【最長片道切符の旅#34】京阪神から一気に日本海側へ、兵庫県を巡り鳥取へ

最長片道切符の旅34日目。本日は2023年5月3日(水・祝)。京都府の京都駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅34日目】
■ 京都駅(6:07発)
↓ 東海道本線 快速
■ 新大阪駅 (6:40着/6:59発)
↓ 山陽新幹線 こだま839号
■ 西明石駅 (7:22着/7:30発)
↓ 山陽本線・東海道本線 新快速
■ 尼崎駅 (8:06着/8:19発)
↓ 福知山線・山陰本線 特急こうのとり1号
■ 城崎温泉駅 (10:58着)
■ 城崎(兵庫県)観光
 ・大師山
 ・温泉寺
 ・城崎温泉
 ・昼食
■ 城崎温泉駅 (15:09発)
↓ 山陰本線 特急はまかぜ3号
■ 浜坂駅 (15:50着/16:04発)
↓ 山陰本線 普通
■ 鳥取駅 (16:48着)

特に前半はいかにも最長片道切符の旅らしい、普通の感覚を持つ一般人だったら間違いなくやらない頭のおかしい旅程をこなしていくことになります。そして、本日の回るところの大半は兵庫県となります。

【6:07発/8:06着】 特急料金を無駄にする頭のおかしい旅程で京阪神を駆けずり回る

昨日の旅程終了は20時過ぎという状況で、本日の活動開始は6時前。疲れも完全に癒えぬ中、京都駅から旅のスタートを切ります。本日はGW後半の初日。GW×京都は「混ぜるな危険」という認識なので(人の多さという意味で)、早々に出発することにしていたのです。そして、同時に遅れていた進捗を取り返しに行こうとする魂胆です(でないと切符の有効期限内に旅を完遂できない)。その読みは恐らく当たりで、早朝の京都駅は人はまばら。途中までは恐らく快適に移動できるだろうという読みで、最初の列車、快速 網干行きに乗車していきます。この列車で東海道本線を移動し、新大阪駅まで行きます。

京都駅駅ビル
京都駅駅ビル
京都タワー
京都タワー
京都駅
京都駅

221系の列車がやってくるも、両数はまさかの6両編成。両数がいつもより少ないため、嫌な予感はしたものの、列車は早速混雑。車内の中ほどに押しやられ、ほとんど景色が見られなかったので、景色に関しては何も書けません。

221系電車
221系電車

東海道本線の京都・大阪駅間に関しては愛称で「京都線」とも呼ばれており、今回の乗車で初めて知ったのは朝の時間帯の快速列車は日中の快速よりも早いということ。京都線の区間のうち、京都・高槻駅間は日中であれば各駅に停まるところ、朝の快速列車は途中、長岡京駅にしか止まらないのです。京都線内では関西のスピードの代名詞である新快速と比較しても、停車駅は2駅しか違わず、朝の快速もそれに準じる早さを誇るように思います。

快速列車を新大阪駅で下車。やはり、新大阪駅で下車する乗客は多く、その大半は新幹線ホームへ向かっていく様子。自分もそのうちの一人です。新幹線・在来線のホームを結ぶ連絡通路では既に戦争の序盤。遠隔地へ疎開、いや、観光に行く乗客で賑わっています。

新大阪駅
新大阪駅

さて、次に乗車するのは山陽新幹線のこだま839号、広島行き。これで西明石駅まで行きます。短距離の利用のため、座席は抑えておらず、今回は自由席の利用。混雑覚悟でいましたが、ところがどっこい、新大阪駅出発時点ではガラガラでした。また、今回乗車したのは「ひかりレールスター」で有名な700系新幹線。この車両の自由席に乗車する際は後方の車両(新大阪方面行きの場合、前方)に乗りたいところ。というのも、この車両の4-8号車はグリーン車のような座席で、シートの幅やひじ掛けの幅が広いのが特徴です(シートピッチは普通車と同じ)。もちろん、今回は後方の自由席を利用。当然、快適な移動となりました。ちなみに、トイレがてら指定席の様子を見たところ、結構座席が埋まっている様子。意外と自由席の利用の方が吉なのかもしれません。

700系新幹線(レールスター)
700系新幹線(レールスター)

さて、快適な移動ももあっという間。新神戸駅を経由し、約20分で西明石駅へ到着。ここから在来線に乗り換えです。西明石駅における新幹線・在来線の相互乗換所要時間は8分ですが、今回の接続時間はこれと同じ8分。乗り遅れると一日の予定が崩壊しかねないため、足早に移動。

西明石駅(在来線ホーム)
西明石駅(在来線ホーム)

無事に在来線ホームへ到着。西明石駅からは山陽本線の新快速 草津行きで、尼崎駅まで移動します。冒頭にも記したように、これはかなり頭がおかしい移動です。というのも、先ほど新幹線で通った神戸方面へ逆戻りするルートだからです。とはいえ、これは「最長」片道切符の旅。移動距離が最長になるように組んでいる旅程のため、こういった非効率も受けて立たないといけない運命を背負っているのです(厳密には「最長」の定義や考え方次第でルートも変わってくるがこれについては割愛)。

225系電車
225系電車

そんな運命に身を委ねるしかなく、とりあえず、西明石駅を出発。路線の境を跨ぎ、東海道本線の京都駅までは線路が複々線になっており、同じ方向でも列車種別により走る線路が変わってきます。山陽本線・東海道本線の京阪神エリアではあらゆる種別の列車が運行されているものの、この分離のおかげで速い列車はとことんスピードが出せる設備となっています。新快速の場合、隣の明石駅を出発すると、通過駅が多くなり、最高130km/hという高速で、隣を走る各駅停車を次々と抜かす様子が見られます。また、須磨駅付近までは山陽電車の線路も並行するため、運が良ければ山陽電車の車両も見ることができます。

そして、車窓でいえば、まずは舞子駅前後で見える明石海峡大橋。その名の通り、明石海峡を渡る橋で、橋の向こうは淡路島。この日は天気が良く、向こう側の淡路島もお目にかかることができました。明石海峡大橋の橋上を通るのは神戸淡路鳴門自動車道。道路の終点まで行くと、四国は徳島県鳴門市までアクセスができます。今回の最長片道切符の旅は淡路島はもちろん、四国も経由しないため、そちら方面についてはお預けです。また、垂水駅を通過してしばらくして見えるのは大阪湾。JR線の線路が一番海側にあるため、何にも遮られずに見えることが多いです。須磨駅通過後は徐々に市街地へ入っていき、次の停車駅、神戸駅へ到着。ここで、山陽本線から東海道本線の区間へ入ります。ちなみに、駅名は「神戸」ではあるものの、神戸市の中心は次の停車駅の三ノ宮駅付近。景色としても、三ノ宮駅付近の方が都会らしく見えます。三ノ宮駅からは芦屋や西宮など、阪神のベッドタウンとなる街を駆け抜けていき、目的地の尼崎駅へ向けて新快速らしく爆速で駆け抜けていきます。

明石海峡大橋と淡路島。
明石海峡大橋(舞子駅付近)。向こうの島は淡路島。
大阪湾
大阪湾(垂水・須磨駅間)
三ノ宮駅付近の景色
三ノ宮駅付近の景色

福知山線の線路が合流し、10本近い線路が広がると、列車は尼崎駅へ到着。結局、先ほど通った新大阪駅の3駅手前まで来てしまい(距離にすると11.5km)、山陽新幹線での移動を無にする結果となりました。そして何より、先ほど払った新大阪・西明石駅間の特急料金(1,760円)は一体何だったのか。そう思わされるような移動でした。

尼崎駅
尼崎駅
頭のおかしいルートの図解
頭のおかしいルートの図解(動画より抜粋)

【8:19発/10:58着】特急こうのとり号で城崎温泉へ

京阪神を駆けずり回ったところで、今度は比較的まともなルートとなり、福知山線の区間へ入ります。次に乗車するのは特急こうのとり1号、城崎温泉行き。終点の城崎温泉駅まで一気に進んでいきます。こうのとり号は大阪駅を起点とするため、帰省客や観光客で混むことを想定していましたが、今回は予想通り。尼崎駅出発時点ではほぼ満席。実際に車掌さんからアナウンスでも「ほぼ満席」という案内がありました。こうのとり号は全車指定席のため、一度満席になってしまうと立ち席、つまり、デッキに立って乗車するということになります。しかし、感じたのは意外と、席は直前になるまで埋まらないということ。自分が今回の座席を予約をしたのは乗車3日前のこと。この時点では半分ほど空きがあったので、ひょっとしたら計画がギリギリになっても、特急券に関しては取れる可能性があるということなのかもしれません。

特急こうのとり号の683系電車
特急こうのとり号の683系電車

さて、列車は尼崎駅を出発。東海道本線の線路を高架で跨いで福知山線の区間へ入ります。そして、まもなく、2005年4月の福知山線脱線事故の現場を通過します。鉄道史に残る大惨事で、非鉄の方でも記憶のある方が多いでしょう。福知山線脱線事故は制限速度を大幅に超過した列車が現場のカーブに進入した際、車体が線路から大きく逸脱。線路沿いのマンションに突っ込み、107名の死者、562名の負傷者を出した大事故です。現在、事故現場には「祈りの杜」として整備され、犠牲者の慰霊・鎮魂の場として、そして、事故を起こしたJR西日本にとっての教訓の場となっています。実際、JR西日本の公式HPのトップページでもこの事故について言及があり、安全の取り組みについて、すぐに確認できる設計になっています。

個人的なことですが、福知山線脱線事故が起こった当日、自分はまだ中学生で、1年に1回学校を休むか休まないかというレベルの健康体だったものの、この日は珍しく体調を崩し、学校を休んで実家で寝込んでいたところに、この事故のニュースがリアルタイムで飛び込んできたことが思い出されます。車両がペシャンコになっている光景をテレビの画面越しに見て、その状況の非現実さに訳が分からなくなったのをいまでも覚えています。大都市に住む人の大半にとって鉄道は身近な乗り物。日本の鉄道は安全であることを当たり前に思っていたものが揺らぐような事故となりました。鉄道マニア的には、鉄道会社が鉄道の安全性を維持するのに多大な努力と投資を行っているのは十分知っていますが、これからも日本の鉄道の安全神話が語り継がれるように、これからも日々邁進して頂きたいと思います。

さて、阪神のベッドタウンを抜け、宝塚駅へ停車。宝塚駅を出発すると、周囲から山が迫ってきます。そこにへばりつくように聳え立つハイソなニュータウンを境に列車は山間に入ります。生瀬駅を過ぎると長めのトンネルが連続する区間へ入ります。時折の明かり区間が見せる車窓は完全なる山。一応、これでも自治体としては宝塚市・西宮市・神戸市と、都会なイメージが先行するものの、意外と自然が豊かな側面もあるということがわかります。ちなみに、このトンネル区間は比較的新しく建設された区間となります(1986年建設)。もともとは近隣の武庫川の流域に沿って線路が引かれていたものの、複線化と電化の工事にあたり、現在の新線のルートに変更されています。この影響で、途中通過する武田尾駅は半分は鉄橋上、半分はトンネル内にあるというやや変わった構造となっています。また、廃線となった旧線は現在ハイキングコースとして整備されており、当時の車窓を再び楽しめるようになっています。

宝塚駅付近
宝塚駅付近
武田尾駅付近
武田尾駅付近

トンネル区間を抜け、市街へ入ると三田駅へ停車。三田駅を過ぎると今度は田園風景に様変わりします。一応、先の篠山口駅までは京阪神都市近郊区間(アーバンネット)である「宝塚線」の区間とはなっているものの、次の新三田駅より先はややローカル感が増してきます。さらに次の停車駅、篠山口駅から先は複線だった線路が単線となり、ローカル感にさらに拍車がかかります。この後は谷川駅や柏原(かいばら)駅など、小さな市街地を介しながらも、田園風景と山を交互に走り、列車は京都府へ進入。まとまった市街地が見えると、福知山駅へ到着します。福知山駅手前では福知山城が見え、山陰本線へ合流をします。

丹波大山駅付近
丹波大山駅からの景色(篠山口駅の次の駅)
山間における篠山川の景色
山間における篠山川の景色(丹波大山・下滝駅間)
福知山城と山陰本線の高架(福知山駅付近)
福知山城と山陰本線の高架(福知山駅付近)

福知山駅は福知山線・山陰本線のほか、京都丹後鉄道が乗り入れており、交通の要衝となっています。福知山駅では京都方面から来た特急はしだて号と接続。この特急はしだて号は福知山駅より先、京都丹後鉄道へ乗り入れ、宮津・天橋立方面へ行きます。やはり、日本三景の天橋立へ行く列車ということもあり、車内は混雑しており、一部のデッキには立ち客も見られるほどです。

福知山駅から先、乗車中の特急こうのとり号は山陰本線の区間へ入ります。福知山の市街地区間においては京都丹後鉄道がしばらく並行し、京都丹後鉄道と分かれると、再びのどかな田園風景を通っていきます。次の和田山駅へ向かう途中で兵庫県へ進入し、朝来市の市街地が見えると、和田山駅へ到着です。

福知山駅
福知山駅
並走する京都丹後鉄道の駅
並走する京都丹後鉄道の駅

和田山駅の横には広大な鉄道敷地があり、そこには屋根のない荒廃した赤れんがの機関庫と給水塔が。ここはかつて豊岡機関区の和田山支区があり、両者ともに1912年に建築されて以来、1991年3月までは現役として利用されていたようです。往年の歴史を物語る貴重な建築物であるものの、ただ残置しているだけの雰囲気があり、朽ちるのも時間の問題かもしれません。尚、機関区の支区がなくなった和田山駅ですが、播但線(姫路・和田山駅間)が乗り入れるため、現在でも交通の要衝であること自体はいまも変わりません。

和田山駅構内にある赤れんがの機関庫
和田山駅構内にある赤れんがの機関庫
和田山駅構内の給水塔
和田山駅構内の給水塔

和田山駅出発後は円山川に沿い、養父市を経由しながら日本海へ向けて少しずつ北上。次にまとまった市街地が見えると、豊岡駅へ到着です。豊岡市はこの列車名の由来となった「こうのとり」の生息地となっています。再度ここで京都丹後鉄道と交わり、次の停車駅、かつ終点の城崎温泉駅へ向かいます。尼崎駅を出発した時点ではほぼ満席だった車内も、ここまで来るとだいぶ落ち着いた雰囲気を取り戻している様子。最後の通過駅、玄武洞駅手前では玄武洞が遠目に見えます。玄武洞は160万年前の火山活動により、山頂から流れ出たマグマが冷えて固まる際に作り出された割れ目のことで、豊岡市の観光スポットとなっています。列車からは遠目ではあるものの、円山川対岸の山がはげている箇所が玄武洞の目印となります。

豊岡駅に停車する京都丹後鉄道の車両
豊岡駅に停車する京都丹後鉄道の車両
玄武洞駅付近
玄武洞駅付近

ここまで来ると、こうのとり号の旅は終盤。尼崎駅から乗車すること約2時間40分で、終点の城崎温泉駅へ到着します。

特急こうのとり号の車両
特急こうのとり号の車両(前後で顔が異なる)
城崎温泉駅
城崎温泉駅

【10:58-15:09】仕事をサボってでも行きたくなる城崎温泉を観光

城崎温泉駅へ到着。ここで城崎温泉周辺の観光を入れていきます。早速、温泉街方面へ歩いていきます。

城崎温泉は720年に開湯した歴史のある温泉で、志賀直哉の小説「城の崎にて」の舞台となるなど、様々な文人に愛された温泉地です。そして最近では、とある元議員、某先生の”日帰り出張”先としても有名になった場所ですね。そんなあらゆる人を魅了する温泉街にはGWということもあり、多くの観光客が訪れており、車通りも多い印象でした。温泉街の真ん中には大谿(おおたに)川という小川があり、それに沿って柳並木があるという風流な街並みを形成しており、一句詠みたくなるような風流さがある景色です。

城崎温泉の温泉街
城崎温泉の温泉街

ただし、一旦はこの温泉街を素通り。その奥にある「城崎ロープウェイ」で、温泉街の背後にある大師山に登っていくことに。やはり、ここも観光客が多く、通常は20分の運転間隔であるところ、これに関係なく完全にピストン輸送状態となっていました。この城崎ロープウェイには全国的に珍しい中間駅が設けられているので、後ほど寄っていくことにしました。

城崎ロープウェイのりば
城崎ロープウェイのりば
城崎ロープウェイのゴンドラ
城崎ロープウェイのゴンドラ
ロープウェイからの景色
ロープウェイからの景色
中間駅の温泉寺駅
中間駅の温泉寺駅

城崎ロープウェイで山を登ること7分で山頂駅へ到着。山頂には広場があり、そこからは城崎温泉の街並みを展望することができます。温泉街を含んで城崎の街は意外と狭い範囲にあり、四方のうち、三方は山、もう一方は雄大な円山川に囲まれている光景が広がります。山頂にはカフェやかわら投げのコーナーなどがあるものの、そこには目もくれずに再度、ロープウェイで下山。先ほど通った中間駅で下車します。

大師山から見る城崎の街並み
大師山から見る城崎の街並み

中間駅の名は温泉寺駅。その名の通り、駅の間近に「温泉寺」というお寺があります。温泉寺の創設は738年のこと。城崎温泉を開湯した道智上人に開かれて以来、城崎温泉の守護寺として大師山の中腹から温泉街を見守ってきています。かつては温泉の入湯前に、温泉寺にて道智上人の霊前へ参拝するのが作法となっていたようです。そもそも、道智上人が実在した人物かすらもわかっていないようですが…。それはともかく、手を合わせた後、大師山への麓に下ります。ロープウェイの横には温泉寺の参道が整備されているので、帰りの半分はロープウェイを使わずに参道の石段を下り、温泉街方面へ戻ることにしました。尚、参道入口には薬師堂の仏堂があるため、中腹の本堂へ行かなくとも、参拝ができるようになっています。

温泉寺駅
温泉寺駅
温泉寺の本堂①
温泉寺の本堂①
温泉寺の本堂②
温泉寺の本堂②
温泉寺の参道
温泉寺の参道
温泉寺の参道入口
温泉寺の参道入口(麓側)
温泉寺の薬師堂
温泉寺の薬師堂

それでは今度こそ温泉へ入りに行きます。城崎温泉の温泉街には日帰りでも気軽に入れる外湯が7箇所もあり、それぞれが個性を持っています。うち一箇所は城崎温泉駅の目の前にあり、場合によっては乗換時間を利用して入湯するということも可能かもしれません。

さて、今回は温泉街にある2箇所をピックアップ。一軒目は「御所の湯」。外観はその名の通り、京都御所のような見た目。建物の前には足湯もありました。やはり、利用客は多めではあるものの、エントランスは広めなのでそこまで気にならず。肝心なお湯は塩化物泉。無色透明で若干潮の匂いがありました。温度は熱すぎずぬるすぎずという域。御所の湯では内湯と露天風呂があり、露天風呂の目の前は滝が設けられているのが特徴。恐らく、人工の演出と思われますが、手持ち無沙汰になりやすい入湯中の間も、目を楽しませくれます。ちなみに、露天風呂には長ネギが浮いていました。

御所の湯①
御所の湯①
御所の湯②
御所の湯②

御所の湯を出て、間髪を入れず次の外湯へ。二軒目は「一の湯」。「一の湯」の名は江戸時代の名医である香川修徳がこの湯を天下一と述べたことに由来するようです。外観も大きく立派ですが、内装も広く、エントランスや休憩スペースも十分な広さが確保されています。肝心なお湯は内湯と露天風呂から成っており、やはり特徴は露天風呂、洞窟に覆われているのです。開放感にあふれる露天風呂も魅力ですが、これはこれで視界をシャットアウトしてくれるので、どこかリラックスできる雰囲気がありました。しかし、二軒連続で温泉に浸かると体も熱くなるもので…。ということで、休憩スペースで体を冷ましてから出発をすることに。

一の湯
一の湯

一の湯を出発した時点で時刻は既に14時前。混雑対策であえて昼食を遅らせていたので、程よく空腹状態で、のども乾いている状態。ここで昼食として、温泉街にある「地ビールレストラン GUBIGABU」さんに立ち寄ります。店名の通り、「城崎ビール」という地ビールを飲めるお店で、それに合う料理やおつまみ、デザートなどが楽しめるお店です。

地ビールレストラン GUBIGABU
地ビールレストラン GUBIGABU

ランチタイムにギリギリ滑り込めたので、「但馬牛と八鹿豚のハンバーグ」を注文。当然、地ビールも一緒に注文。ハンバーグが来るまでの間、ビールを楽しみます。やはり、ひとっ風呂浴びた後のビールは控えめにいって最高。まだ熱のこもった体にビールが浸透します。今回頂いたビールはヴァイツェンとピルスナー。ヴァイツェンは口当たりがよく飲みやすいのが特徴。ピルスナーは奥行きのある味わいでビール好きにはたまらない一品でした。

城崎ビール
城崎ビール

そして、ビールを楽しんでいるとハンバーグが到着。但馬牛は名が知れたブランド牛ですが、八鹿豚も兵庫県但馬地域の名産品。一方で、希少な豚肉となっています。まさに、但馬の名物の宝石箱のような一品。肉自体も美味しいですが、ソースもほのかな苦みと酸味で、味を引き立てる役割を担っていました。

但馬牛と八鹿豚のハンバーグ
但馬牛と八鹿豚のハンバーグ

この昼食をもって、城崎観光は終了。温泉街を戻り、城崎温泉駅からまた移動を再開していきます。

【15:09発/16:48着】臨時ダイヤによる救済を受け、鳥取駅へ

城崎温泉駅から山陰本線の続きの区間を行きます。次に乗車するのは特急はまかぜ3号、浜坂行きです。これで終点の浜坂駅まで進みます。

城崎温泉駅
特急はまかぜ号の189系気動車
特急はまかぜ号の189系気動車

城崎温泉駅を出発すると、温泉街を一瞬だけ眺め、早速山へ入っていきます。次の竹野駅を出発するとトンネルの明かり区間から見えてくるのは日本海。いずれも遠目ではあるものの、その手前には日本海側の港町らしい黒い瓦屋根の家屋が目に入り、同じ兵庫県でも別世界に来たように感じられます。

城崎温泉の温泉街
城崎温泉の温泉街(車内から)
柴山駅付近
柴山駅付近。日本海側らしい街並みが広がる。

次の市街地に入ると列車は香住駅へ到着。この周辺は松葉ガニ(山陰地方におけるオスのズワイガニの地方名)が名物となっていることから、香住駅のホームや改札口にはカニのモニュメントがあります。

香住駅
香住駅。改札口にはカニのモニュメントがある。

さてこの列車、通常であれば香住駅止まりとなり、接続列車もないため、ここで足止めを喰らうところ。しかし先述の通り、本日は先の浜坂駅まで運行されます。これはGW期間の臨時延長運転であり、先に進めるという恩恵を受けることができたのです。山陰本線における香美・浜坂駅間の運転間隔は特に少なく、日中であれば2時間に1本のみ。おまけに、通常であれば、特急列車は1日1往復のみの運行となります。このように、通り抜けるのがやや難しい区間となるので、この延長運転によりうまく切り抜けることとなりました。さらに、終点の浜坂駅では鳥取行きの普通列車に接続するため、鳥取駅までの時間短縮が図れる点も助かるポイントです。

さて、香住駅を出発すると、列車は再び山をトンネルで抜けていきます。次の鎧駅はホームの向こう側に海の絶景が広がる駅。駅は高台にあるため、海を見下ろす格好となり、その絶景は観光スポットになるほどです。そして、再びトンネルを通り抜けると、今度は高所を鉄橋で通っていきます。この鉄橋は「余部橋梁」。界隈では有名な橋梁で、41.5mの高さを誇ります。現在はコンクリート製ではあるものの、2010年7月まではトレッスル橋となっていました。先代の橋梁は1912年に造られ、通常であれば寿命は40年といわれるところを約100年近くも供用が続けられました。これは懸命な保守作業や維持管理によるものですが、一方で、老朽化や強風時の運行には課題感があったといわれています。実際に、1986年には余部橋梁を走行中の回送列車が突風にあおられた際に、橋梁から車両が転落、乗務員や橋梁下の工場で勤務する民間人を中心に、死傷者を出した事故も起きています。こういった背景から、現在のコンクリート橋に架け替えが行われています。それでも、旧橋梁の一部は観光施設として、橋上を歩けるように整備をされています。今回は通りかかっただけですが、余部橋梁には多くの観光客が訪れており、その人気の高さを目の当たりにしました。

鎧駅
鎧駅
余部橋梁からの景色
余部橋梁からの景色
余部橋梁の旧橋梁
余部橋梁の旧橋梁部分

ふと次に気づいた瞬間には、列車は既に浜坂駅へ到着。餘部鉄橋を目にした後、すっかり眠りに落ちていたようでした。急いで支度をして降車し、次の列車へ乗り換えていきます。最後に乗車するのは普通列車の鳥取行き。終点の鳥取駅まで乗車します。車両はキハ121形気動車の単行。1両しかないこともあり、車内は混雑。立ちで移動することとなりました。

浜坂駅
浜坂駅
特急はまかぜ号
特急はまかぜ号
山陰本線を走るキハ121形気動車
山陰本線を走るキハ121形気動車

浜坂駅を出発すると、兵庫県はラストスパート。浜坂駅周辺の市街地が終わると、再び列車はトンネルで山を突っ切っていきます。居組駅を出発すると、県境を通過し、鳥取県へと入ります。東浜駅付近で一瞬だけ日本海を眺め、今度は内陸へ入っていきます。その先も、田園風景と山間の景色を繰り返していきます。最後の途中駅、福部・鳥取駅間は意外と長く、その距離は11.2km。そのこともあり、景色はいつまでたっても都会らしくならず。この最後の区間でも山越えを経て、ようやく市街地へ到達。最後は高架を走行し、因美線の線路と交わると、ようやく終点の鳥取駅へ到着となります。

東浜駅付近
東浜駅付近
鳥取駅付近
鳥取駅付近
キハ121形気動車
キハ121形気動車
鳥取駅
鳥取駅

【17:00-】ホテルで一休みし、鳥取カレーに舌鼓

早朝からの京都駅からの移動をこなし、本日の最終目的地の鳥取駅へ到着。新幹線や特急列車の利用が手伝い、本日の移動は約400kmに及びました。比較的快適な移動が多かった一方、移動しっぱなしの日常が続き、疲れ気味なのでホテルで一休みしていきます。結論、本日のホテルは当たりだったので軽くご紹介します。

本日の宿泊先は「鳥取グリーンホテルモーリス」さん。鳥取駅から徒歩3分と便利な立地です。入ってすぐのロビーはどこかアジアのリゾートホテルを感じさせる落ち着いたシックな雰囲気。共用スペースにはラウンジや大浴場、漫画コーナーなどがあり、ゆったりするには最高の空間が広がっています。部屋はシングルルームを利用。ダブルベッドや広いデスクといった設備が特徴で、コンセントが多い点など、細かいところにも配慮が行き届いている点が好印象でした。宿泊料金は繁忙期にかかわらず、7,150円(素泊まり)。コスパの点でも優れたホテルです。

鳥取グリーンホテルモーリス
鳥取グリーンホテルモーリス
シングルルームの客室①
シングルルームの客室①
シングルルームの客室②
シングルルームの客室②
シングルルームの水回り
シングルルームの水回り

ちょっとした裏話ですが、今回の部屋は何とか押さえた一部屋。確か1週間前くらいの時点でこの日は鳥取近辺に宿泊することを決めていたものの、近隣の市町村を含めても、ギリギリまで宿泊場所の空きが見つからず。3日前になってようやく唯一空いたこの部屋を取ることができ、いまに至っています。今回は何とか運で救われましたが、これを反面教師として、GWシーズンの宿泊場所は早めに確保しておくことをおすすめします。

それでは最後に夕食へ。駅から徒歩9分の「スマイル工場」さんに立ち寄ります。ここはカレーのお店です。意外かもしれませんが、鳥取市はカレーの街で、「鳥取カレー」なるものがあります。その鳥取カレーを食べに来たわけです。といっても、特に定義はないのですが…。一方で、自由度が高いことの裏返しともいえます。実際、スタイルも様々らしく、鳥取にはカレーを提供するお店が多くあります。今回はオーソドックスなカツカレーを注文。スマイル工場のカレーはシャバシャバ系(粘度が少ない)で、スパイシーさが特徴の美味しいカレーでした。

スマイル工場
スマイル工場
スマイル工場における鳥取カレー
スマイル工場における鳥取カレー

それでは本日の旅程はこれにて終了。お疲れ様でした。

【YouTube】