば

お店を出ると、天気は雨に。駅に降り立った時から天候が怪しかったのですが、ついに降ってしまいました。でもその一方、こういったきれいな街並みは雨が降ると好天のとき以上に風情が出るような気がするのは私だけでしょうか。引き続き、街並みの中を歩いているといかにも時代劇で出てきそうな高札場を発見。高札場とは江戸時代の幕府によって定められた法律を周知するための掲示板のようなもの。ますます雰囲気が出ます。また、その隣には「水場」もあります。奈良井宿には6箇所の水場が設けられており、住民の生活用水や防火用水、旅人の飲み水などに役立てられていました。また、水は山からの沢水や湧き水から引かれており、それぞれの水場を管理するための水場組合が形成されており、現在もなお、維持・管理がなされています。これだけ水場が残されているのは貴重なのだとか。

高札場
高札場
水場
水場

宿場町の奥の方へたどり着き、計画時点から目をつけていた「楢川歴史民俗資料館」へ到着。ここでは木曽谷に暮らした人々の生活で使われた生活道具などが展示されており、江戸時代から昭和時代にかけての生活様式の変遷を見られるらしいです。しかしながら、この日はまさかの休館日。後々調べたところ、開館は土日祝日のみだったようです。訪問日は平日だったので空いておらず当然。リサーチ不足でした。

楢川歴史民俗資料館
楢川歴史民俗資料館

気を取り直して、奈良井宿の街並みに戻り、代わりに「中村邸」へ訪問することに。中村邸は漆櫛の商家を営んでいた中村利兵衛の家で、19世紀半ばに竣工、奈良井宿の典型的な町屋の内装が見られるスポットです。木造二階建ての家屋で、蔀戸などがはめられた開口部の大きい1階の玄関口(ただし、特別な時を除いて蔀戸は常に閉じられている)、せり出した二階部分、長めの庇と庇の縦方向に付けられた木材、「猿頭」などが奈良井宿の町屋の外観の特徴とされています。

中村邸
中村邸

内部は奥行きがあり、最初は「ミセノマ」と呼ばれる店舗の部分、そして台所の「カッテ」、その奥には生活を行う「ナカノマ」と「ザシキ」があり、正面から奥にかけて廊下の役割を兼ねる土間が続いています。カッテ部分は吹き抜けとなっており、吹き抜けの前後にもそれぞれ部屋が設けられているのが特徴です。中村邸のスタッフさんによると、中村邸はいまの奈良井宿を作り出すきっかけとなった建物であるとのこと。当初はこの中村邸は神奈川県川崎市に移築される予定があったものの、この動きをきっかけに地元の方が奈良井宿の希少性に築き、現在のような街並みが保存される動きになったそうです。その点ではこの建物がなければ、ここまで保存度の高い宿場町の街並みはなかった可能性があり、奈良井を有名たらしめた建物だといえそうです。

中村邸の1階部分
中村邸の1階部分。画像奥側が道路側
カッテ
カッテ
カッテから2階方向
カッテから2階を見上げる
中村邸で製造・販売された塗櫛
中村邸で製造・販売された塗櫛
奈良井宿のまち並み②
奈良井宿のまち並み②

【15:35発/18:23着】 中央本線で木曽路を通り、大都会・名古屋へ

それでは一通り奈良井宿を見学したところで、奈良井駅へ戻ってきました。当初は奈良井駅の出発を16:46としていましたが、先述の歴史民俗資料館が休館だったため、予定を早めることにしたのです。奈良井駅からは普通列車の中津川行きで木曽福島駅まで乗車。奈良井駅の先にある鳥居峠をトンネルで越えると、中央西線の車窓の象徴となる木曽川が並行し始め、木曽路らしい雰囲気が出てきます。

奈良井駅に入線する313系電車
奈良井駅に入線する313系電車
木曽川(宮ノ越駅付近)
木曽川(宮ノ越駅付近)

奈良井駅から約20分で木曽福島駅へ到着。ここからは特急列車に乗り換えて先を急ぐことにします。そもそも、普通列車で中央本線を走破しようとすると、マイルールで設定した移動可能時間帯に名古屋駅まで到達できないため、この状況で特急列車を使うのはマストになります。木曽福島駅からは16:31発の特急しなの18号に乗車して終点の名古屋まで行きます。自由席を取りましたが、木曽川が見られる進行方向右側の窓側の座席がギリギリ取れました(木曽福島出発時点で左右ともに窓側はほぼほぼ埋まっていた)。

木曽福島駅
木曽福島駅
特急しなの号
特急しなの号

ここで裏側の話になるのですが、窓側の座席を取っておきながらほとんど車窓は眺めておらず、この時間を使ってPC作業をしていたのが正直なところ。というのも、こうやってブログに旅の状況を書き出す都合上、できるだけ記憶が新しいうちに、この旅で何をしたか、何を思ったかなど、ブログの原文となる記録を作っていたのですが、その作業が遅れていたという状況。そして、その状況下で起こっていたのが、ブログや動画の素材を取るためのカメラとして使っていたスマホのバッテリーが瀕死状態になっていたこと。一応そういう状態に備えて予備のカメラを持ってきており、そのカメラはスマホと比べて、長時間の録画が可能なうえ、据え置きもできるため、それを逆手に取り、とりあえず、そのカメラを窓枠において、車窓をずっと録画し、その傍らで遅れていたPC作業をしていたというのが正直なところなのです。そんな状況ではありますが、以下は終始バッチリ車窓をちゃんと見ていたという体で書き進めてしまいます。

さて、車窓としては木曽福島駅出発後も、木曽川が作り出したわずかな谷の隙間を通っていく車窓となります。特に見どころなのが上松・倉本駅間にある「寝覚の床」という景勝地。寝覚の床は木曽川の渓流にある花崗岩が川の流れによる浸食により、岩が平べったく形成されている景色が見られます。これは日本五大名峡のひとつとされており、浦島太郎が玉手箱を開けた場所とも言われているのだとか。「寝覚の床」という不思議な名称は浦島太郎が玉手箱を開けた際に、いままでの竜宮城での出来事が夢のことのように思われ、目が覚めた感じがしたという逸話がもとになっているようです(信じるか信じないかはあなた次第)。

寝覚の床
寝覚の床 (画像右下付近)

列車は南木曽駅など、木曽路を象徴する場所を経由、岐阜県へ入り、落合川駅(中津川駅の一駅手前)まで差し掛かると、木曽川から離れ、次の中津川駅からは徐々に列車の本数が増え始め、名古屋圏に入りつつあることを実感していきます。次の美乃坂本駅付近はリニア中央新幹線の岐阜県駅の建設予定地となっており、実際にクレーンで何かしらの作業が行われていることが見て取れます。多治見駅まで来るとさらに車窓に都会感が出てきて、駅前には中層のマンションなどの姿も見られるようになります。

南木曽駅
南木曽駅
落合川ダム
木曽川にある落合川ダム(落合川駅付近)
美乃坂本駅付近のリニア中央新幹線建設現場
美乃坂本駅付近のリニア中央新幹線建設現場
多治見駅
多治見駅

しかし、多治見駅を出てしばらくトンネルを抜けると車窓は一転、山の様相に。この付近は岐阜県・愛知県の県境区間にあたり、県境付近にある古虎渓・定光寺の2駅は都会に近いながらも、秘境感のある場所として巷では有名になっています。そんな車窓も高蔵寺駅近くまで来ると、再び名古屋近郊らしい車窓へと戻り、名古屋の中心部へ至る流れとなります。途中の金山駅手前では東海道本線と名鉄名古屋本線が合流し、都会の様相となっていきます。

古虎渓駅付近
古虎渓駅付近

体感としては特急列車らしく、ここまでかなりスピーディーに来た実感があるものの、名古屋駅手前で列車がストップ。この時、線路内人立入の影響で、名古屋地区の中央本線に遅れが生じており、名古屋駅までの線路容量が逼迫していた模様。その結果、10分前後も足止めを喰らう流れとなりました。しかしさすがは大都会の名古屋、その間も行き交う列車は多く、まるで定点観測かのように観察できてこれはこれで楽しかったです。

名古屋駅付近
名古屋駅付近

結局、16分遅れで名古屋駅へ到着。これにて本日の大移動は終了。ついにこの旅も名古屋まで来たかと実感。経過日数の割には進捗はやや遅れ気味ですが、それでもここまで何とか旅を続けられていることには達成感を覚えずにはいられませんでした。

名古屋駅桜通口

【20:15-20:40】 名古屋名物、台湾ラーメンを頂く

名古屋駅に到着後、駅近のホテルにチェックインし夕食へ。

名古屋名物というと色々ありますが、今回は「台湾ラーメン」を頂くことに。最初は有名な「味仙」さんにしようと、駅なかの店舗に足を運んだものの、思った以上の混雑だったため(十数名が並んでいた)、桜通口から徒歩5分のところにある「力丸」さんに立ち寄ることに。力丸の主力商品は札幌味噌ラーメンですが、台湾ラーメンも扱っているようでしたので、ここに決めました。

力丸の外観
力丸の外観

予定通り、台湾ラーメンを注文。通常、台湾ラーメンの具はひき肉とニラが多いですが、こちらではひき肉と長ネギ、玉ねぎが入っています。何回か台湾ラーメンは食べたことがありますが、自分が知っているものよりも、味に深みがあって美味しいです。そして、辛さとにんにくのパンチが効いていて食べ応えのある一品でした。

台湾ラーメン
台湾ラーメン

それでは非常にボリューミーな1日でしたが、何とか無事に終えることができました。本日もお疲れ様でした。
(下記に参考として、変更後の旅程を掲載しておきます)

名古屋駅太閤口
名古屋駅太閤口

【参考】 最長片道切符の旅26日目における実際の旅程

■ 豊橋駅 (6:00発)
↓ 飯田線 普通
■ 天竜峡駅 (9:08着/9:14発)
↓ 飯田線 普通
■ 飯田駅 (9:40着/9:43発)
↓ 飯田線 普通
■ 岡谷駅 (11:58着/12:30発) ※出発4分遅れ
↓ 中央本線 普通
■ 塩尻駅 (12:37着/13:08発) ※到着4分遅れ
↓ 中央本線 普通
■ 奈良井駅 (13:32着)
■ 奈良井宿(長野)観光
・ 昼食
・ 奈良井宿 (街並み)
・ 楢川歴史民俗資料館
■ 奈良井駅 (15:35発)
↓ 中央本線 普通
■ 木曽福島駅 (15:57着/16:31発)
↓ 中央本線 特急しなの20号
■ 名古屋駅 (18:23着) ※16分遅れ

【YouTube】