【最長片道切符の旅#39】山口県のローカル区間を越え、ついに九州入り!

最長片道切符の旅39日目。本日は2023年5月8日(月)。山口県の厚狭駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅39日目】
■ 厚狭駅 (8:34発)
↓ 美祢線 普通
■ 長門市駅 (9:38着/9:44発)
↓ 山陰本線・山陽本線 普通
■ 下関駅 (11:43着)
■ 下関観光
  ・昼食
 ● 下関駅 (12:42発)
 ↓ サンデン交通 (バス)
 ● 御裳川 (12:53着)
  ・みもすそ川公園
  ・火の山
  ・関門トンネル人道
 ● 御裳川 (14:50発)
 ↓ サンデン交通 (バス)
 ● 下関駅 (15:01着)
■ 下関駅 (15:16発)
↓ 山陽本線・鹿児島本線 普通
■ 小倉駅 (15:30着/15:42発)
↓ 日豊本線 特急ソニック33号
■ 大分駅 (17:01着/17:06発)
↓ 日豊本線 特急にちりん13号
■ 臼杵駅 (17:39着)

今回でついに本州を制覇し、ついに九州入りをしていきます。

本日のルート(動画から抜粋)

※投稿時点(2024年5月)における鉄道不通区間を含んでいます。該当路線の沿線にお出かけの際は最新情報をご確認下さい。

【8:34発/9:38着】 もはやローカル線の幹線、美祢線で長門市駅へ

それでは厚狭駅から本日の旅をスタートしていきます。前日まで3日連続の6時台出発が続いていましたが、ようやく本日はその記録が打ち切られる形となり、多少疲労が回復した気がします。そして、前日をもってGWが終わり、世間は日常を取り戻しつつある中、通学ラッシュを避ける目的で本日の出発時刻を遅めに設定していたという経緯もあります。

厚狭駅
厚狭駅

本日1本目の列車は美祢線 長門市行き。終点の長門市駅まで乗り通します。車両はキハ120形気動車の2両編成。いままで乗ったキハ120形には気持ち程度にクロスシートが含まれていましたが、美祢線で使われるキハ120形気動車はすべてロングシート。旅行者への忖度は全くありません(悪いとは一言もいっていない)。意外なことにこの時間帯でも通学客の方が多い様子で、今回は空いている後方の車両に乗車しましたが、それでも座席の7割程度が埋まっていました。

美祢線を走るキハ120形気動車
美祢線を走るキハ120形気動車

厚狭駅を出発すると間髪を入れず、山陽本線から逃げるようにして分岐。日本海側を目指して北進していきます。また、厚狭川にしばらく沿って行きます。

厚狭駅出発後
厚狭駅を出発すると山陽新幹線・山陽本線からすぐ離れる。

ところで、今回は普通に鉄道で旅をしていましたが、この約2か月後、2023年6月末の大雨によって厚狭川が氾濫。これにより、美祢線の線路設備に甚大な被害が発生し、投稿時点(2024.5)では全線で運転見合わせ、バス代行が行われています。美祢線は2010年7月にも厚狭川の氾濫で同じように甚大な被害を受けており、全線復旧まで約1年3カ月を要していましたが、当時はまさか同じことが繰り返されるようになるとは思ってもおらず…。ちなみに、詳しくは後述しますが、歴史的な経緯で美祢線は収支が取れていない路線のため、JR西日本は復旧に慎重な姿勢を取っており、復旧するかどうかも公言されていない状態です。

さて、話を戻し、厚狭駅を過ぎると厚狭市街はすぐに終わり、今度は田園風景に。鴨ノ庄信号場を通過してしばらく、次の湯ノ峠駅に差し掛かると、車窓は基本的に山間らしい風景が続きます。沿線がこんな状況なので、線路は単線、1-2両編成のキハ120形気動車しか往来しない路線ではあるものの、途中の駅のほとんどは交換可能駅。駅構内における有効長も長めに取られているのが少しギャップのある光景となっています。

厚狭川
厚狭川(湯ノ峠・厚保駅間)
厚保駅構内
厚保駅構内。交換設備があり有効長も長い。

途中の南大嶺駅は駅舎側からホームと線路が交互に配置された2面2線の駅(かつての山手線の渋谷駅みたいな構造)。しかし、かつては2面3線で、1997年までは美祢線の「大嶺支線」が南大嶺駅から出ていました。大嶺支線は南大嶺・大嶺駅間の1駅間のみを結ぶ路線で、旧大嶺炭田で採掘された石炭を宇部方面へ運搬するために開通しました。美祢線の最初の開通区間も厚狭・大嶺駅間のため、大嶺支線は美祢線の開通経緯に大きく関わったことがわかります。しかし、大嶺炭田は1970年に閉山。その後は貨物・旅客ともに需要が減少し、大嶺支線は1997年に廃止となっています。このような経緯から南大嶺駅構内や南大嶺駅を出発した直後には大嶺支線の線路が通っていた跡が確認できます。

南大嶺駅
南大嶺駅
大嶺支線の廃線跡と思われるところ①
大嶺支線の廃線跡と思われるところ①
大嶺支線の廃線跡と思われるところ②
大嶺支線の廃線跡と思われるところ②(左下の杭がある辺り)

南大嶺駅を出発すると、景色が開くようになり、やがて市街地へ入ります。この辺りが美祢市の中心部にあたり、美祢線の主要駅である美祢駅へと入ります。一見、2面3線の立派な駅に見えますが、実態は無人駅、現在稼働しているのは駅舎側の1面1線のみとなっており、その寂れ具合がよくわかります。とはいっても、主要駅であることには変わりなく、厚狭駅から乗車していた高校生の皆さんがここで一気に下車。自分の車両はまさかの貸切状態となって美祢駅を出発することになりました(先頭車両は座席の2割程度が埋まっていたが)。

美祢駅
美祢駅
キハ120形気動車車内
貸切状態の車内

美祢駅を出発すると、何やら複数の線路が本線横に現れるようになります。これは「美祢ヤード」という操車場。かつてはここから約2km離れたセメント工場へ向けて専用線があり、石灰の輸送にも貢献をしていました。石灰は宇部方面、ならびに島根県の浜田方面にも運び出されていましたが、トラック輸送に置き換えが進み、専用線は1998年に廃止、美祢ヤードやここを発着する貨物列車も2014年に廃止となっています。美祢ヤードにおいてはその頃の面影が現在でも残されていますが、ところどころは自然に還りつつあり、一部は草どころか木まで生えている箇所も見られました。

美祢ヤード
美祢ヤード

先ほどの石炭輸送も含めて、美祢線は旅客というよりは貨物輸送で栄えてきた路線であり、有効長のある交換可能駅が設けられていたのも、貨物輸送が盛んだったことに由来するものなのです。JRの路線の分類で、旅客人数や貨物量に応じた「幹線」と「地方交通線」という2種類が存在しますが、美祢線では「幹線」としての分類がなされるほどで、これは現在でもそのまま名残となっています。しかし、いまとなっては貨物営業もなく、ローカル線同然の状態となっているという経緯です。輸送手段としての美祢線が廃れる一方で、美祢市における石灰の生産はまだ盛んに行われており、沿線では白い岩肌が際立つ石灰の鉱山がところどころに見ることができます。

さて、美祢市の市街地を通り抜けた後は田園地帯を通り、於福駅へ。於福駅の先は山間へ入り、大ヶ峠(おおがたお)という峠区間をトンネルで通過し、山を越えていきます。ここで厚狭駅付近から続いた厚狭川は見納めとなります。その後は深川川(ふかわがわ)に沿って山間を進んでいくと、周囲に温泉街が広がります。これが長門湯本温泉で、深川川を中心にお洒落な公衆浴場があったり、立派な旅館が林立する景観のよい街並みが広がります(筆者は訪問歴あり)長門湯本温泉の温泉街を過ぎたあたりに長門湯本駅があり、温泉街へは徒歩10分と比較的アクセスも良いです。

大ヶ峠の峠区間
大ヶ峠の峠区間
長門湯本温泉の温泉街
長門湯本温泉の温泉街
長門湯本駅
長門湯本駅

さて、長門湯本駅を過ぎると、少しずつ長門市の市街地へ進入。山陰本線の線路へ合流すると終点の長門市駅へ到着です。厚狭駅からは約1時間の旅路となりました。結局、美祢駅以降、自分の車両に乗客が来ることはなく、快適な移動時間でした。

キハ120形気動車(長門市駅にて)
キハ120形気動車(長門市駅にて)

【9:44発/11:43着】きれいな日本海の景色を眺めながら本州最後の地、下関へ

美祢線で長門市駅に到着した後は山陰本線に乗り換えていきます。次の列車は普通 下関行き。これで終点の下関駅まで乗車します。車両は2両編成のキハ47形気動車、塗装はいわゆる「たらこ色」で、国鉄の面影がふんだんに残る雰囲気の良い車両です。車内はボックス席が中心で、快適に移動ができそうです。

長門市駅の駅名標
長門市駅の駅名標(山陰本線側)
長門市駅旧0番線ホーム
長門市駅旧0番線ホームには観光名所元乃隅神社に因んで千本鳥居らしきオブジェがある。
山陰本線キハ47形気動車+美祢線キハ120形気動車
山陰本線キハ47形気動車+美祢線キハ120形気動車

長門市駅を出発して、長門市の市街地を抜けると早々に深川湾の景色がお目見え。昨日の大雨から一転、今日は晴れており、エメラルドグリーンの海と対岸にある青海島が一望できました。黄波戸駅からは向津具(むかつく)半島の付け根付近の田園地帯を進んでいきます。再び海が見えるのは伊上駅付近から。海を挟んで向こう側には向津具(むかつく)半島の先端付近が見えてきます。その半島の名前とは裏腹に、心を穏やかにしてくれる景色です。

深川湾から見る向津具半島
深川湾から見る向津具半島 (伊上・長門粟野駅間)

長門粟野駅を過ぎると、粟野川にかかる橋梁を渡ります。先ほどの美祢線だけでなく、同時期にこの粟野川でも大雨による増水が発生し、投稿時点ではこの区間を含む長門市・小串駅間で運転見合わせ(バス代行)の状態が長期で続いています。しかし、こちらについては2025年度中に全線復旧の目途が立っており、少し先にはなるものの、このきれいな車窓が見られる日がまた来そうです。

長門粟野駅からは山間を進み、難読駅名として名高い特牛駅がお目見え。これで「こっとい」と読みます。名前の由来としては地名の「コトイ」で、この由来としては牝牛を表す方言の「コトイ」や、小さな入り江を表す「琴江」に由来するなどあらゆる説があるようです。長門二見駅を過ぎると再び海が広がり、響灘の景色が一望できます。この周辺ではJR西日本のローカル線おなじみの「必殺徐行」(災害の危険性がある区間における25km/h制限)が行われます。長大な山陰本線とはいえど、山口県の区間は完全にローカル線としての扱いになるようです。

特牛駅
難読駅で有名な特牛駅
響灘の風景
響灘の風景 (長門二見・宇賀本郷駅間)

しばらく海が断続的に見える区間を走り、まとまった市街地に入ると小串駅へ到着。投稿時点において、ここから先は通常通り鉄道での運行が行われています。ここが下関の近郊区間の境目という扱いになるのか、小串駅を起終点とする列車が多く、いままで日中2時間に1本の運行間隔が、1時間に1本へ倍増します。

小串駅
小串駅

小串駅の次は川棚温泉駅。ここから乗客が一気に増え始め、ガラガラだった車内もここで空のボックス席はなくなるほどの利用状況となりました。ちなみにこの周辺には駅名の通り、川棚温泉がありますが、駅からは約2km離れたところにあるので、車窓から温泉街は見えません。また、山口県の名物の一つ、瓦そば(瓦型の鉄板のうえに茶そば・錦糸卵・牛肉をのせた料理)がありますが、その発祥地でもあるようです。

その後、吉見・安岡駅間で再度響灘の景色を一望すると、いよいよ下関の市街地へ入っていきます。この区間で次々と乗客を拾っていき、数人程度の立ち客も発生するくらいになりました。綾羅木駅を出発してしばらく、山陽本線へ合流し、次の幡生駅で山陰本線の区間が終わりとなります。ただし、列車はそのまま山陽本線へ乗り入れ、終点の下関駅まで直通していきます。

響灘
響灘 (吉見・福江駅間)
幡生駅
山陰本線の終着駅である幡生駅

下関市は山口県最大の人口を誇る場所(人口24.2万人 ※2024.4現在)。下関駅へ近づくにつれ、景色は徐々に都会的になり、終点の下関駅へ入線します。下関駅は今回の旅における本州最後の駅であると同時に、これをもってJR西日本の区間を踏破したことになります。

山陰本線キハ47形気動車
山陰本線キハ47形気動車
下関駅ホーム+駅名標
下関駅ホーム+駅名標

【11:43/15:16】 関門海峡を散策し、九州へフライング

山陰本線へ下関駅へ到着。下関駅で一旦途中下車して、本州最後、山口県下関市内の散策をしていきます。下関駅から目的地までバスで移動しますが、バスまでの約1時間で昼食とします。

下関駅
下関駅

とはいえ、撮影や荷物を預けたりなどをしていたらバスまでの残り時間はあと45分に。駅前に商業施設がそれなりにあるので、その界隈でさっと済ませることになりそうです。とはいえ、下関といえば瓦そばやフグなど名物も多いので、できる限りそういったものも味わいたいところ。今回は瓦そばを食べようとして、Google先生に瓦そばのあるお店を検索して、候補にでてきた大丸デパートのそば屋へ向かいます。そのお店へ到着して店先のショーケースでフグの食品サンプルもあったので期待して入店。

いざ入店してメニューを見ると瓦そばはおろか、フグもないではないか。いまさらお店を出るのもなんなので、普通のそばを注文しました。名物は逃したものの、美味しかったので一旦はそれでよいことに。お店を出た際にもう一度お店のショーケースを見ると、先ほど見たショーケースはどうやら隣のお店のものだった様子。完全に自分の早とちりだったようです。ただ、瓦そばの取扱いという点においてはGoogle先生に嘘をつかれたのも事実。”No One’s Perfect”ということなのでしょう。

辛肉つけそば
「辛肉つけそば」的なもの。(メニュー名忘れた)

それでは駅前のバスターミナルからバスに乗車して目的地へ。途中、市場など観光スポットの多い唐戸を通りますが、今回はスルー。駅から約10分の「御裳川」(みもすそがわ)バス停で下車しました。バス停周辺には関門海峡と上空には関門橋があります。

下関駅からバス移動
下関駅からバス移動

まずはバス停すぐのところにある「みもすそ川公園」へ。関門海峡が一望できるスポットです。海峡上では頻繁に貨物船が往来している様子が見られ、それだけでも個人的には楽しいスポットです。調べてみると、釜山や上海方面とを結ぶ貨物船も関門海峡を通るらしく、航路としても結構重宝されている様子です。一方で、潮流が速く、向きも変わりやすいことなどから難所としても知られており、航行の際は水先案内人の同乗が必要なようです。

御裳川バス停
御裳川バス停
関門橋
すぐそこに関門橋というロケーション
関門海峡と貨物船
関門海峡と貨物船

景色だけでも見応えがあるみもすそ川公園ですが、周辺では歴史上重要なできごとがいくつか起こっています。そのひとつが1185年の源平合戦である壇ノ浦の戦い。園内は古戦場でもあり、源氏を率いる源義経と平氏を率いる平知盛が戦い、平氏が滅びることになった場所でもあります。その歴史を伝える両軍の主将の像が園内に建てられています。ちなみに、当初は平氏の方が優勢だったものの、源氏の勝利の決め手のひとつになったのが関門海峡の潮流の向きの変化。これにより源氏が勢いを盛り返し、最終的に平家を打ち破ったそうです。

壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦いを伝える源平両軍主将(源義経・平知盛)の像

もう一つは1863年に関門海峡で行われた下関戦争。不平等な条件で開国が行われていた状況に不満を持った攘夷派の長州藩が関門海峡を通りがかった欧米列強の船舶を攻撃。これにより、欧米列強(英仏蘭米)から報復を受け、長州藩が敗退したという出来事です。これをきっかけに長州藩も軍備の西洋化を進め、明治維新への大きな切り札になった歴史上重要な事件の舞台となっています。この出来事をいまでも伝えるのが園内にある長州砲のレプリカ。長州砲は関門海峡の方向を向いており、一部は硬貨を入れると砲撃音と煙が出る仕組みとなっています。遠くからこの状況を見ていると、下関戦争の雰囲気がなんとなくわかるのかもしれません。

長州砲
下関戦争の歴史を伝える長州砲
長州砲
長州砲は関門海峡の方向へ向いている。

次に御裳川バス停からそのまま歩き向かったのが「火の山」。こちらも色々見どころがあるスポットです。山麓からは火の山ロープウェイがあるので、これで山上方面へ。山上の駅からさらに少し上ると展望台があり、ここから関門海峡を見下ろすことができます。ほかにも、下関市街や九州の門司・小倉の市街地、さらには宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地である巌流島も見渡せます。この景色を見て、「この旅もここまできたかー」と実感することに。

みもすそ川公園から見る火の山
みもすそ川公園から見る火の山
火の山入口
火の山入口
火の山ロープウェイ 壇の浦駅
火の山ロープウェイ 壇の浦駅(麓側)
火の山ロープウェイ まんじゅ号
火の山ロープウェイ まんじゅ号
関門海峡
火の山の展望台から見る関門海峡

また、火の山はかつて大日本帝国陸軍の要塞となっていた時期があることから、当時の砲台や弾薬庫の痕跡が多数残されており、少しながらこういった場所も見て回ってきました。こういった経緯から要塞が現役だった頃は一般人の入山は禁止、写真撮影も禁止されていたようです。また、春の時期にサクラ・ツツジ・チューリップなどが咲き乱れ、この時は見る時間はなかったものの、ほかにも見どころはあるようでした。また、猫が多いので(特に黒猫)猫好きにとっても楽しめるかもしれません。

火の山の旧弾薬庫と思われる施設
火の山の旧弾薬庫と思われる施設
火の山の旧弾薬庫と思われる施設の中
火の山の旧弾薬庫と思われる施設の中

あっという間にタイムアップとなり、再度火の山ロープウェイで下山。火の山ロープウェイは当時訪れたときもどこかレトロ感がありましたが、実際に老朽化しているようで、2024年11月で営業終了を迎えるとのこと。2027年春には新しくパルスゴンドラの運行が開始されるようです。

火の山ロープウェイ 火の山駅
火の山ロープウェイ 火の山駅(山上側)

それでは火の山を下り、再度御裳川バス停付近へ。せっかく関門橋の袂まで来ているので、関門海峡を越えない手はありません。ただし、頭上の関門橋は自動車道のため、歩行者でも通り抜けのできる関門トンネルの人道を利用していきます。その人道入口が御裳川バス停のすぐ近くにあります。人道入口には「関門プラザ」という施設があり、トイレや関門トンネルに関する展示室、小規模ながらフードコーナーも設けられています。

関門プラザ
関門プラザ
関門トンネル人道入口(下関側)
関門トンネル人道入口(下関側)

今回は時間がないのでそのままトンネル方面へ。アクセス用のエレベーターで地下へ下ります。歩行者の通行料は無料ですが、自転車や原付は20円となっており、エレベーター前の料金箱に通行料を入れる仕組みになっています。地下のトンネル入口の箇所はちょっとした広場になっており、そこには国道2号の”おにぎり”が。この直上に国道2号の車道があり、この人道はその歩道として位置づけられているようです(関門橋は関門自動車道)。人道の長さは780m。思った以上に手軽に歩けていってしまいます。実際、観光客だけではなく、地元の方のウォーキングやジョギングコースとしても利用されているようで、それなりに歩いている人が見られました。そして、中間付近で県境を通過。しっかりと県境部分が明示されており、九州へ渡った時の実感が得られました。あくまでもこれは鉄道旅ですが、鉄道で九州入りをする前に、九州の地を踏むというわけのわからないことが発生するのでした。

人道入口 (地下階・下関側)にあるパネル
人道入口 (地下階・下関側)にあるパネル
人道入口 (下関側)
人道入口 (下関側)
関門トンネル人道
関門トンネル人道
山口・福岡県境
山口・福岡県境

人道の九州・門司側へ到着。こちらも下関側と同様、広場となっており、地上とはエレベーターで行き来をする仕組みです。せっかくなので、少しだけ地上も見ていきます。門司側の人道入口付近はこじんまりとしており、小さくレトロな飲食店と和布刈神社があるのみ。下関側の関門プラザに相当するような施設はありませんでした。

関門トンネル人道入口 (門司側)
関門トンネル人道入口 (門司側)
門司から本州方面を望む
門司から本州方面を望む

この時点で、下関駅方面へのバスの時間まで20分を切っていたので、速足で下関側まで折り返し。一旦、九州側に渡ったのであれば、そのまま九州から鉄道に乗車するという手もありましたが(近くから門司港・小倉方面へのバスがある)、これだと最長片道切符の旅の意義が薄れるような気がしたため、今回は厳格に対応することに。

人道入口 (門司側)
人道入口 (門司側)
福岡・山口県境
再度、山口県へ戻る。

それでは無事にバスに間に合い、御裳川バス停より下関駅へ帰還。本州最後の旅をこれにて締めくくりました。

下関駅
下関駅

【15:16発/15:30着】 ついに(正式に)九州上陸!関門トンネルを通り、小倉駅へ

それでは下関駅より移動を再開していきます。次に乗車するのは山陽本線の普通 小倉行き。ここからはJR九州の管轄区間に入るため、車両もJR九州所属の415系電車となります。ちなみに、下関駅では案内上の表現で「九州方面」という言葉が至るところで使われており、一見、言葉の響きではアバウトな印象ではあるものの、下関だからこそ使える表現なのでしょう。

JR九州の415系電車
JR九州415系電車
下関駅の案内表示
下関駅の案内表示。「九州方面」と記載されている。

さて、下関駅を出発すると、進行方向左手には下関貨物駅、右手には下関総合車両所運用検修センターの線路が広がり、左右合わせると数十本の線路がある格好となり、ターミナル感が漂います。その後は造船所など港町の工業地帯の景色を見ると、下からカーテンがかけられるかのごとく、車窓は見えなくなり、鉄道の関門トンネルへ入っていきます。さらば本州。ちなみに、鉄道の関門トンネルは先ほど歩いた国道や人道の関門トンネルとは異なる場所に設置されており、その長さは約3.6km。上下線で別にトンネルが設けられており、若干長さが異なります。また、山陽新幹線のトンネル、新関門トンネルは火の山の直下付近を通過しています。

下関貨物駅
下関貨物駅
下関市内の車窓
本州最後の車窓
関門トンネル
関門トンネル通過中 (映しても意味ないが…)

自分にとって、在来線を関門トンネルで越えるのは初めての経験で特別感があるものの、車内は特に変わった放送が流れるわけでも、浮ついた雰囲気が流れるわけでもなく、いたって普通な電車の中といった感じ(おまけに平日だからというのもあると思う)。車内は半分近く座席が埋まっており、恐らく地元の方にとって九州との行き来はそこまで特別でもないような印象を受けました。

関門トンネルを抜け、地上へ抜けると、ほどなくして門司駅へ到着。神戸駅から続いた山陽本線の区間はここまでとなり、そのまま鹿児島本線の区間へ入っていきます。門司駅を出発すると、今度は北九州貨物ターミナル駅を見ながら進んでいきます。構内の線路の本数は多く、九州の玄関口という雰囲気がありました。一方で、使われていない線路が多く、草どころか木が生えているところも。ここまで来ると逆に美しさを感じてしまうのは自分だけでしょうか。

門司駅
門司駅
北九州貨物ターミナル
北九州貨物ターミナル
北九州貨物ターミナル構内
北九州貨物ターミナル構内①
北九州貨物ターミナル構内
北九州貨物ターミナル構内②

一通り、貨物ターミナルを通り抜けると、まもなく北九州の一大ターミナル、終点の小倉駅へ到着します。

小倉駅
小倉駅

【15:42発/17:40着】 特急ソニック・にちりんで一気に臼杵駅へ

正式に九州入りをした後は当然、九州を徹底的に巡っていくことになります。もちろん、九州でも意味不明なルートとなりますが、とりあえず最初は大分方面から。ということで、特急ソニック33号で終点の大分駅まで向かいます。今回は885系電車、「白いソニック」に乗車していきます。

885系電車
特急ソニック号の885系電車(白いソニック)
885系車内
885系車内

博多駅からやってきたこの列車はこの小倉駅で進行方向が変わり、同時に座席を回転させることになりますが、車掌さんの協力もあったのか、乗車時点で座席回転は完了しており、乗り込むなり、早速座席へピットインすることができました。ちなみに、今回は自由席を利用。そこまで混んでおらず、問題なく席取りができました。

小倉駅を出発。ここからは日豊本線の区間を進んでいきます。ガチャガチャと複数のポイントを通過するとすぐに隣の西小倉駅を通過。すぐさま鹿児島本線と分かれ、南進していきます。ソニック号に言えることは、とにかく速い!ということ。最高時速は130km/hで、恐らくはフルスピードで北九州市内の市街地をバシバシと走り抜けていきます。あまりにも速すぎて狙っていた車窓ポイントを次々と逃していきます。

城野駅通過
城野駅通過 (速すぎ)

北九州の市街地があまり途切れることなく、次の行橋駅へ停車。行橋駅を過ぎると徐々に市街地の様相が薄れていき、田園地帯をものすごいスピードで通過していきます。途中の築城駅付近では航空自衛隊の築城基地の一部が見えると思っていたのですが、気づかぬうちに既に通り過ぎていた模様。豊前松江駅付近では一瞬周防灘の車窓を見ることができます。そして、吉富駅を通過するとすぐ、山国川を渡ると同時に、大分県へ進入。市街地へ入り、次の停車駅である中津駅へ進入します。中津駅ホームには「日本一長い鱧(ハモ)の椅子」なるものがあり、その長さは10m。椅子の背もたれの上部に中津名物のハモの絵が描かれており、その長さに合わせて長椅子が取り付けられています。ハモだけでなく、唐揚げでも有名な中津の街。ハイボール片手にいつか一度グルメ旅をしてみたい街です。

周防灘
周防灘 (豊前松江・宇島駅間)
山国川
山国川。ここで大分県へ入る。 (吉富・中津駅間)
中津駅の「日本一長い鱧(ハモ)の椅子」
中津駅の「日本一長い鱧(ハモ)の椅子」

中津駅を出発し、中津市の市街地を抜けると景色は田園風景がメインになる印象。時折、新潟かと勘違いするレベルの広大な田園地帯も姿を現します。途中、比較的人口のある柳ヶ浦駅や、宇佐八幡宮や国東半島の玄関口となる宇佐駅を通るものの、この列車は目もくれず素通りしていきます。次の西屋敷駅を過ぎると車窓は一変。山間へ入り、立石峠を全長3,640mの長大なトンネルで通過していきます。この区間は上下線で景色が異なり、反対方面の列車は一部区間を除き、明かり区間を走行してしていきます。上下線が分離された状態から立石駅で上下線がまた寄り添う形となり、その後は田園地帯と山間が移り変わりながら進んでいきます。次に市街地らしい市街地が出てくるのは別府市の亀川駅付近から。別府市の市街地を駆け抜けると、別府タワーなどのある都会的な車窓を高架から見ながら次の別府駅へ停車していきます。

中津平野の田園地帯
中津平野の田園地帯
別府市内の風景
別府市内の風景

別府駅を出発し、別府市街地を後にすると、特急ソニック号の走る区間で一番の景色の見どころ、別府湾を見ながら走って行きます。一面の青い海に、対岸にうっすらと見える国東半島の山々。これを見ると大分に来た実感がわきます。すると、突如として車内にバイオリンのゆったりした音楽が流れたかと思うと、ゆったりとした語り口が特徴の石丸謙二郎さんによる観光案内放送が。別府湾の案内かと思いきや、それとは関係のない大分名物「りゅうきゅう」の案内。その放送によると、りゅうきゅうは鯖などの魚を刺身にし、特製のタレをかけ、そこに白ごま、青ネギをまぶす郷土料理であるようです。「列車はまもなく、大分に到着します」という文言で石丸さんの案内が終わります。それにしても「この語り口、どこかで聞いたことあるような」と思って後日調べたところ、「世界の車窓から」のナレーションの方だったようですね。石丸さんの案内放送が終わると、人工音声らしき味気ない英語の到着放送で石丸さんが作り出したゆったりとした雰囲気をぶったぎります。

別府湾 (東別府・西大分駅間)
別府湾 (東別府・西大分駅間)

別府湾の車窓が終わると、大分市街地を高架で横切り、終点の大分駅へ到着します。小倉駅からは約1時間20分、自由席とはいえど、885系電車のシートは快適で、ゆったりとした移動ができました。

大分市中心部
大分市中心部
大分駅
大分駅

それでは大分駅では17:06発の特急にちりん13号 宮崎空港行きへ乗り換え。メタリック色の787系電車に乗り換え、日豊本線の先の区間へと進んでいきます。今回も自由席でしたが、大分駅出発時点で座席はガラガラ。席は完全に選びたい放題でした。

特急にちりん号の787系電車
特急にちりん号の787系電車
787系車内
787系車内

列車は大分駅を出発すると、大分川を渡り、しばらくは大分市の市街地を進んでいきます。その途中で鶴崎駅へ停車し、沿岸部の工場地帯の煙突を眺めながら進んでいきます。坂ノ市駅で市街地が終わり、次の幸崎駅付近から一気に山間へと車窓は様変わり。臼杵市の市街地へ入ってしばらく、最終目的地の臼杵駅へ到着します。

大分川(大分・牧駅間)
大分川(大分・牧駅間)
大野川(鶴崎・大在駅間)
大野川(鶴崎・大在駅間)
臼杵駅の駅名標
臼杵駅の駅名標
臼杵駅
臼杵駅

臼杵における九州初夜

大分駅から約30分で本日の最終目的地、臼杵駅へ到着です。

早速、今夜お世話になる「ホテルクレド臼杵」にチェックイン。駅から徒歩1分なので、駅からのアクセスに非常に優れているのがありがたいです。新館・本館の2棟からなり、今回は最安である本館のシングルルームに宿泊。部屋自体はコンパクトながらも、ダークブラウン・グレーを基調とした客室はお洒落さと落ち着きがあり、水回りも清潔なホテルです。また、大浴場・フィットネスジムといった設備もあり、当時の価格6,400円(素泊まり)を上回るパフォーマンスがあったように感じました。

クレドホテル臼杵 エントランス
クレドホテル臼杵 エントランス
クレドホテル臼杵
クレドホテル臼杵
本館シングルルーム
本館シングルルーム①
本館シングルルーム
本館シングルルーム②
水回り
水回り

日が暮れたタイミングで、夕食へ。臼杵駅と臼杵市の市街地は若干離れており、ホテル内にもレストランがあったものの、大分らしいラインナップが乏しそうだったので、外へ出ることに決めました。今回はとり天を狙うべく、予め調べていたお店、「旬菜処 関乃家」さん(駅から徒歩11分)へ立ち寄ります。個人経営と思われる居酒屋で、マスターのワンオペながらもてきぱきとしており、安心感があるお店でした。

旬菜処 関乃家
旬菜処 関乃家

まずは九州入りを祝して臼杵の地酒「一の井手」で乾杯(一人で)。お通しは恐らくハモと野菜を甘酢で和えたもの。どちらも美味しかったです。お次はハマチの刺身。さっぱりとした味わいで箸が進みます。そして、忘れてはならないのが大分名物のとり天。揚げている段階からもう美味しいことが確定している状況。ASMRにしたら大ヒット間違いなしです。食感としてはカリっとした感じよりしっとりとした感じ(美味しいことは調理中で確定済みなので期待通り)。これはこれでよく、ポン酢につけてさっぱりと頂きました。山口県内ではご当地のものが食べられなかったので、ここで名物が味わえ、お腹的にも満足な1日となりました。

地酒「一の井手」とお通し
地酒「一の井手」とお通し
ハマチの刺身
ハマチの刺身
とり天
とり天

それでは本日の旅程はこれで終了です。お疲れ様でした。

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