【最長片道切符の旅#36】瀬戸内らしくない岡山旅

最長片道切符の旅36日目。本日は2023年5月5日(金・祝)。兵庫県の姫路駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅36日目】
■ 姫路駅 (6:35発)
↓ 山陽本線 普通
■ 岡山駅 (8:01着/8:22発)
↓ 津山線 普通
■ 津山駅 (9:52着/10:07発)
↓ 姫新線 普通
■ 新見駅 (11:50着/11:55発)
↓ 伯備線 普通
■ 倉敷駅 (13:04着)
■ 倉敷(岡山)観光
 ・昼食
 ・倉敷美観地区
 ・倉敷アイビースクエア
 ・倉紡記念館
 ・語らい座 大原本邸(旧大原家住宅)
■ 倉敷駅 (17:06発)
↓ 山陽本線 普通
■ 三原駅 (18:19着)

今日のメインは岡山県となります。岡山県は瀬戸内地方の一部ということもあり、瀬戸内海が彷彿されがちですが、岡山県内においては瀬戸内海を見るチャンスはなく(海は県境を越えてから)、それ以外の側面を楽しんでいく旅になりそうです。

【6:35発/8:01着】 山陽本線で岡山駅へ

昨日に引き続き、GW中の旅となります。他の観光客が動き出さないことを見越して、早朝から活動開始。姫路駅から早速移動していきます。

姫路駅
姫路駅

一本目の列車は山陽本線、普通 岡山行き。車両は全国レベルでは希少になりつつある国鉄車両の115系です。また、塗装は界隈では「末期色」(真っ黄色)と呼ばれる黄色一色のカラーリングです。古い車両ではありますが、内装はリニューアルされており、転換クロスシートの快適な車両となっています。

国鉄115系電車 (末期色)
国鉄115系電車 (末期色)

計画段階での読みが当たり、姫路駅出発時点では車内は比較的空いている様子。この後はどうなるかわかりませんが、とりあえず岡山駅までは安泰です。

姫路駅を出発すると、山陽新幹線や姫新線と分かれ、姫路市の市街地を進んでいきます。そして、網干駅を出発すると、網干総合車両所の横を通過します。兵庫県内はもちろん、大阪府や滋賀県などの山陽本線・東海道本線沿線の各所に支所や派出所を持つ、約130,000㎡(東京ドーム約3個分)の広大な車両基地・車両工場です。その広さは、高速で敷地横を通過しても、1分以上に渡り、車両所内の光景を目にすることができるほどです。網干総合車両所を通過すると、市街地らしい車窓は終わりとなり、少しずつ田園風景に移り変わっていきます。

網干総合車両所
網干総合車両所

山陽新幹線との乗換駅、相生駅を過ぎると赤穂線と分岐。ふとここで懸念が。それは「使う路線は赤穂線でなくて山陽本線で良かったのか」ということ。赤穂線も山陽本線と同様、岡山方面とを結ぶ路線ですが、赤穂線は山陽本線よりも海側を走る路線です。現在行っているのは”最長”片道切符なので、距離が長くないといけないのですが(今回は営業キロベース)、赤穂線の方が距離が長いとその時は思っていたのです。ところがどっこい、調べたところ、山陽本線の方が3.2km差で長いことが判明。計画が間違っていないようで、安心しました。山陽本線の方が距離が長い一方、路線の規格が優れていることから、所要時間は山陽本線の方が約30分から1時間程度短いという逆転現象が見られます。

相生駅
相生駅
赤穂線との分岐点(相生駅付近)
赤穂線との分岐点(相生駅付近)

その後、上郡駅では智頭急行線が分岐。鳥取方面への短絡ルートとして機能しており、山陽方面から鳥取方面を結ぶ特急列車は智頭急行線を経由していきます。また、上郡駅は兵庫県内最後の駅。同時に、この旅における近畿地方のルートはこれで制覇することとなりました。その後、船坂峠を通過すると列車は岡山県へ入り、次の三石駅へ到着します。上郡・三石駅間は12.8kmとなっており、JR西日本の在来線で最長距離となっています(2024年3月下旬時点)。岡山県へ入っても、大きく車窓は変わらず、基本的には田園風景を走行。和気・熊山駅間では吉井川を進行方向右手に見ながら進んでいきます。東岡山駅手前まで差し掛かると、先ほど分かれた赤穂線が合流。岡山市の市街地へ入り、終点の岡山駅へ到着します。

旭川(西川原・岡山駅間)
旭川(西川原・岡山駅間)
岡山駅
岡山駅
岡山駅に停車中の115系
岡山駅に停車中の115系

【8:22発/9:52着】縁起の良い駅が多い津山線で津山駅へ

岡山駅へ到着したところで乗り換え。列車を降りたところで、向かいの乗り場に停車中の381系、特急やくも号に遭遇。381系は定期運用に入っている唯一の国鉄特急型車両です。しかも、1日数本しか運転されないパノラマグリーン車が連結されていました。しかし、残念ながら381系電車は運用終了が近づいており、2024年6月に新型車両に置き換わる予定。これで国鉄型特急車両の歴史に幕を閉じようとしています。今回は乗車予定がないため、運用終了前に乗車することを決意し、今回はその場を後にしました。

国鉄381系電車のパノラマグリーン車両
国鉄381系電車のパノラマグリーン車両
国鉄381系側面
国鉄381系側面
岡山駅を出発する381系
岡山駅を出発する381系

岡山駅から乗車するのは津山線の普通 津山行き。津山線も国鉄時代の古い車両が行き来しており、今回も例に漏れず、キハ47形気動車に乗車することに。しかも、復刻塗装がなされており、昔の急行車両でよく見られたデザインに様変わりをしていました。

津山線のキハ47形気動車(国鉄急行復刻塗装)
津山線のキハ47形気動車(国鉄急行復刻塗装)

時刻は8時過ぎということもあり、列車内の座席は埋まっている様子。しかし、ホームから見た感じでは4両編成と大盤振る舞いで、階段から遠い方が空いているだろうと思いながら、編成の奥側へ向かって歩いていると、4両に見えた列車は実際は2両編成だったというオチ。2両編成が同じホームに2編成停まっており、連結されていたわけではなく、奥側の2両は停泊中の回送列車でした。紛らわしい!

ということで、結局座れぬまま岡山駅を出発していきます。少しの間、山陽本線と並走し、北方向へ分かれていきます。そしてまもなく、次の法界院駅へ到着。駅周辺は岡山市の文教地区になっており、多くの中高生(と思われる)が下車していきます。とはいえ、結局ここでも席を獲得できず、終点まで立つはめになったのですが。

法界院駅

法界院駅を出発すると、早速景色に田んぼが混ざり始め、玉柏駅を過ぎると、本格的に山間の景色へと変わっていきます。進行方向右手には旭川(あさひがわ)、左手は崖という険しい地形の中を走って行きます。この日は天気が良く、川面に周囲の山の風景が映っているのが印象的でした。その後も、旭川に沿いながら、田園風景になったり、山間に入ったりを繰り返しながら、岡山県を北進していきます。

旭川
旭川
津山線の車窓
一応岡山市北区内(岡山駅と同じ所在地)である。

津山線の旅の後半に入ると、金川・福渡・神目・誕生寺・亀甲などといった縁起の良い駅名といわれる駅を次々と通っていきます。津山線内にはこれを由来とした快速ことぶき号も走っており、ちょっとしたプロモーションの材料になっていることが伺えます。亀甲駅については駅名の通り、亀の甲羅型の建物に亀の首が飛び出ているような特徴のある駅舎が見どころです(目の部分が時計になっているのでやや不気味ですが)。ちなみに、亀甲駅のある美咲町はたまごかけごはん発祥の地といわれているようです。さらに列車は北上し、津山口駅手前で津山市の市街地へ入ると、終点の津山駅へ到着。ホームの柱などが木製となっており、どこか昭和な雰囲気のある駅へ降り立ち、さらに次へ進んでいきます。

金川駅
縁起の良い駅シリーズ①: 金川駅
旭川(建部・福渡駅間)
旭川(建部・福渡駅間)
福渡駅
縁起の良い駅シリーズ②: 福渡駅
縁起の良い駅シリーズ③: 神目駅
縁起の良い駅シリーズ④: 誕生寺駅
亀甲駅
縁起の良い駅シリーズ⑤: 亀甲駅。駅舎が亀形である。
津山駅に停車中のキハ47形気動車
津山駅に停車中のキハ47形気動車
津山駅

【10:07発/11:50着】姫新線で新見駅へ

津山駅では姫新線へ乗り換え。普通 新見行きに乗車していきます。姫新線は前日も姫路・東津山駅間で乗車してきましたが、本日は残りの区間の大半を乗車していきます。車両はJR西日本のローカル線でおなじみキハ120形気動車。車内のほとんどがロングシートで、利用者も割と多い中、奇跡的に数少ないボックスシートを取ることができました。

姫新線のキハ120形気動車
姫新線のキハ120形気動車

休みということもあり、多くの乗客を乗せて津山駅を出発。津山駅出発後、すぐに立派な扇形機関車庫が見えてきます。津山駅にはかつて津山機関区があり、その頃の面影をいまに伝える貴重な建造物です。現役ではないものの、国内で現存する扇形機関車庫の中では2番目の規模を誇り、その跡地は様々な国鉄型車両や機関車とともに、「津山まなびの鉄道館」という保存施設として活用されています。その後、津山線と分かれ、新見方面へ進んでいきます。津山市の市街地を抜けると、後はひたすら田園風景が続きます。途中の美作落合駅付近からは旭川に沿って進んでいきます。

吉井川(津山・院庄駅間)
吉井川(津山・院庄駅間)

正直なところ、あまり変わり映えしない景色が続きますが、まとまった市街地へ入ると、久世駅へ到着。真庭市の中心に所在する駅です。久世駅を出発後、旭川と山に囲まれたのどかな場所を走ると、再び市街地となり、中国勝山駅へ到着します。こちらも真庭市の重要な駅となります。また、姫新線の運行の要衝ともなっており、当駅を起終点とする列車もあります。いま乗車している姫新線の末端区間は利用状況が厳しいこともあり、その中間にある真庭市はその状況を危惧してか、姫新線の存続を図るべく、JR西日本の株を1億円分購入して「ものいう株主」になる旨を方針決定(2023年11月)したことが話題となった自治体です。中国勝山駅を出発すると、姫新線の末端のさらに末端に入り、この区間においては山間を通ることが多くなります。そして、終点の直前で新見市の市街地へ入り、新見駅へ到着します。

姫新線から見える典型的な田園風景①
姫新線から見える典型的な田園風景①
中国勝山駅
中国勝山駅
姫新線から見える典型的な田園風景②
姫新線から見える典型的な田園風景②
岩山駅
岩山駅

全体的に、車窓に大きな特徴はない割には乗車時間は約1時間40分に及ぶので、車窓に没入できず、座りすぎによるお尻の痛さと戦っていたというのが正直なところとなります。

新見駅停車中のキハ120形気動車
新見駅停車中のキハ120形気動車

【11:55発/13:04着】 山間の特急街道、伯備線で倉敷駅へ

新見駅に到着しても、まだまだ移動が続きます。5分で接続する伯備線の普通 西大寺行き(赤穂線直通)に乗車して、次は倉敷駅まで進んでいきます。そして、間髪入れず新見駅を出発。新見市は希少な和牛、千屋牛の産地で駅前に取扱店があるのを知っていたので、今回素通りになってしまったのが少し残念です。

新見駅を出発すると、すぐに姫新線が分岐して、伯備線の単独区間へ入っていきます。伯備線は先ほどの特急やくも号などが通る特急街道となっており、普通列車といえども、姫新線よりも安定した走りを見せていきます。一方で、新見市の市街地を抜けると、高梁川に沿った険しい地形の中を走って行きます。特に井倉駅付近ではカルスト地形が広がっている影響か、聳え立つ切り立った崖下に渓谷がある風景など、見応えのある景色を見せてくれます。その後も、途中の駅周辺以外は周りに家も建たないような雄大な自然を見ながら進んでいきます。

聳え立つ石灰岩(多分)(井倉駅付近)
聳え立つ石灰岩(多分)(井倉駅付近)
高梁川①
高梁川①

次の市街地が見えてくると、列車は備中高梁駅へ到着。備中高梁駅より倉敷方は単線から複線となり、輸送力が増強されています。その一方で、しばらく車窓は再び、高梁川に沿った雄大な車窓が続いていきます。次に市街地が広がると、列車は総社駅へ到着。まとまった人口があるため、ここから一気に乗客が押し寄せ、列車が急に混雑し始めます。次の清音駅で第三セクターの井原鉄道線が分岐(起点は総社駅)。一時的に山間を通るものの、その後は倉敷市の市街地へ入ると、目的地の倉敷駅へ到着します。

備中高梁駅
備中高梁駅。現存12天守の備中松山城が周辺にある。
高梁川②
高梁川②
高梁川と山陽道
高梁川と山陽道(清音・倉敷駅間)
213系電車
213系電車
倉敷駅の駅名標
倉敷駅の駅名標

【13:04-17:06】 大混雑の倉敷で翻弄されながらも観光

ここまでひたすら岡山県内を駆けずり回ってきましたが、一旦、歩みを止め、岡山県内の観光として倉敷観光をしていきます。しかし、駅の時点で既に混雑している様子。この時点で嫌な予感がしましたが、それが的中。予想通り、空きのコインロッカーが見つからないという事態に。倉敷駅付近には数箇所のコインロッカーがありますが、すべての場所を巡ったものの、空いていないという困難に直面。最後の砦である観光案内所に飛び込んで、何とか荷物を預かって頂くことができました。

倉敷駅

観光の態勢が整ったところで、次は昼食タイムに。倉敷の名物はぶっかけうどん。今回はぶっかけうどんの生みの親である「ふるいち」へ向かいます。街なかは人が多いものの、ピークタイムは過ぎているから大丈夫だろうと鷹をくくっていましたが、実際に店舗へ向かうと店の前には約10人程度が列を作っていました。そこで、もう一つの候補のお店に行ってみるも、そこも入店まで時間がかかりそうだったので、とりあえず空腹に耐えながら観光することに。

今回のお目当ては「倉敷美観地区」。ということで、その方面へ向かったものの、至るところ人・人・人。
混雑度の見立てが甘かったなと反省。しかし、江戸時代から残された商家や蔵などから構成される美観地区はなかなか整っていて美しいことに変わりはありません。

このような景観が形成されたきっかけは江戸時代の1642年のこと。倉敷一帯は江戸幕府の直轄地である天領として定められ、倉敷代官所が設置されました。また、現在の景観地区の中心となる倉敷川は水運を担う運河として活用され、周辺には多くの商人たちが集結。屋敷や蔵が立ち並んだことで、現在の街並みの基礎がつくられています。

倉敷美観地区
倉敷美観地区
倉敷美観地区の街並み
倉敷美観地区の街並み(2021年1月2日撮影)
倉敷美観地区の路地裏
倉敷美観地区の路地裏

一方で、明治以降も倉敷の街並みの変遷が続いていきます。その象徴となるのが「倉敷アイビースクエア」です。倉敷アイビースクエアは「クラボウ」こと、倉敷紡績の旧本社工場を活用した複合施設。建物自体は1889年竣工しており、倉敷の産業発展の象徴となっている場所です。赤れんがの門や外壁に沿ったツタがその歴史を物語っていてよい雰囲気を出しています。現在は宿泊施設やレストラン、ショップなどがあり、観光スポットの一つとなっています。そして、倉敷アイビースクエアに隣接する形で、「倉紡記念館」があり、今回はそちらを訪問してみました。

倉敷アイビースクエア
倉敷アイビースクエア正面入口
倉敷アイビースクエア
倉敷アイビースクエア(2021年1月2日撮影)

倉紡記念館はクラボウの歴史を伝える展示施設で、倉敷紡績の沿革はもちろん、明治以降の倉敷の街の移り変わりを間接的に知ることができる場所です。クラボウの創業は1888年。綿花栽培が盛んだった倉敷の地で紡績産業を手掛ける企業として、大原孝四郎によって創始されました。その後、2代目社長の大原孫三郎によって事業拡大が行われました。孫三郎は「従業員の幸福なくして事業の繁栄はなし」という労働理想主義を掲げ、よりよい労働環境を提供することで、より優れた従業員を育てることに力を注ぎました。その過程で作られたのが倉敷中央病院。従業員の福利厚生の一環で創立し、現在も一般向けの総合病院として市民の健康を支えています。また、孫三郎は街の発展にも一役買った人物であり、倉敷美観地区のメイン施設のひとつ、西洋美術をテーマとした「大原美術館」の創立にも関わっています。つまり、美観地区の成り立ちは江戸時代をきっかけとしながらも、明治以降の産業発展によって良い意味でパラダイムシフトしてきたことがよくわかります。

倉紡記念館
倉紡記念館

ちなみに、クラボウはその後、レーヨンやウールなどの新規の繊維事業への多角化も開始。有名な企業、クラレ(旧・倉敷絹織)はその過程で創立した企業です。そのおかげもあり、世界恐慌の大不況を行き抜き、今度はあらゆる企業を傘下に収める形で、繊維事業以外の事業にも参入。現在もなお、時代に合わせて進化しながら存続しています。

それにしても、色々と感銘を受けました。常に貢献をし続ける姿勢と行動が大切という、当たり前ではあるものの、重要なことを孫三郎の姿から再認識させられた次第です。いまの倉敷の美観地区を築き上げたのは恐らく、孫三郎によるクラボウの発展と文化活動があったからでしょう。もちろん、資金力があったからこそ、このようなことができたとは思いますが、その資金を私欲のために使わなかった孫三郎の自制心と他者貢献できる姿勢にはリスペクトしました。

とまあ、それらしきことを書いていますが、訪問当時の自分は完全な空腹状態で内容がまるで頭に入って来なかったのが正直なところ。上記の感想は展示内容を写真に記録してそれを見返しての感想となります(館内は写真撮影可)。

この時点で15時。もうさすが空腹に耐えきれなくなってきたので、先ほどの「ふるいち」にもう一度リベンジ。この時間帯でも多少待ちましたが、約5分の待ち時間で入店が叶いました。今回はぶっかけうどんとミニ野菜天丼をセット注文。ぶっかけうどんは普通盛で注文しましたが、量とコシがあるため、これ単体でもボリューム満点です。本当は豪快に混ぜるのが王道らしかったですが、それも忘れて、無心でうどんをすすっていました。野菜天丼もタレが染み込んでおり、美味しく頂きました。

ふるいち
ぶっかけうどんとミニ野菜天丼
ぶっかけうどんとミニ野菜天丼

遅めのお昼を終え、倉敷美観地区の観光を再開。腹ごなしに周辺を散歩の後、最後に「語らい座 大原本邸」を訪ねます。別名「旧大原家住宅」ともいい、文字通り、クラボウの創業家である大原家に代々受け継がれてきた屋敷です。実際のところは創業者の孝四郎以前の代より継がれており、大原家3代目、金基の時代(1795年)に建築が始まり、増築を繰り返しいまの姿となったとのこと。外観は倉敷の街並みに溶け込んでおり、白壁に立派な瓦葺きの建物が特徴です。

倉敷川
倉敷川
大原美術館
大原美術館(今回は行っていない)

内装は当時の生活の面影が残っているのはもちろんですが、施設のコンセプトとして、「時代時代の先端性・本質性を表現し、今とこれからを考え語り合う場」を掲げており、これが展示内容に反映されている箇所が散見されます。それを窺えるのが土間に飾られた大原家メンバーの言葉。

「最後まで根気強くやるほうがゴールにたどり着く」
「それが本当に正しいのかどうか」
「いはゆる安全の道は進歩も工夫もないものである」

このような言葉の金型が展示されており、物理的にそれらの言葉を浴びる仕掛けが面白いです。中には親から子に向けて放たれたと思われる言葉も散見し、銘家の子孫にとってはプレッシャーになった側面がありながらも、恐らくは人生の行き字引的な人が目の前にいることで何かインスパイアを受けるものもあるのかなと思ったり。

倉紡創設者大原一族による言葉
倉紡創設者大原一族による言葉

敷地の少し奥に入ったところには孫三郎の息子である総一郎の書斎をイメージしたブックカフェが(休憩所も兼ねている)。そこには様々な内容の書籍が約2,000冊あり、これだけの量の書籍が本当に当時から置かれていたのであれば、大原一族のえげつない読書量を感じさせます。そのジャンルはビジネスや繊維に関する直接仕事に関係しそうなものから、哲学などリベラルアートに関するものや民藝に関する趣味的な本まで。守備範囲の広さもえげつないです。

一方で、孫三郎らが趣味を嗜みながらくつろぐための離れ座敷も敷地内にあります。恐らく、いまでいう「ワークライフバランス」というやつでしょうか。なるほど、経営者たるもの、休む時間も大切にするのかと感心させられます。常にせわしなく動き回る現代人が見習わなければならないところなのかもしれません。

語らい座 大原本邸(旧大原家住宅)
語らい座 大原本邸(旧大原家住宅)の一角

これにて倉敷観光は終了。今回はあくまでも、倉敷美観地区のごく一部を訪問したにすぎませんが、倉敷の街並みとその変遷に大きく関わった大原家やクラボウの沿革を学べ、有意義な時間を過ごしました。ただし、今回は混みすぎていたので、また、空いているタイミングを狙って再訪したいところです。

【17:06発/18:19着】 県境を越えてようやく広がる瀬戸内海を見ながら三原駅へ

激混みな状況に色々翻弄されましたが、何とか倉敷観光を終え、倉敷駅から移動を再開していきます。乗車するのは山陽本線の普通 三原行きです。この時間帯も倉敷駅は結構混雑している様子。ほとんどの乗客は岡山方面に向かう様子でしたが、これから向かう福山・三原方面に向かう人もそれなりに多かった印象です。

山陽本線の213系電車
山陽本線の213系電車

岡山駅始発の列車が入線するも、座れることはなく、混雑した状態で倉敷駅を出発。先ほど通った伯備線が分岐していき、西の方角へ進んでいきます。次の西阿知駅を出発し、高梁川を渡るとまもなく、新倉敷駅へ到着。山陽新幹線への乗換駅です。目的地の三原駅は新幹線駅なので、ここから新幹線を使いたくなりますが、ここは我慢して先へ進みます(多分制度的には使えると思うが)。新倉敷駅の次は金光駅。神道十三派の一つ、金光教の本拠地の最寄り駅です。車窓を見る限りは特別な建物や施設は見当たりませんでしたが、2019年までは金光教信者向けの団体臨時列車が大阪駅から運転されており、行事の際はアクセス駅として活用されていたようです。そして、しばらく走行すると、笠岡駅へ到着。岡山県最後の駅です。笠岡駅を出発すると、数回程度一瞬だけ車窓に海が映ります。その後、車窓が一時的に山間らしくなり、その間に県境を通過、広島県へ入ります。

広島県へ入るとしばらく、福山市の市街地を走り、福山駅へ到着。混雑していた列車にある程度乗客の流動が起こり、ようやくここで座席を獲得。乗車中の213系の座席は転換クロスシートのため、一度座席が獲得できれば後は安泰です。とはいえ、周囲を見回すと、まだ混雑は収まっていないようでした。ちなみに、福山駅のすぐそばには福山城があり、その姿を見ることができます。そして、東尾道駅を過ぎたところで、ようやく海が見え、やっと瀬戸内地方にいることを実感することとなります。正確には尾道水道で、その向かいには向島という離島を見ることができます。造船所のクレーンなども見受けられ、港湾都市としての威厳を感じさせます。尾道駅を出発すると、車内の混雑がだいぶ緩和し、尾道市の市街地を抜けると、瀬戸内海の景色が目の前いっぱいに広がります。恐らく、山陽本線有数の絶景区間になると思われます(全区間乗ったことはないが)。また、沿岸に立つ工場や倉庫の景色も車窓にある意味彩りを加えてくれます(建物の色自体は大抵モノカラーだが)。そして、運行拠点として広い留置線を持つ糸崎駅を出発すると、市街地へ到達し、終点の三原駅へ到着。こちらが本日の最終目的地です。長丁場の移動となり、なかなか疲れました。

福山駅
福山駅(福山城は捕らえられず)
尾道水道と日立造船
尾道水道と向島にある日立造船
瀬戸内海(尾道・糸崎駅間)
糸崎駅の留置線
糸崎駅の留置線
三原駅と三原市街
三原駅と三原市街
三原駅停車中の213系電車
三原駅停車中の213系電車
三原駅
三原駅

さて、その日の夜ですが、お昼のうどんが食べ応えがあったので、セブンイレブンのおにぎりなどで適当に済ませたので大したことはせずに一日を終えました。ただし、デザートとして購入した瀬戸内産はっさくゼリーが美味しく、これでようやく瀬戸内に来た体感を得るに至りました。

はっさくゼリー
はっさくゼリー

ということで、本日の旅程はこれにて終了です。お疲れ様でした。

【YouTube】