【最長片道切符の旅#31】滋賀・長浜で鉄道史を感じ、高山本線経由で北陸へ

最長片道切符の旅31日目。本日は2023年4月30日(日)。滋賀県の長浜駅から旅を開始していきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅31日目】
■ 長浜観光(滋賀県)
 ・長浜城(長浜城歴史博物館)
 ・慶雲館
 ・長浜鉄道スクエア
 ・黒壁スクエア
■ 長浜駅 (11:37発)
↓ 北陸本線・東海道本線 特急しらさぎ6号
■ 岐阜駅 (12:26着)
 ・昼食
■ 岐阜駅 (13:08発)
↓ 高山本線 特急ひだ11号
■ 下呂駅 (14:28着)
■ 下呂観光 (岐阜県)
 ・白鷺乃湯
 ・下呂発温泉博物館
■ 下呂駅 (16:29発)
↓ 高山本線 特急ひだ13号
■ 富山駅 (18:54着)

上記の通り、本日の目的地は富山駅。長浜駅から富山駅までとなると、通常は特急しらさぎ号で金沢駅を経由し、北陸新幹線に乗車していくのが普通ですが、今回は高山本線経由となり、北陸本線をほとんど使わない北陸方面への旅ということになります。

【8:48-11:37】交通の要衝となった長浜の地を巡る

前夜から滞在していた長浜を出発する前に、滋賀県内の観光として、長浜周辺を散策していきます(この旅には都道府県につき最低1箇所、観光をするルールがあります)。

長浜駅
長浜駅

長浜駅を出発してまず向かったのは駅から徒歩7分の場所にある「長浜城」長浜城はあの豊臣秀吉が建てた城郭です(当時は羽柴秀吉でしたが、便宜上、豊臣姓とします)。豊臣秀吉は天下統一を果たしたことで有名な戦国武将ですが、長浜城は天下統一をする前にその布石となる戦果をあげたきっかけの場所でもあります。

長浜城(長浜城歴史博物館)
長浜城(長浜城歴史博物館)

まず、この長浜城が築かれたのは1573年のこと。長浜に城が建つ前は現・長浜市内にはかつて小谷城があり、周辺を浅井氏が治めていましたが、当時、織田信長の部下であった秀吉が攻め入ったことで没落。これにより、秀吉は浅井氏の領地のほとんどを引継ぐことに。その際、交通の要衝と考えた琵琶湖に近い長浜に城郭を建て、城主となったのです。長浜城の城主を務めている間も、織田信長からの指示により中国攻めを行うなど、様々な実績を残していったため、秀吉にとって長浜の地は下積み時代を過ごした地と言えるのかもしれません。

その後は山内氏や内藤氏が長浜城の城主を務めたものの、豊臣氏が滅亡した1615年に廃城。現在ある長浜城の建物は1983年に再度建てられたものとなります。ただ、これは防衛拠点として使われていた当時のものが再現されたものではなく、あくまでも新規で建てられたもの。というのも、資料不足で当時どのような建築だったかがわからなかったからなのです。現在、城の内部は「長浜城歴史博物館」となっており、秀吉と長浜の関係性についてはもちろん、その前後の歴史についても学ぶことができます。また、最上階は展望台となっており、目の前に広がる美しい琵琶湖の景色を見ることができます。この時あまり天気が良くなかったのが少し残念でしたが…。

長浜城の展望台からの琵琶湖の眺め
長浜城の展望台からの琵琶湖の眺め

長浜城歴史博物館を一通り観覧した後は5分ほど歩き、「慶雲館」へ(長浜駅から徒歩3分)。こちらはかつての長浜の迎賓館にあたるスポットです。慶雲館の竣工は1886年のこと。創立のきっかけは明治天皇皇后両陛下が京都行幸啓の帰りに長浜に立ち寄るという情報が入ったこと。

慶雲館入口
慶雲館入口
慶雲館の家屋と庭園
慶雲館の家屋と庭園
慶雲館2階
慶雲館2階

背景として当時、長浜は交通の要衝であり、大垣(岐阜県)方面、または敦賀(福井県)方面に延びる鉄道路線と、大津方面とを結ぶ琵琶湖の連絡船が長浜を発着していました。つまり、連絡船を使って長浜に上陸した後に、鉄道に乗り換えるという旅程が組まれていたということです。しかしながら、当時、船と鉄道の接続時間を過ごす適当な施設が長浜になかったため、太湖汽船の社長である浅見又蔵氏が急遽、私財を投じて手掛けて造った施設なのです。この目的に照らし合わせると、超絶雑に言えば、超高級の待合室といったところでしょうか。

建物の2階には「玉座の間」があり、実際に明治天皇皇后両陛下が1時間弱の待ち時間を過ごされた部屋の様子が再現されています。当時は琵琶湖が目の前に迫っており、慶雲館から琵琶湖を直接見ることができたのだとか。またその後、明治天皇行幸啓25周年を記念して庭園が作られ、見どころとなっています。庭園は迎賓館らしく、広く立派なつくりになっており、庭園に植えられている木々の隙間からみる日本家屋の本館が一層映えてみえます。

玉座の間
玉座の間

慶雲館を後にすると、その向かいには立派な英国風の古い建物が。これは旧長浜駅舎。なるほど、慶雲館は駅近の迎賓館だったということがよくわかります。ちなみに、旧長浜駅舎は日本で現存する最古の駅舎といわれており、1882年に竣工しました。また、この旧駅舎のほか、かつての駅の敷地を使って、現在では「長浜鉄道スクエア」という鉄道博物館が運営されています。ここでは主に長浜近辺の鉄道史にまつわる解説や史料展示が行われています。

旧長浜駅舎(長浜鉄道スクエア)
旧長浜駅舎(長浜鉄道スクエア)

旧駅舎内は現代の大きめの駅と同じように、駅長室や待合室が置かれていますが、大きな違いは等級別に待合室が設けられていること。旧長浜駅においては一般人が使う3等待合室と、上流階級が使う1・2等待合室の2箇所が設けられており、後者の方ではビロード張りのソファなど、上質な空間が再現されています。また、先述の通り、かつては大津方面への琵琶湖の連絡船が出航していたため、連絡船の時刻表も掲示されているのが特徴です。また、駅長室にも立入ることができ、こちらは割とシンプルながらも、どこか威厳を感じさせる空間がそこにはありました。ちなみに、初代の長浜駅長は高橋善一(よしかず)氏。高橋氏は長浜駅長を勤め上げた後は初代の東京駅長となっており、ここ、長浜でのキャリアが東京駅長に活かされるほど、長浜駅が交通の要衝としての権威がある場所だったことが垣間見えます。

1・2等待合室
1・2等待合室

旧長浜駅舎の奥にも、別棟があり、そこでは長浜周辺の交通体系の歴史に関する展示があります。現代との大きな違いはやはり、先ほどの通り、大津までの連絡船があったこと。この連絡船は現代でいう、東海道本線の琵琶湖線の区間(米原~京都)のような役割を果たしており、1889年7月に現在の琵琶湖線の区間の大半や長浜・米原駅間が開業すると同時に、連絡船は廃止となっています。逆にいうと、現在の交通体系が現れ始めたのがこの時期(1889年)ということになります。また、もう一点、現在の交通体系と大きく異なる点は大垣(岐阜県)方面までのルート。現在、長浜から大垣方面へ行く際は一度、米原駅へ出ることとなりますが、当時は米原を経由せず、米原市内の「深谷」(東海道本線近江長岡駅から約3km北東方向)というところを経由していました。こちらも現在の東海道本線のルートができた1889年10月に休止となり、同年12月に廃止となっています。

明治中期の長浜駅付近
明治中期の長浜駅付近(動画より抜粋)
琵琶湖連絡船廃止前後の交通体系の変化
琵琶湖連絡船廃止前後の交通体系の変化

そして、長浜の鉄道を語るうえで重要なトピックスがもう一つあります。それが北陸本線の交流電化のこと。そもそも、電車は電気を必要としますが、その電源方式は大きく、「直流」と「交流」の2種類に分けられます。長浜を通過する北陸本線の田村(長浜市)・敦賀駅間は長距離営業用として交流電化をされた国内で初めての区間なのです。もともとこの区間は非電化でしたが、旅客と貨物が多い中、単線・急勾配・トンネルといったことが障害となり、輸送量が逼迫する原因となっていました。その解決を目指し、複線化やルートの変更が行われると同時に上記の区間が電化されました。当時、電車の運行にあたっては交流よりも直流の方が歴史が深かったものの、直流とは異なり変電所を必要としない方式である交流を採用することで、経費の削減を図ったのです(現在は直流でもコストダウンが可能となっている)。

しかし、それでも一つ問題が残っていました。それが残された田村・米原駅間(2駅間)。他の区間が交流電化がされた後も、この区間はしばらく非電化区間として残っていました。理由は米原駅で接続する東海道本線が既に直流電化をしていたため。恐らく認識が正しければ、ほとんどの車両は直流専用・交流専用などと、適用できる電源方式が限られていたことや、何の対策もなしに直流と交流区間をつなげるとショートの原因になるはずです(多分)。そのため、残された非電化区間の2駅間においてはわざわざその区間を輸送するためだけの蒸気機関車をつなげて運行していました。これが大きな手間となっていましたが、後に田村・米原駅間を直流電化。直流と交流が切り替わる区間においては通電しない区間(デッドセクション)を設け、車両についても交直両用の機関車・電車を使うことで、この電化が実現するに至りました。その後は現在は京阪神方面からの列車が敦賀まで乗り入れる関係でデッドセクションは福井県内の敦賀・南今庄駅間に移動していますが、このような鉄道技術の発達の布石になった舞台ということなのです。これに関連して、博物館内には北陸本線内で活躍したD51形蒸気機関車やED70形交流電気型機関車などが保存されています。

D51形蒸気機関車
D51形蒸気機関車
ED70形交流電気型機関車
ED70形交流電気型機関車

これだけ見ると、かなりマニアックな鉄道博物館のように思えますが、これ以外にもHOゲージなどの模型やジオラマや子供向けのプラレールの遊び場があるなど、家族向けでも楽しめる場所となっています。また、説明もわかりやすいので、(多分)非鉄の方でも理解が進むかと思います。

長浜鉄道スクエアを後にして、最後に向かったのが「黒壁スクエア」(長浜駅から徒歩5分)です。長浜には北国(ほっこく)街道が通っており、その街道沿いのエリアにて伝統的な黒壁の建築を店舗化して商店街を形成しているスポットです。地域から「黒壁」と呼ばれ親しまれていた「旧百三十銀行」の建物が取り壊される話が浮上した際、当時衰退していた商店街とともに再生を図り、見事に復活を果たしたとのこと。その際に新しく産業として生み出されたガラス細工のお店を中心に、カフェや商店など、レトロかつおしゃれなお店が多く軒を連ねており、なかなか賑わいを見せていました。

黒壁スクエア①
黒壁スクエア①
黒壁スクエア②
黒壁スクエア②
黒壁スクエア③
黒壁スクエア③

【11:37発/12:26着】 特急しらさぎで岐阜へ

それでは長浜観光を終え、長浜駅へ帰還。これから移動を始めていきます。

最初に乗車するのは特急しらさぎ6号 名古屋行きで、ひとまず岐阜駅まで行きます。見渡す限り、自分以外にこの便を利用する方がいない様子(ホーム上にいるのが自分ひとり)。列車が到着しても降車する方もいなかった気がします。今回は自由席を利用しましたが、GW中にしては比較的席に空きがありました(2023年のGW前半は2連休だからかもしれません)。

特急しらさぎ号
特急しらさぎ号

長浜駅を出発し、先ほど寄った長浜鉄道スクエアや慶雲館を横目に、米原方面へ進んでいきます。とはいっても、この時点で既に米原駅は目と鼻の先で、次の田村駅通過時には米原駅の到着前放送が流れ始めます。

しばらく進むと、名古屋・岐阜方面からの東海道本線の線路と合流し、米原駅の広い構内をゆっくり進み、米原駅へ到着します。ここでしらさぎ号の醍醐味を味わうことになります。それが「座席回転オリンピック」。しらさぎ号は米原駅にて列車の進行方向が変わるため、乗客が次の進行方向へ向けて一斉に座席の回転作業をするのです。まあ、乗客の意思というよりかは事前の乗務員さんからの協力依頼のアナウンスがあるのでやっているだけなのでしょうが、やはりその時だけはなんというか、独特な雰囲気が流れます。ちなみに、米原駅においてしらさぎ号と名古屋方面の新幹線が接続をするダイヤとなっており、多くの乗客が米原駅で降車するので、大抵の場合、残された乗客が複数の座席を回転させることになります(まあ現実的なところ、最低限でいいとは思うのですが)。

列車は米原駅を出発すると、東海道本線へ入ると同時に、しばらくぶりのJR東海の区間へ入ります。そこからしばらく、柏原・関ケ原駅間の関ヶ原トンネルで岐阜県へ進入。戦いで有名な関ヶ原駅を通過すると、線路が二手に分かれていきます。どちらも東海道本線ではありますが、本線から「新垂井線」と呼ばれる支線が分岐します。この先の大垣駅手前までの本線における急勾配を避けるために新垂井線が建設され、下りの特急列車が新垂井線を経由します。今回は本線を通過し、南荒尾信号場で再度、新垂井線が合流します。同時に、「美濃赤坂支線」と呼ばれる東海道本線の支線も同じ場所で合流。終点の美濃赤坂駅はここから1.9km先と、目と鼻の先にあるというあまり目立たない支線となります。一度乗ってみたいがその機会は来るのだろうかと思っていると、列車は大垣駅へ停車します。大垣駅はJRのほか、養老鉄道や樽見鉄道が乗り入れる交通の要所。そういえばどちらも一区間たりとも乗車経験がないなと(樽見鉄道は存在すら知らなかった…)。大垣駅を出発すると、木曽三川のうち、揖斐川と長良川を渡り、岐阜駅へ到着します。

長良川(穂積・西岐阜駅間)
長良川(穂積・西岐阜駅間)

それでは岐阜駅へ到着。ここで乗換をしますが、乗換時間まで約40分。時刻は昼時ではあるものの、「帯に短し襷に長し」的な時間の空き方。昼食にしたいと思うところですが、今回の選択肢としては2つ ― 駅なかでさっと済ますか、駅弁を買って次の列車の車内で食べるか。次の列車では場所柄・時期柄、混雑を見込んでおり、指定券を取っていたのですが、駅の自動券売機で予約状況を見てみると(特急指定券を買う流れで当該列車のシートマップを見る方法)、隣席に別の乗客が来ることが発覚(隣に別の乗客がいると食事しにくいのは多分自分だけではないはず)。ということで、この場で食べることに。ありがたいことに、駅ビルに吉野家があったので、早い・うまい・安いの3拍子揃った吉野家で牛丼をかっ喰らうことに。連日旅行が続いている状況で、ご当地メニューを食べる機会が多いですが、その中で普遍的な食べ物を食べるという機会がなかなか貴重でありがたく感じてしまう自分がいました。なんというか、「非日常感の中で味わう『日常感』という『非日常感』」という感じでしょうか。それはともかく、さすが吉野家、提供が早く、時間に余裕を持って乗換を行うことができました。

岐阜駅
岐阜駅
吉牛
“吉牛”

【13:08発/14:28着】 川が織り成す風景を眺めながら特急ひだ号で下呂駅へ

それでは次からは高山本線の旅へ入っていきます。次に乗車する列車は特急ひだ11号 富山行き。この列車でひとまず下呂駅まで向かいます。やってきたのは2022年7月にデビューした新型のHC85系気動車。この車両に乗車するのは初めて。ピカピカの車体がオーラを放ちます。

特急ひだ号のHC85系気動車
特急ひだ号のHC85系気動車(下呂駅にて)
HC85系気動車の車内の様子
HC85系気動車の車内の様子(富山駅にて)

また、特急ひだ号は名古屋駅を始発としており、岐阜駅へ到着すると進行方向を変えて出発していきます。ちなみに、先ほどのしらさぎ号と違い、ひだ号では座席の回転はありません(名古屋・岐阜駅間は体の向きに対して逆向きに進むことになる)。また、懸念していた混雑状況については入線してくる列車の車内を一目見る限り、指定席よりもむしろ自由席の方が空いている様子で、これは少し予想外な結果でした。

列車は岐阜駅を出発。東海道本線と分かれ、岐阜近郊の市街地を飛ばしていきます。鵜沼駅手前に差し掛かると、遠目に見えるのが犬山城。現存12天守の一つで、防衛拠点として現役で使われていた当時の様子がほぼそのままで残る珍しい城郭なのです。そして、鵜沼駅を通過してしばらく、周囲の景色が自然豊かになってくる頃に見えてくるのが木曽川。川幅の広い川と周りの緑の様子が雄大な風景を見せており、これがヨーロッパのライン川の風景に似ていることから、「日本ライン」とも呼ばれるようです。再度市街地が広がると美濃太田駅へ到着。ここも交通の要衝で、長良川鉄道と太多線が分岐する駅です。

犬山城(鵜沼駅付近)
犬山城(鵜沼駅付近)
木曽川
木曽川(坂祝駅付近と思われる)

列車は美濃太田駅を出発して次の停車駅、下呂駅へ。ふと思ったのですが、「隣に乗客が来ていないではないか」と。先ほどの通り、岐阜駅では隣の席に別の乗客が来る予定であることを掴んでいたのですが、一度も現れていないではと思ったのです。自分がシートマップを見間違えていたのか、偶然キャンセルがでたのか、はたまた、事前にテレパシーか何かで「やばい奴」認定されたのか知る由もありませんが、とりあえずラッキーだったということで。

列車は美濃太田駅を出発すると、線路に並行する川は飛騨川へと変わります。ところで、高山本線の沿線は見どころが多く、その度に自動放送で観光案内が日英両方の言語で流れるのですが、この辺り(美濃太田駅出発後)で地元中学校の英語クラブの生徒による沿線案内(英語含む)が流れます。JR東海があまりこういう取り組みを行うイメージがなかったので、なかなか新鮮な体験でした。ちなみに、HC85系気動車に車両が変わった影響か、通常の自動放送の声優さんも変わっており、これも新鮮です。

さて、列車は山間の険しい区間へ入り、下麻生駅を通過してしばらく進むと、飛騨川の渓流である飛水峡が見えてきます。険しい岩場の中を水が力強く流れる風景は見ものです(雨上がりだからということもあるのですが)。
この時に岩場をよく見るとところどころ穴が空いていることが確認できます。これは渓谷の激流が岩の柔らかい部分を削って穴を空けたもので、「甌穴(おうけつ)」と呼ばれます。そして、山間を抜け出し、飛騨川の対岸に下呂市の市街地や温泉街が見えると、列車は次の目的地、下呂駅へ到着します。

飛水峡
飛水峡(下麻生・上麻生駅間)

【14:28-16:29】 日本三名泉の一つ、下呂温泉を散策する

それでは下呂駅にて一旦途中下車。この旅全体を通して、岐阜県内の観光がまだだったので、下呂周辺を観光していきます。下呂といえば、やはり下呂温泉。下呂温泉は草津温泉(群馬県)・有馬温泉(兵庫県)と並んで、「日本三名泉」と呼ばれるほどの有名な温泉地です。というわけで、駅を出発して温泉街の方へ向かうことに。比較的広範囲に温泉街が広がっていますが、メインとなる温泉街は飛騨川を橋で渡った先にあります。

下呂駅
下呂駅
飛騨川を渡って温泉街へ
飛騨川を渡って温泉街へ
飛騨川
下呂温泉の温泉街
下呂温泉の温泉街

やはり、温泉となると入ってなんぼということで、温泉街にある大衆浴場「白鷺の湯」(下呂駅から徒歩10分)で入浴をしていきます。外観はローマ風とおしゃれな造り。券売機で入湯料を支払い、2階の浴場へと進みます。脱衣所で服を脱いで浴室へ入ると、階段を下った1Fに大浴場があるという少し変わった設計です。

白鷺乃湯
白鷺乃湯

お湯は無色無臭の単純泉。湯温はやや熱め。刺激のない体に優しいお湯です。このときはGW前半ということもあり、多くの観光客が訪れていました。

温泉を出て次に向かったのが「下呂発温泉博物館」。全国で珍しい温泉をテーマにした博物館で、日本人にとっては身近な存在である温泉を文化的、そして科学的に深掘りしている博物館です。

下呂発温泉博物館
下呂発温泉博物館

下呂温泉に関する解説はもちろん充実しており、下呂温泉の最古の入湯記録は室町時代のこと。当時は川原の温泉が湧くあたりに窪みをつくり、川の水で温度調整をしていたらしいです。また、昭和初期は川原に湧く温泉を桶で掬って宿に持ち帰っていたとのこと。それ以降、各旅館にお湯を引く形をとり、現在では集中管理方式により、いくつかの源泉が温泉タンクに集められ、温度調整を行ったうえで、各旅館に支給される仕組みとなっています。

展示内容は下呂温泉に限らず、全国の温泉に及んでおり、各地で採取した様々なサンプルを展示しており、お湯に含まれる成分や色などを実際の展示を交えながら解説しています。ここまで大衆向けに公表されているのはなかなか興味深かかったです。

噴泉塔
噴泉塔
温泉の湧く仕組み・温泉を引く仕組み
温泉の湧く仕組み・温泉を引く仕組み
様々な温泉水のサンプル
様々な温泉水のサンプル

それでは下呂観光はこの辺にて終了。ほかにもスポットはありますが、そろそろ特急列車が来る時間が近づいていたため、下呂駅へ戻り、移動を再開していきます。

【16:29発/18:54着】高山本線で日本の原風景を見ながらで富山駅へ

下呂駅から再度、高山本線の続きの区間を進んでいきます。次に乗車するのは特急ひだ13号 富山行き。この列車で終点の富山駅まで一気に駆け抜けます。列車は最大の10両編成で到着。下呂駅で降車する方も多い一方、車内に残る乗客もそれなりに多い印象でした。

それでは列車は下呂駅を出発し、飛騨川に沿って進んでいきます。山間を縫うようにして進み、久々野駅を通過。やや長めの宮トンネルを抜けると、並行する川は宮川に変わります。まもなく周囲に市街地が広がると高山駅へ到着します。この列車は富山行きではありますが、一部の車両は高山止まりであり、前側の数両のみがこの先へ進んでいくことになります。

飛騨川
飛騨川
高山駅
高山駅

駅に隣接する高山運輸区を横目に高山駅を出発すると次の停車駅、飛騨古川駅へ向けて走って行きます。この区間は比較的開けたところを走り、辺りは田園風景が広がります。時間帯としては日が傾き始めてきた頃で、天気も回復傾向。夕日が水を張った田んぼに反射する風景や沿線の集落にある家屋が日本の原風景のような景色を見せてくれます。原風景的車窓を見ていると、飛騨古川駅へ到着。先ほどの高山では城下町における商人町の街並みで有名ですが、古川は「高山の奥座敷」と呼ばれており、こちらは白壁土蔵の街並みが美しいとして有名です。

田園風景(飛騨古川駅付近と思われる)
田園風景(飛騨古川駅付近と思われる)
飛騨古川駅
飛騨古川駅(失敗気味)

飛騨古川駅を出発してしばらく走ると、再び山間の区間へ入り、線路を覆うシェードの数が増えます。個人的にシェードの多さはその土地の険しさを表す指標と思っており、実際に2004年10月には台風23号による大規模被害が付近で発生しています。特に角川・猪谷駅間においては復旧に約3年かかっており、いかに山奥を走っているかということが車窓からも実感できます。そうこうしていると、列車は県境を越え、富山県へ進入し、猪谷駅へ到着します。猪谷駅はJR東海とJR西日本の会社境界駅で、先の富山方はJR西日本の管轄区間となります。ここで、この旅全体におけるJR東海の区間はこれにて走破。24日目に初めてJR東海の区間に足を踏み入れ、本日31日目で抜けることとなりました。

宮川の風景(飛騨古川・猪谷駅間のどこか)
宮川の風景(飛騨古川・猪谷駅間のどこか)

猪谷駅を出発し、JR西日本の区間へ入ると、高山本線の旅も大詰め。しばらく車窓右側には川が並行していますが、県境で宮川から神通川に名前が変わっています。しばらくは山間の車窓が続くものの、楡原・笹津駅間で一度神通川を渡るとその車窓は一変し、田園風景へと変わります。先ほども夕時の日本の原風景のような車窓を見ていましたが、夕日はさらに傾き、橙色にたなびく空の様子と、夕日の光に反射する富山平野の田んぼが幻想的な風景をみせていました。

神通川(楡原・笹津駅間)
神通川(楡原・笹津駅間)
夕日に照らされた田んぼ

富山県内では越中八尾駅・速星駅に停車し、北陸新幹線とあいの風とやま鉄道線と合流。最後にもう一度、神通川を渡ると、終点の富山駅へ到着です。富山駅の高架の下には富山地方鉄道の路面電車の富山駅があり、そこで流れるバッハのメヌエットの接近メロディを聞くと、富山に来た実感がしてくるものです。

富山駅の駅名標
富山駅の駅名標
特急ひだ号とあいの風とやま鉄道の並び
特急ひだ号とあいの風とやま鉄道の並び
富山駅南口
富山駅南口

【20:05-20:35】 回転寿司で手軽に富山湾の海の幸を味わう

富山駅に到着し、ホテルにチェックイン後、夕食へ繰り出します。昼食が”吉牛”だったので(吉牛も美味しいのですが…)、夕食こそは何か良いものをと思って立ち寄ったのが富山駅南口近くの「廻転とやま鮨」。

廻転とやま鮨 外観
廻転とやま鮨 外観

「廻転」と銘打ってはいるものの、基本はオーダーに応じて個別に握ってもらえるため、富山の新鮮な魚介類が手軽に味わえます。どれもクオリティが高いものの、「富山湾三種」「白海老」は特におすすめ。「富山湾三種」はその日の朝どれの富山湾の鮮魚を握ったもの。具体的なネタを忘れたものの、この日は白身系が多かったです。そして、白海老は富山名物。昆布で巻いた軍艦巻のうえに白海老が余すことなく乗っており、身はプリプリで美味しかったです。

寿司たち
寿司たち
白エビの軍艦巻き
白エビの軍艦巻き

それでは本日の旅程はこれで終了です。お疲れ様でした。

【YouTube】