【最長片道切符の旅#32】新幹線延伸開業が迫る北陸を巡る

最長片道切符の旅32日目。本日は2023年5月1日(月)。富山駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅32日目(定刻ベース)】
■ 富山観光
 ● 富山駅 (8:46発)
 ↓ 富山地方鉄道富山港線
 ● 東岩瀬駅 (9:08着)
  ・岩瀬の街並み
 ● 東岩瀬駅(10:33発)
 ↓ 富山地方鉄道富山港線
 ● 富山駅 (11:01着)
  ・昼食
■ 富山駅 (12:05発)
↓ 北陸新幹線 はくたか557号
■ 金沢駅 (12:27着/12:48発)
↓ 北陸本線 しらさぎ60号
■ 加賀温泉駅 (13:13着)
■ 加賀観光 (石川県)
 ● 加賀温泉駅 (13:45発)
 ↓ 北鉄加賀バス 温泉山中線
 ● 山代温泉 (13:58着)
  ・山代温泉 古総湯
  ・山代温泉 総湯
 ● 山代温泉 (15:07発)
 ↓ 北鉄加賀バス 温泉山中線
 ● 加賀温泉駅 (15:23着)
■ 加賀温泉駅 (15:45発)
↓ 北陸本線 特急サンダーバード32号
■ 敦賀駅 (16:41着/16:45発)
↓ 小浜線 普通
■ 小浜駅 (17:57着)

本日は北陸3県(富山県・石川県・福井県)を横断していくことになります。途中乗車する北陸本線のうち、金沢・敦賀駅間においては2024年3月に北陸新幹線の延伸開業により、第三セクター化することに伴い、特急列車で巡ることのできなくなる貴重な区間となります。

【8:46-12:05】 廃線復活の奇跡が起こった鉄道で行く富山観光

移動を開始する前に、まずは富山市内を観光していきます。富山市内は市内電車が走っており、富山地方鉄道という会社が市内のあちこちにネットワークを入っている移動に便利な街です。今回はそのうち、富山港線という路線を使って途中の東岩瀬駅まで乗車していきます。

富山駅
富山駅

車両はヨーロッパで走っていそうなきれいなトラムが使われており、富山駅を出発してしばらくは道路上を走り、途中からは鉄道敷地内に引かれた通常の線路(専用軌道)を走行していきます。富山港線は鉄道史上では奇跡的な歴史を持っており、それは廃線が蘇ってできている路線であるということです。富山港線の専用軌道区間はかつてJR西日本が運行していた旧富山港線の線路を活用しています。

富山地鉄の市内電車
市内電車のホームに滑りこむ路面電車の車両
富山駅方は道路上を走る
富山駅方は道路上を走る
専用軌道との境界区間
専用軌道との境界区間

その歴史を見てみると、富山港線は1924年に富岩鉄道が開設し、その後、富山地方鉄道の手に渡りますが、戦時中に国により買収されることに。国鉄により運営された後、国鉄分割民営化によりJR西日本が運行を担ってきました。その当時、通勤・通学需要に特化したダイヤが組まれており、日中は1-2時間に1本の割合となっていました。さらには、使われる車両にも差が見られ、朝夕は通常の列車、それ以外の時間帯ではレールバス(キハ120形気動車など)が使われていました。このように「ローカル線」然としたこの路線に転機があったのは富山駅の高架化の話が持ち上がった頃。当時はもちろん道路上を走る区間はなく、富山駅から分岐していたため、富山港線も一部高架化が必要ということになりました。その費用対効果の問題などでクリアができず、2006年3月に廃止となりました。ただし、2003年からLRT化の話が持ち上がっており、富山市を中心とした第三セクターである富山ライトレールによりルートの変更や設備の改修を経て2006年4月に現在の富山港線が運行開始。さらに、2020年2月には既存の富山地方鉄道の市内電車と線路が繋がったことで、富山地方鉄道の交通ネットワークに組み込まれる形となり、現在に至っています。廃線が蘇ったという点も奇跡的ではありますが、かつての運行会社である富山地方鉄道の手に再度戻るということも、鉄道史的にはかなり珍しい出来事なのです。

そんな奇跡的な富山港線の歴史に浸っていると、電車は東岩瀬駅へ到着。JR西日本時代の旧富山港線の設備はほとんど姿を消していますが、東岩瀬駅に関しては現在でも、JR時代のホームと駅舎が残されており、往年の東岩瀬駅の様子を伺うことができます。現在は低床電車での運行のため、新たに専用のホームが設けられていますが、傍らにJR時代の高いホームが一部残されており、そこには当時の案内看板や駅名標などが残されています。また、当時の駅舎も保存されており、築年数は不明であるものの、改修を経て、大正や昭和初期の「ハイカラ」さのある空間が広がっています。現在は休憩施設として使われており、誰でも利用することが可能です。

東岩瀬駅のホーム
東岩瀬駅のホーム
東岩瀬駅の駅舎
東岩瀬駅の駅舎
東岩瀬駅の駅舎内部①
東岩瀬駅の駅舎内部①
東岩瀬駅の駅舎内部②
東岩瀬駅の駅舎内部②
JR時代の東岩瀬駅の旧ホーム
JR時代の東岩瀬駅の旧ホーム

さて、東岩瀬駅から足を伸ばし、徒歩10分。やってきたのは「岩瀬の街並み」江戸時代から明治時代にかけて、大阪から下関経由で北海道方面への海運を担った北前船が寄港した富山港に隣接した関係で、岩瀬地区は物資の集積地となっており、多くの商人がこの地で商売をしていました。その頃の街並みが現在でも残っているのです。特に岩瀬地区で栄えたのは廻船問屋。この地域における廻船問屋は荷物を買い入れ、自前の船で遠隔地へ運び、その場所で販売を行うというビジネスを行っており、その結果、富を得た豪商がいくつか存在します。

岩瀬の街並み
岩瀬の街並み

その中でも、特に有名なのが森家と馬場家です。森家は江戸時代末期から明治にかけて各諸国の回船業者と取引のあった廻船問屋で、明治期には金融業に進出をしたといわれており、街並みの中に現存する森家は明治11年に建てられています。家の裏は当時船着場で、玄関からそこまでを貫く土間の通路と、この通路に沿って母屋・台所があり、蔵が2棟続きます。また、馬場家の方は海運業で栄えた家です。こちらも同様に裏が神通川となっており、玄関から船着き場までを廊下が結んでいます。特に「オイ」と呼ばれる33畳の広間は立派な梁が組まれている光景を見ることができます。いずれの家も様々な意匠が盛り込まれた立派な家で、両家の権威がよくわかるものとなっています。

北前船廻船問屋 森家 外観
北前船廻船問屋 森家 外観
森家の内装①
森家の内装①
森家の内装②(渡り廊下)
森家の内装②(渡り廊下)
森家の内装③(座敷)
森家の内装③(座敷)
森家の内装④(蔵)
森家の内装④(蔵)
馬場家
馬場家
馬場家の内装①(渡り廊下)
馬場家の内装①(渡り廊下)
馬場家の内装②(広間)
馬場家の内装②(広間)
馬場家の内装③ (蔵)
馬場家の内装③ (蔵)

上記の両家と街並みの散策で1時間強ほど時間を使い、再度、東岩瀬駅から富山駅へ戻りました。移動前に昼食へ。富山といえばやはり海鮮が一番に思いつきますが、それに負けない名物のひとつ、富山ブラックというご当地ラーメンを頂くことにしました。立ち寄ることにしたのは駅ビルの「とやマルシェ」にある「西町大喜」さん。富山ブラックラーメンはもともと、戦後復興の肉体労働にあたる労働者に向けた食事で、塩分補給も兼ねて、ご飯のおかずになるように考案されたラーメンです。このことから、かなりしょっぱいのが富山ブラックの特徴です。近年ではこれをアレンジしてもう少し食べやすくなった富山ブラックが主流ですが、西町大喜では決してその流れに媚びない伝統の味をそのまま受け継いでいます。個人的に周りに流されないそういうスタイル、好きです。

富山ブラックのお店 「西町大喜」の看板
富山ブラックのお店 「西町大喜」の看板

そんな富山ブラックを食べるときの定番はライスを付けること。普段の食事で炭水化物に炭水化物を合わせることはまずしませんが、ここは郷に従って一緒に注文します。ラーメンとライスが到着。名前の通り、スープは黒く、レンゲがついてこないのも特徴。きっとそのままスープを飲むことが想定されていないのでしょう。覚悟していた通り、スープは塩辛いですが、特にメンマはさらに塩辛いです。こりゃライスが合うわけだ。

富山ブラック
富山ブラック

実際、周りを見回していると水を何度もおかわりしたり、食べきれなかったりするお客さんもいて、その塩辛さ具合を感じさせます。人によって好き嫌いがあることは予想されますが、塩味大好きな自分からすれば、中毒になるほどハマる一品でした(この記事を書いているいまもあの味が良い意味で蘇ってくる)。まあ、普段からそこまで体を動かさなくなった現代人には確実に体に悪い一品なので、くれぐれもスープの飲みすぎにはご注意を。

【12:05発/13:13着】大きく交通体系の変わる北陸新幹線・北陸本線で加賀温泉駅へ

富山ブラックを満喫したところで、富山駅から本日の移動を開始していきます。ということで、新幹線ホームへ。まずは北陸新幹線で金沢駅まで移動します。金沢方面まではあいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道が在来線を運行していますが、もはやJR線ではないので今回は新幹線一択です。

富山駅の新幹線ホームにある駅名標
富山駅の新幹線ホームにある駅名標

乗車するのははくたか557号の金沢行き。今回は自由席での利用ですが、本日はGWの中日の平日ということもあり、結構空いている様子。座席は選びたい放題でした。当たり前ですが、新幹線は速く快適。ずっと乗っていたいのですが、やはり富山・金沢駅間はあっという間。たった22分で終点の金沢駅へ到着です。

北陸新幹線W7系
北陸新幹線W7系
北陸新幹線W7系の車内
北陸新幹線W7系の車内

金沢駅からは在来線の北陸本線の区間へ入ります。特急しらさぎ号に乗り換え、加賀温泉駅まで乗車します。蛇足ですが、この時に、富山・金沢駅間の特急券と、金沢・加賀温泉駅間の特急券を通しで買っていなかったことに気づくことに。連続する区間で、新幹線の特急券と在来線の特急券を同時に購入すると、基本的に、両者の特急券のうち、高い方が半額になるという制度(乗継割引)が受けられるのですが(2023年3月に乗継割引の制度は廃止予定)、その割引分を損したことになります。なんともったいない…。

金沢駅の新幹線ホームの駅名標
金沢駅の新幹線ホームの駅名標

今更、乗継割引の申告も難しいと思うので、そのまましらさぎ号の自由席に乗車。こちらも先ほどの新幹線ほどではないにせよ、比較的空いた状態で金沢駅を出発します。ここから先はしばらく、期限付きの貴重な体験をすることになります。というのも、冒頭で軽く触れたように、北陸新幹線の金沢・敦賀駅間が2024年3月に開業することで、並行する北陸本線の金沢・敦賀駅間はJRの路線ではなくなります。この区間は第三セクターの2社(IRいしかわ鉄道・ハピラインふくい)によって運行が継続されますが、この区間の特急列車はこの移管と同時に廃止となります。現在は名古屋・大阪方面との特急列車が頻繁に往来していますが、その風景もまもなく見られなくなります。その意味では北陸本線の特急に乗車する機会も貴重になってきます。

特急しらさぎ号
特急しらさぎ号

さて、金沢駅を出発してしばらくすると高架から地上に降りていきますが、加賀笠間駅付近まではずっと立派な高架に沿って行きます。これが松任・加賀笠間駅間にある白山総合車両所につながる線路。白山総合車両所は北陸新幹線の車両基地・車両工場であり、現在は回送線として使われています。しかし、新幹線の敦賀延伸後は本線としても使われるようになり、白山総合車両所を過ぎた後も、新幹線の高架は敦賀方面へ向けてずっと先へ続いていきます。現在はまだ使われていませんが、いずれここを新幹線が走るようになります。この先も、将来の新幹線停車駅のそばに近づくたびに高架を見ることができ、その度に開通間近の新幹線を楽しみに思う気持ちと、在来線を中心にいまあるものがなくなる寂しさの気持ちが交錯します(一旦開通すれば受け入れられるのだが)。

特急しらさぎ号の車内
特急しらさぎ号の車内
北陸新幹線の未開通部分の高架(小松駅付近)

列車はしばらく走ると、小松駅へ到着。進行方向左手に新幹線の高架が見えてきます。新幹線の駅は在来線の駅に隣接しており、ぱっと見では、既に諸々の設備が完成しているようにみえました。

小松駅を出発し、市街地を抜けると田園風景が中心の景色を走り、次の停車駅が加賀温泉駅。進行方向右手に街を見下ろすように構える高さ73mの加賀大観音が見えてくると、まもなく加賀温泉駅へ到着です。

加賀温泉駅の駅名標
加賀温泉駅の駅名標
加賀温泉駅を出発する特急しらさぎ号
加賀温泉駅を出発する特急しらさぎ号

【13:13-15:45】 山代温泉の2つの外湯へ入湯

それでは加賀温泉駅で特急しらさぎ号を下車。ここも将来の新幹線停車駅となりますが、表へ出ると既に新幹線駅が完成した状態でスタンバイしている様子。一方で、駅前広場は現在進行形(訪問当時)で整備が続けられており、工事関係者が一所懸命作業している様子が見られました。加賀温泉駅については工事がやや遅れ気味のようで、駅前広場を含め、完全に駅が完成するのは新幹線開通からしばらく後のことになるようです。

加賀温泉駅
加賀温泉駅
加賀温泉駅の新幹線ホーム外観
加賀温泉駅の新幹線ホーム外観
改札内通路から見える新幹線のりば
改札内通路から見える新幹線のりば

さて、加賀温泉駅で途中下車したのは、ほかでもない、石川県内の観光のためです。駅名からネタバレ必至ですが、何のひねりもなく温泉へ行きます。といえども、駅名が示す「加賀温泉」という温泉はなく、これはあくまでも、周辺にある山中温泉、山代温泉、片山津温泉、粟津温泉を総称して駅名としているだけの話なのです(「加賀温泉郷」という総称の仕方自体はある)。今回はそのうちの一つ、山代温泉へ足を運びます。ここを選んだのは単に今回のスケジュールにうまくはまるという理由だけなのですが…。

山代温泉に限らず、加賀温泉郷のそれぞれの温泉は駅から歩いていける距離ではないので、今回はバスを利用。山代温泉まではバスで約15分、「山代温泉」バス停で下車します。さらにそこから5分歩くと、温泉街の中心部に到着します。様々な旅館がお店が立ち並ぶ中、中心部にはロータリーがあり、そのロータリーには風情のある建物がぽつんと1軒あります。これが外湯の一つである「古総湯」です。つまり、山代温泉では共同浴場を中心に街が作られていることになります。

北鉄加賀バス
北鉄加賀バス
山代温泉バス停
山代温泉バス停
山代温泉の温泉街
山代温泉の温泉街

この古総湯はその名前に「古」とあるように、山代温泉にある外湯2軒のうち、古い方であり、明治時代にあった総湯を再現しています。せっかくなので、こちらに立ち寄っていくことに。見た目は木造の建物ですが、内装はステンドグラスや九谷焼のタイルなど、各所に意匠が施されているのが特徴です。しかし、それ以上に印象的なのがやはり設備。番台の方から案内頂いたのがいきなり浴室。というのは男女別の入口を入ると、扉1枚のみを隔てて、いきなり浴室になっている仕組みなのです。つまりは脱衣所がないということです。脱衣所はないものの、そのためのスペースが浴室と一体となっており、服を脱いだらすぐそこに浴槽があるという新鮮な体験を味わいます。また、その浴室内には洗い場もありません。つまり、ここで行うことは単にかけ湯をしてお湯に浸かるのみ。最近では温泉に様々な付加価値を付けないと温泉ビジネスが成り立ちにくい世の中ですが、昔の娯楽の形はさぞかしシンプルだったことが垣間見えます。最初は驚いたものの、これはこれで貴重な体験で、立ち寄った甲斐がありました。ちなみに、2階部分は休憩室となっています。お湯が熱かったこともあり、ここでしばらく体を冷やすことに。

山代温泉 古総湯
山代温泉 古総湯

少し休憩したところで、次はもう一つの外湯の「総湯」へ。道路を挟んで「古総湯」の向かい側にあります。古総湯の方でゆっくりしすぎてしまい、入館から退館まで15分というスピーディーさで一連の流れをこなしていきます。総湯の方は現代と同じように、脱衣所・洗い場があります。また、古総湯と比べると総湯の方が広く、利用者もより多かったです。泉質は硫酸塩泉で、無色のお湯、源泉かけ流しの良いお湯でした。

山代温泉 総湯
山代温泉 総湯

一通り外湯を楽しんだところで、再度バスで加賀温泉駅へ。総湯の方が駆け足になったものの、日帰りでも大きく方式の違う2種類の外湯を体験できるのはあまり他の温泉地でも見られないので、貴重な経験となりました。

【15:45発/16:41着】 北陸から姿を消す特急サンダーバードで敦賀駅へ

温泉を挟んだところで、移動を再開していきます。乗車する列車は特急サンダーバード32号、大阪行きです。

特急サンダーバード号
特急サンダーバード号

それはそうと、加賀温泉駅へ降り立った時から気になっていたのですが、ホームにある自動販売機には「Lady Kaga」とプリントされた文字と複数人の女将さんと思われる方々の画像が。あの有名歌手を彷彿とさせるキャッチーなネーミングだなと、当時はそれしか思いませんでしたが、加賀温泉郷の単なるPRユニットに終始するのみではなく、調べてみると、どうやらこれをモチーフとした映画も公開されているのだとか。この後に、石川県は能登半島地震の大きな被害に見舞われることにがなっていますが、この映画によって、能登半島地震の風評被害(加賀温泉郷の被害は限定的)を緩和するきっかけになることを願っています(また、配給収入の一部が被災地の義援金にもなるとのこと)。

Lady Kaga
Lady Kaga

さて、列車に乗り込み、加賀温泉駅を出発していきます。このサンダーバード号も先ほどのしらさぎ号と同じく、北陸新幹線の延伸開業後は北陸を走らない特急となります(敦賀以西のみの運行に)。しらさぎ号乗車時と同様、この光景を目に焼き付けながらさらに西へと進んでいきます。

次の大聖寺駅を越えると早くも県境を越え、石川県から福井県へ入ります。新幹線の高架が寄り添うと、芦原温泉駅へ到着。こちらも新たな新幹線の停車駅となります。加賀温泉駅と芦原温泉駅の距離は16.7km(北陸本線ベース)。新幹線の駅を設けるにはやや短い間隔ではありますが、どちらかにすると、きっと無用な争いを生むことになるので設けられたのでしょう。とはいえ、駅名にあるあわら温泉は福井県を代表する温泉地であるうえ、有名な東尋坊の玄関口として期待ができるので、自治体にとっては無駄な投資にはならないかと思っています。

北陸本線から見える田園風景
北陸本線から見える田園風景
九頭竜川(森田・福井駅間)
九頭竜川(森田・福井駅間)

芦原温泉駅出発後、列車はしばらく田園風景の中を進みますが、しばらく走ると、福井市の市街地へ進入。進行方向左手に第三セクターのえちぜん鉄道の車両基地を横目に高架に上がると一気に車窓が都会的になり、福井駅へと入っていきます。当然、福井駅にも北陸新幹線の駅が設けられ、すべての便が停車するようになります。

福井駅
福井駅

福井駅を出発すると、次の停車駅は鯖江駅。その途中、北鯖江駅付近の車窓左手にはメガネのマークと「SABAE」の文字が赤く印字された巨大な看板を目にすることができます。調べてみると、鯖江市のメガネフレームのシェアは国内で96%、世界では約20%も占めているようで、この看板に限らず、市内のあらゆるところで、めがねの街をPRする看板や旗が設置されているところを目にすることができます。

列車はその次の停車駅、武生駅を出発し、次の敦賀駅へ。敦賀駅の一駅手前、南今庄駅を通過すると、長大な北陸トンネルへ入り、山を越えます。北陸トンネルの長さは13,870mで、JRの在来線では最も長いトンネルです。北陸トンネルは木ノ芽峠を越えるトンネルで、福井県のあらゆる文化の境界線となる場所でもあります。これほど険しいこの峠を越える北陸トンネルは1962年に開通したもので、それまでは別のルートを通って峠越えを果たしていました。この区間の旧線ルートの多くは道路に変わっており、現在は車などで巡ることが可能です。ルートが北陸トンネルに切り替わり、急勾配が避けられるようになった一方、その閉鎖的な空間が故に引き起こされた寝台急行の火災事故(死者30名・負傷者714名)の現場となった過去もあり、その教訓から車両の不燃化など、新しい鉄道技術の開発のきっかけにもなっています。

武生駅手前で見える福井鉄道のホーム
武生駅手前で見える福井鉄道のホーム

さて、北陸トンネルを越えると、列車は敦賀駅へ到着します。実は加賀温泉駅に出発した時点で、既にこの列車には3分の遅れが発生しており、敦賀駅に着く頃は9分遅れにまで拡大。この後の乗換にはもとから4分の時間しかなく、到着時点で既に次の列車の出発時刻が過ぎていることになります。しかし幸いにも、接続は取られることになり、少し急ぐことにはなりますが、無事に乗り換えが果たせそうです。

【16:45発/17:57着】 存続が危ぶまれる小浜線で小浜駅へ

サンダーバード号で定刻より9分遅れて敦賀駅へ到着。ここから急いで小浜線へ乗り換えます。この時はあまり駅を見回す余裕はありませんでしたが、敦賀駅は将来的に北陸新幹線の終着駅となる関係で、大進化を遂げる駅です。敦賀駅のホームに降り立つと要塞のような新幹線駅が壁のように聳え立ちます。そして、直接外からは見えませんが、新幹線駅の高架の下は新幹線開通後に供用される特急専用のホームが設けられます。また、駅舎入口の改札の右手には跨線橋がありますが、新幹線駅へはここからアクセスする形となります。きっと開通後に駅の全貌が姿を表すはずなので、敦賀駅の駅巡りの楽しみは開通後にとっておくことに。

敦賀駅在来線ホームから見る新幹線ホーム(2023.11に撮影)
敦賀駅在来線ホームから見る新幹線ホーム(2023.11に撮影)
敦賀駅の跨線橋
敦賀駅の跨線橋

それでは急いで乗換えをし、無事に小浜線の列車に乗車。この接続の影響で、小浜線の列車も9分の遅れをもって敦賀駅を出発していきます。この列車で本日の最終目的地である小浜駅を目指していきます。

敦賀駅を出発すると、北陸新幹線の車両基地である白山総合車両所敦賀支所、そして、在来線の車両基地である金沢総合車両所敦賀支所を見ながら、北陸本線の線路から右手に分岐していきます。敦賀の市街地が終わると、急に山がちな景色に。2つの峠を越えると、美浜駅へ到着します。ここからは田園風景が主体となりますが、三方駅までの間、いずれも遠目ながらも、久々子湖・菅湖・三方湖の3つの湖が車窓から見えてきます。これらの湖は水月湖・日向(ひるが)湖と合わせて三方五湖と呼ばれる湖で、いずれも若狭湾の近くに位置します。湖によって塩分濃度が異なっており(一部は淡水)、水面の色も異なっているようです。さらに乗車を続けていると、徐々に日が傾くとともに、沿線の水が張った田んぼに夕日が反射してきれいな風景を見せてくれます。

久々子湖 (美浜・気山駅間)
久々子湖 (美浜・気山駅間)
菅湖 (気山・三方駅間)
菅湖 (気山・三方駅間)
三方湖(気山・三方駅間)
三方湖(気山・三方駅間)
三方駅
三方駅
夕方の田園風景(上中駅付近)
夕方の田園風景(上中駅付近)

さらに進み、まとまった市街地に入ると、まもなく小浜駅へ到着します。次の日に続きを乗車していきますが、この小浜線は車窓の良さでも有名な路線です。一方で、小浜線の利用状況は厳しく、現状、存続が心配されている路線の一つでもあります。確かに敦賀駅で特急から乗り換えてくる客は自分だけだったような気が。しかし、利用状況の点だけではなく、さらに追い討ちになりうる状況があります。これに関係するのが北陸新幹線。将来的に敦賀駅からさらに新大阪方面へ延伸する際のルートには小浜市が含まれており、これが存続を危機的なものとしています。北陸新幹線が小浜市内を通る形で開業すると、小浜線の敦賀・小浜駅間が並行在来線になり、JRから運行が切り離される可能性があるのです。北陸本線に関しては先ほどの通り、第三セクター化されるものの、もとから利用状況が厳しい小浜線で同じことが実現できるかは微妙ということなのだと思われます。それでも、かねてから沿線自治体とJR西日本が手を組んで小浜線の利用促進には動いており、これが実を結ぶかどうかで今後の結果が変わってくるかもしれません。

小浜線の車両(125系)
小浜線の車両(125系)
小浜駅

【19:40-20:20】 開いている店を探し三千里、小浜で海鮮丼を食らう

それでは乗車すること約1時間10分で目的地の小浜駅へ到着。ここで下車して、本日分の移動はこれで終了となります。

それでは本日の最終目的地である小浜駅へ到着しました。その後、ホテルへチェックインし、夕食を求め、街へ繰り出します。

しかし、当初目星を付けていたお店がやっていなく、第二候補となっていたお店もやっておらず。その後、しばらく辺りを歩いてみるも、やっているお店も少なく途方に暮れていたところ、ようやく開いているお店を発見。それが「天菜朝日屋」さん。小浜駅から徒歩3分のところにある、そばや海鮮丼、福井名物のソースカツ丼などを看板メニューとするお店です。当時、開店祝いが掲げられていたのできっと新しいお店なのでしょう。今回はお店の看板メニューの一つ、海鮮丼を注文。どさくさに紛れて生ビールも注文します。

天菜 朝日屋 外観
天菜 朝日屋 外観

まずは生ビールで、お通しの肉じゃがの小鉢とともに、旅の苦労(?)を自分で労います。無事に一日を終えられることに感謝です。そして、注文をしていた海鮮丼が到着。いか、いくら、サーモン、サバ、マグロなど色々具材が載っており、見た目だけでも目を楽しませてくれます。味も申し分なく、新鮮で美味しかったです。このままだと、夕食難民になるところでしたが、救っていただいて感謝です。

ビールとお通しの肉じゃが
ビールとお通しの肉じゃが
海鮮丼
海鮮丼

それでは本日の旅程はこれで以上です。お疲れ様でした。

【YouTube】