アクセス困難な青ヶ島を旅する【段取り・観光情報・体験談】
青ヶ島。旅や離島が好きな方であれば一度は聞いたことがある島だと思います。しかし、行くにはかなりの困難が伴うといわれています。また、そのことも影響してか、観光訪問で来島する方が少なく(収容人数も少ないからでもあるが)、情報が比較的少ないです。ということで、今回は実際に青ヶ島に訪れるうえで役に立ちそうな情報とその体験談などをお伝えしていきます。めちゃめちゃ長いため、エッセンスになり得るところは太字で示しています。また、動画も作成しておりますので、ぜひあわせてご覧ください。
そもそも、青ヶ島の場所ですが、伊豆諸島の有人島の中では最南端の場所に位置し、東京から南に約360km、八丈島から約70km離れています。島全域が東京都青ヶ島村に属し、人口は国内の全自治体の中で一番少ない169人(2020年10月現在)です。島内には民宿が数軒あるのみ。また、本土から直接アクセスする方法はなく、必ず八丈島を経由することになります。まず、八丈島までは羽田空港から飛行機を利用するか(所要時間: 約55分)、竹芝ふ頭からフェリーを利用します(所要時間: 約10時間20分)。尚、フェリーの場合は夜間の運航となるため、八丈島への到着は翌日となります。そして、八丈島から青ヶ島へは八丈島・底土港からフェリーを利用するか(所要時間: 約3時間)、ヘリコプターを利用することになります(所要時間: 約20分)。前提として、今回、八丈島への往路は旅程の関係で、三宅島からヘリコプターを使っていること(詳細は後述)、八丈島・青ヶ島間は往復ともにヘリ、復路の八丈島・東京間は飛行機を使っていることをはじめにお伝えしておきます。
本番は準備から始まっている
本土の大抵の場所であれば、航空機・鉄道・レンタカー・宿泊といった移動手段や宿泊施設の予約はGW・年始年末等の繁忙期でない限り、比較的簡単に行えますが、青ヶ島へ行くとなるとそう簡単にはいきません。まず、必要な手配を挙げていくと、おおよそ以下の通りとなります(優先順位が高いと思われる順に記載)。冗談抜きで、準備をしっかりやっておかないと旅程実行中に詰むことも考えられますので、ご自身でも情報収集をお願いします(何かトラブル等あっても当ブログでは責任は負いかねます)。
- 【青ヶ島旅行におけるToDoリスト】
- ①八丈島-青ヶ島(往復分)の交通手段の確保【ヘリは予約必須】
- ②東京-八丈島(往復分)の交通手段の確保【必須】
- ③青ヶ島での宿泊場所の確保【必須】
- ④青ヶ島島内の交通手段の確保【必要に応じて】
- ⑤八丈島での宿泊場所の確保【必要に応じて】
- ⑥自宅-東京間の交通手段・東京での宿泊場所の確保【首都圏の方以外は必要に応じて】
①八丈島-青ヶ島の交通手段【ヘリは予約必須】
青ヶ島に行くのであれば、まずここを始めに検討・手配する必要があります。というか、色々体験談を見る限り、青ヶ島の民宿の予約時に交通手段は大抵聞かれる様子なので(自分も聞かれた)、ここをしっかり検討・手配しておかないと、民宿の予約する際に取り合ってもらえない可能性があります。
八丈島・青ヶ島間の移動手段は先述の通り、フェリーかヘリの2択。旅程の効率や円滑な準備という観点でいえば、個人的なおすすめは断然ヘリ。また、東京・八丈島間での飛行機利用をあわせてお勧めします。理由は2点あり、1点目は執筆時点(2024年6月)では東京・八丈島の飛行機、八丈島・青ヶ島のヘリのダイヤがいい感じにつながること。これによって東京近郊の方であれば、自宅の出発当日に青ヶ島にたどり着くことができる可能性が高いからです。2点目は宿泊の予約がスムーズにすすみやすい可能性があること。その背景として挙げられるのは、もう一つの選択肢であるフェリーの就航率。その数字はなんと50-60%。国内のあらゆる船便の中でもワーストクラスの数字です。一方で、ヘリの就航率も絶対ではないものの、80-90%。つまり、ヘリの方が安定した交通手段のため、宿側にとっては往路の欠航により急遽キャンセルが発生したり、復路の欠航により延泊が発生するリスクを負うことになります。信憑性は不明ですが、「ヘリでないと予約を受け付けない」という姿勢の宿も存在するとかしないとか(準備の際、非公式ブログでこのような情報を見た)。その点で、民宿の予約をより確実なものとするという点でも、個人的にはヘリ利用をおすすめしたいところです。
フェリーに関しては当日に乗船券を購入するのみ、かつ、自分自身が体験していないため、ここからはヘリ利用の準備に関する情報や体験談を記載していきます。ヘリは東邦航空が運航する「東京愛らんどシャトル」という路線で、八丈島・青ヶ島間のほかに、伊豆諸島の御蔵島・三宅島・伊豆大島・利島へも就航しています(自分の場合、来島前日に三宅島・八丈島間を利用していた)。青ヶ島に行く際はそのうち、八丈島・青ヶ島間を予約することになります。ここで、ヘリの大きなデメリット。それはずばり、予約が非常に取りづらいこと。背景として、本数は1往復/日、そして、定員は9名(乗員除く)のため、そもそも、輸送規模が非常に小さいのです。そして実際、座席はすぐに埋まります。そのため、旅行前にこの熾烈な「椅子取りゲーム」に参加することはほぼほぼ必須で覚悟すべきこととなります。
ヘリの予約手段は電話かネット予約の2択。個人的なおすすめは電話利用です。理由はひとつ。電話の方が受付開始時間が早いからです(執筆時点において)。予約受付はどちらも搭乗日の1カ月前からですが、予約の開始時刻はネットの場合は12時からなのに対して、電話予約は9時からのため、候補日の1カ月前の9時0分0秒00に予約受付センターへ電話して席を確保するのがセオリーです。とはいえ、やはり同じことを考える人が多いので、実際はつながらなかったり、やっとつながった頃にはすでに満席になっているということは現実問題としてあり得ます。
それで、満席で取れなかった場合でも、すぐに諦めてはいけません。その際は同じ日の日中時間帯にネット予約を試してみるというのも一つの手かもしれません。東邦航空の公式HPでは東京愛らんどシャトルにおける区間ごとの空席状況が日ごとに閲覧が可能で、これで空席状況を確認できます。そして、会員登録を行ったうえで、予約・決済を行うという段取りとなります。体験談として、自分はこの方法で往復分予約を勝ち取ったのです。とはいえ、自分が旅行をしたのは平日のため、休日になると、さらに難易度が増すのは必至でしょう。1カ月前の時点で席が取れなければ、あとは粘り強く毎日空席状況を確認して、空いているときに素早く予約処理を行うか、嫌がらせのごとく頻度高く電話で空席状況を聞くという「持久戦」が求められます。あくまでも自分の経験ベースではあるものの、その際の狙いやすいタイミングは恐らく2つかと思います。1つ目は先述の通り、搭乗1カ月前の日中時間帯から数日間、2つ目は搭乗の4日前-3日前のタイミングです。前者はこれで筆者が往復分抑えられたという経験と、恐らくですが、「とりあえず」で予約をした方が検討の結果、やはり不要だったという理由で、キャンセルする可能性があるということです。後者はキャンセル料金が発生するのが出発の3日前であるということ。そのため、キャンセル料を払いたくない方がこのタイミングでキャンセルすることが考えられます。
また、忘れてはいけないのが、ヘリで往復利用する場合は同じことを2回する必要があること。当然、移住とかでない限り、一度来島したら脱出する必要があるため、帰りの分の予約もしっかり行う必要があります。そのため、片道分が取れても決して浮かれずにしっかり往復分手配するようにしましょう。
あと、さりげなく大切なのがヘリの場合、荷物の重量・大きさ制限があること。東京愛らんどシャトルで許可されている手荷物の重量は5kg、大きさは縦25cm・横40cm・厚さ20cmまで。これ、結構小さくてトートバッグやリュック1個で簡単にその大きさに達してしまいます(もちろんものによって大きさは違うが)。キャリーバッグやスーツケースになると、ほぼ確実にアウトになります。一応、重量・大きさ制限を超えた分は超過料金の設定がありますが、必ずしもその荷物を運べる保証はないということが公式HPに明記されていますのでご注意のほど。筆者の場合、他の島も含めて、3泊4日の日程で動いていましたが、予備のシャツとズボン1枚ずつ・パジャマ一式・3日分の下着・タオル類・洗面用具・小型の撮影機材・各種充電ケーブルといったごく最小限のアイテムを大きさ制限とほぼ同じトートバッグに入れて4kg強程度の重量の荷物を持ち込んでいました。
② 東京-八丈島(往復分)の交通手段の確保【必須】
八丈島・青ヶ島間の交通が検討、あるいは確保できたところで、八丈島在住でない限り、八丈島へ行けなければなんの意味もないので、八丈島への交通手段の確保も忘れてはいけません。選択肢は先述の通り、フェリーが飛行機です。個人的なおすすめは先ほど少し触れた通り、飛行機利用です。羽田を朝に出発する便であれば、八丈島からのヘリに最低限の待ち時間で搭乗することができるからです。ただし、東京愛らんどシャトルは他の交通機関と接続を取っていないため、東京・八丈島の交通機関に遅れ・運休が発生したとて、待ってもらえるわけではないのでその点は注意が必要です。確実に青ヶ島に渡航したいのであれば、八丈島で前泊しておくのがよいと思います。その場合は後述の通り、八丈島での宿泊場所の確保が必要となるので忘れないようにしましょう。
尚、東京・八丈島の飛行機に関しては繁忙期でない限り、予約が取りづらいといったことは生じにくいと思います。ただし、早割なども効くケースが多いため、早めの予約がよいでしょう。フェリーに関しても恐らく、繁忙期でない限り、予約の難易度は相対的に低いと思いますが、利用する際は早めの予約が良いでしょう。ちなみに、東京便のフェリーの八丈島発着はいずれも朝の時間帯となるため、青ヶ島着発の交通手段がどうであれ、当日中の接続は不可能なダイヤ設定になっているので(執筆時点)、東京・八丈島でフェリーを利用する際も、八丈島における宿泊場所の手配が必要となります。
③ 青ヶ島での宿泊場所の確保【必須】
交通面で青ヶ島へ行ける見込みが立ち次第、早めに青ヶ島での宿泊場所を確保しに行きます。先述の通り、青ヶ島の宿泊場所は民宿が数軒あるのみです。いずれも、部屋数は数部屋と限られているうえ、長期滞在のビジネス客を相手にする宿泊場所もあるため、前述のヘリほどではないにせよ、恐らくこちらも競争率は相対的に高めかもしれません。予約手段は基本どこも電話オンリーです。少なくとも、執筆時点でネット予約を行っているところは一軒もないので、現代人にとってはややハードルは高いですが、その点はちょっとした覚悟が必要です。
色々情報を探っている限り、ほとんどの民宿は個室タイプ、トイレ・風呂といった水回りは共用になっている印象です。また、島内には飲食店・食堂の類はないため(居酒屋はあるが)、3食付が標準であるとことも心得ておきましょう。これらの点で、大枠での民宿のサービスの違いは大きくないですが、ほとんどの民宿は恐らく個人・家族経営のため、宿の方との相性は少し気にしておく必要があると思います。その点で、事前に軽くでも口コミを見てどんな感じの宿なのか確認しておくとよいでしょう(一部はHPもある)。
また、予約の電話の際、島への交通手段や島内での交通手段は聞かれる可能性があるため、聞かれた際は回答できるようにしておくことが肝要です。特に、青ヶ島までのヘリを利用予定にもかかわらず、取れていないとなると、取り合ってもらえないケースも考えられますので、宿泊場所の確保は渡航の見通しがたってからの方がよいと思います。
また、宿によっては「昼食をどうするか」という旨の質問があるかもしれません。詳細は後述しますが、島内には火山由来の水蒸気(地元の方言で「ひんぎゃ」という)を利用した地熱釜があり、そこで食材を蒸して食べるというのが観光の醍醐味となっています。その場合、宿側は料理ではなく、食材を用意をするという場合分けが生じるので、軽く検討しておくとよいかもしれません(筆者の場合は予約時にその質問がなく、自動的に食材が用意される形となった)。尚、その地熱釜は集落から少し離れているので(徒歩の場合、集落から約1時間)、そこまでの交通手段をどうするかということも念頭に置いておいた方がよいかと思います。
④ 青ヶ島島内の交通手段の確保【必要に応じて】
青ヶ島の面積は5.95㎢。最大幅は約2.5km、最大長は約3.5kmと、小さい島です。しかし、島の地形は厳しく、アップダウンがあるため、徒歩のみの移動では心許なく、何より不便な印象です。さらには島内に公共交通やタクシーはないうえ、地形の厳しさから二輪車の乗り入れは禁止されています。そこで、おすすめなのがレンタカー。島内には執筆時点で2つの業者があり、予約の際は電話で連絡を入れます。ただし、島内は道が狭い箇所もあるため、いざという時に、多少のバック走行ができる技術はあった方がよいかもしれません。
今回お世話になった青ヶ島レンタカーさんでは港・ヘリポートでの貸出・返却が可能で、一応価格は決まっているものの、旅程に応じて柔軟に調整して頂けました。少なくとも青ヶ島レンタカーでは塩害の関係から、釣り客向けの車があります(普通の乗用車だが、傷みやすいので価格が上がる)。電話予約の際に、釣りをするか聞かれると思いますので、釣り好きの方は予め軽くでも検討しておきましょう。
⑤ 八丈島での宿泊場所の確保【必要に応じて】
八丈島で前泊をする場合は、八丈島での宿泊場所の手配が必要です。八丈島についてはホテルからペンション・民宿まで様々な形態の宿があり、ネット予約を受け付けている宿も多いため、本土と同じ要領で予約が可能です。
ただし、考えておく必要があるのが交通と食事のこと。交通に関してはフェリー・空港と宿泊場所の距離と交通手段を考慮しておきましょう。フェリーの発着場所である底土港であれば、徒歩圏内に複数軒の宿泊場所がありますが、ヘリなどが発着する八丈島空港の近くにある宿泊場所はやや少なめです。宿によっては送迎サービスがあるのでそれを利用したり、ほかには島内を走る路線バス(空港を通る路線は日曜運休)やタクシーの利用、レンタカーの利用なども一緒に検討するのがよいと思います。また、食事に関しては、宿で夕食や朝食の提供があれば気にする必要はありませんが、一部でも自分で済ます必要があれば、飲食店やスーパーが近いロケーションの宿泊施設を利用するのが良いでしょう(レンタカーがある場合は話は別ですが)。その点では底土港を利用する場合、三根地区の市街地、空港を利用する場合は大賀郷地区の市街地付近が選択肢になり得ます。
⑥自宅-東京間の交通手段・東京での宿泊場所の確保【首都圏の方以外は必要に応じて】
八丈島はフェリー・飛行機どちらにせよ、本土であれば東京としか直接の行き来ができません。そのため、首都圏以外の方であれば新幹線・飛行機・高速バスなど、東京までの交通手段を検討、必要に応じて確保しておく必要があります。前泊・後泊が必要な場合は事前に手配をしてとよいでしょう。
青ヶ島への玄関口、八丈島へ。八丈島で前泊
前置きが長くなりましたが、ここからようやく旅行当日の体験談になります。実際に旅行に行ったのは2023年11月のことなので、ここから基本的にその当時のことに基づいて記載していきます。
少し特殊なパターンではあるものの、旅程の関係で、東京愛らんどシャトルに乗って三宅島から八丈島へ上陸。東京愛らんどシャトルは八丈島空港に発着するため、ここからは読者の皆さんにとってもある程度再現性があるかと思います。
さて、八丈島に着いた時点では夕方。この時点で、青ヶ島には行けないため、この日は八丈島で前泊をすることになります。先述の通り、空港の近くにあるホテルは少なく、レンタカーは使わないことにしたため、食事の調達に困らない大賀郷の市街地にある「ケンチャ・ルマ」さんという宿泊施設を今回選んでいました。
空港から八丈町営バスという路線バスが発着しているため、それに乗車して大賀郷の市街地へ。幸い、バス停から徒歩5分程度という好立地だったため、交通面で大きな不便はありませんでした。ケンチャ・ルマはコンドミニアム型のホテルで、一言でいうとシェアハウスのような感じ。玄関を入ると、リビングとダイニングキッチンがお目見え。そこに繋がる形でそれぞれの客室があり、その中にはミニキッチン、ベッド、ユニットバスがある形式の宿泊施設でした。徒歩圏内にはスーパーや飲食店がある好ロケーションなのに加え、価格が安いということ。具体的には2人部屋の素泊まりで5,800円/泊(素泊まり)。じゃらんで探した限りでは最安級の部類ですが、最低限の居住性という点では全く問題なく、快適に過ごせたと思います。ただし、エアコンがコイン式であることや、テレビやタオルが無かったりと、ビジネスホテルに相当するサービスが一部ないので、その点は価格が価格なのでご愛敬かと思います。
夕食は徒歩6分のところにある「名代一休庵」さんで明日葉天とトンカツを乗せたうどんを喫食。明日葉は八丈島の名物ですが、思ったほど癖がなく美味しく頂けました。また、うどんは太めでコシがあり、さらには食べ応えのあるトンカツが乗っていたため、食後はなかなかの満腹感でした。
素泊まりのため、ついでに近くのスーパー「あさぬま」に立ち寄って飲み物や朝食を購入。本土の市街地にあるような規模感で、品ぞろえに関しても本土と遜色はなかった印象。ちょっと八丈島らしいものも購入して、この日の旅程を終了としました。
ついにヘリで青ヶ島へ
日付が変わり、ようやくこの日に青ヶ島へ渡ることになります。ヘリの出発時刻は9時55分、受付は9時25分までとのことなので(当時)、それを目掛けてバスで八丈島空港へ。
ヘリといっても、搭乗までの手続きは通常のフライトとほぼ共通です。八丈島空港に隅にぽつんと東邦航空の窓口があるため、そこで、受付と荷物を預けます。唯一独特だった点は体重を聞かれること。通常の航空機と比べると、小型の機体になるため、きっとバランスを考慮するためでしょう。あとは普通に保安検査を済ませ、待合室でしばらく待った後に、ヘリに通されるといった流れとなります。
ただし、失敗したなと思った点はカメラ。普段から撮影は基本、すべてスマホで済ませていますが、運航中、携帯・スマホの類は電源OFFを要請されるため、上空の写真を撮ることが一切できませんでした(機内モードに関しては言及なし)。そのため、写真を撮りたい方は別で一眼レフなどのカメラを持っていくことをおすすめします。
八丈島-青ヶ島間における座席は基本自由。通常使われる機体では座席が前後に3列あり、前列の左が一人席、右が二人席、真ん中の列が二人席、後列が4人席という配置。航路は変わるかもしれませんが、結論、当日見た限りでは進行方向左側の方が青ヶ島をよく俯瞰できた印象です。
いよいよ、八丈島空港を出発。ヘリというと、直接その場で垂直に離陸する印象が強いですが、八丈島空港では通常の旅客機と同様、滑走路までタキシング(地上移動)して、そこでようやく離陸という手続きを取っていたのが印象的でした。
約20分の航行で、青ヶ島へ到着。青ヶ島ではヘリポートの発着となるので、ここではヘリらしく、垂直に昇降します。公共交通としてのヘリはこの東京愛らんどシャトルが唯一なので、この感覚はなかなか独特です。
ヘリポートに降り立つとすぐに機体から離れるようにいわれ、今度は青ヶ島からの乗客の搭乗手続きを済ませると、ヘリはそそくさと青ヶ島を発っていきます。自分の意思で来ておきながらなんですが、「取り残されたなぁ」と。
独特なレンタカーの手続き/島の道路事情の洗礼を受ける
先述の通り、島内ではレンタカーの利用が便利なため、今回は青ヶ島レンタカーを利用することに。港・ヘリポートでの貸出・返却が可能なため、今回はヘリポートの貸出・返却で利用することに。ヘリポートでレンタカーの店員さんと合流。
今回は自分含め2組2台の予約が入っていた模様。手続きは店舗で行うことなので、送迎車にでも乗り込むのかと思いきや、予め車2台がヘリの駐車場にデポされており、店員さんはもう一組の方に、「先行して運転するので、店舗までついてきてください」という旨のことを仰る。「手続き前に運転させてしまうのが青ヶ島スタイルかー」とちょっと驚き。筆者は店員さんの運転する車に同乗して店舗へ到着。
手続きは島唯一の商店「十一屋酒店」さんで実施。ガソリンスタンド・レンタカー・整備工場も一体になっており、ご家族ですべて切り盛りされている様子。レンタカーの貸出手続き自体は免許証の提示やフォームの記入などがあり、しっかりと行っている印象。特に、島の交通・道路事情についてはかなり丁寧な説明がありました。
説明されたことを要約するとポイントは2点。1点目は「Google Mapをナビとして使うな」ということ。前提として、レンタカーにはカーナビが付いていませんが、島内には狭い道が多く、通行困難な道もあるのだとか。そういった道もGoogle Mapに描かれており、下手すると身動きが取れなくなってしまうこともあるようです。そのため、村役場発行の紙地図を使い(店舗で配布される)、あくまでも、Google Mapは現在地の確認のみに使うようにという旨の説明でした。2点目は「車の鍵はかけるな」ということ。青ヶ島では厳しい道路事情が影響してか、通行の支障になる場所に車が止まっていた場合、他人の車でも断りなく、少し動かすことがあるのだとか。それに備えて、車の鍵はかけず、キーは差しっぱなしにしておくようにとのことでした。さすがは人口最少の村だけあって、信用で成り立っている社会のあり方が早速見えてきた感じがしました。
一通り、説明を受けた後は今夜お世話になる「民宿かいゆう丸」さんへ。ちなみに、同日にレンタカーを借りたもう一組の男性二人組の方も同宿の様子。レンタカーの店員さんから宿の場所も聞いていたものの、いざとなったら道に迷いまくる始末。島内の集落は岡部地区というエリアに固まっており、レンタカー店も民宿も近い場所にあったのにもかかわらず、かなり時間がかかったように思います。その過程で起伏が激しい道に迷い込んだり、入ったら詰むレベルの狭路に入りそうになったり、早速も青ヶ島の洗礼を受けることとなりました。
入島して早々死にそうになりながら、何とか民宿かいゆう丸へ到着。女将さんから部屋を案内してもらい、荷物を整理して観光へ繰り出すことに。この時に、女将さんから先述の「ひんぎゃで蒸すための食材を用意するので、その間に大凸部(おおとんぶ)行ってきな」と言われたため、それに従い、大凸部へ行くことにしました。ちなみに、かいゆう丸の女将さんはあまり笑顔を見せず、一見ぶっきらぼうであるものの、色々気を利かせてくれ、根は良い方という印象を持ちました。それが訪れる人のほとんどにはちゃんと伝わっているのか、予約時点における民宿の評価は島内でも結構高い印象でした。施設のことに関してはまた後ほど…。
大凸部からまるで●●な二重カルデラを眺む
車を走らせ、3分ほどで大凸部の入口へ到着。大凸部は途中から遊歩道を歩いてアクセスすることになります。そもそも、大凸部(おおとんぶ)は島内最高峰(標高423m)の場所で、世界的に珍しい二重カルデラを眺められる場所のひとつです。遊歩道の途中では道が分岐しており、その分岐部の入口には鳥居が。「東台所(とうだいしょ)神社」と記載があり、参道らしき道が続いているものの、かなり急なうえに、草が生え散らかしている様子。これではちょっと寄り道ができなさそうなので、寄り道せずに引き続き大凸部へ向かうことに。
大凸部への道に関しても、整備は必要最低限な印象。一部は進路を阻む草をかき分けたり、くぐったりしながら進む必要がありました。
こうして10分ほど歩いていると、大凸部へ到着。噂通り、しっかりと二重カルデラを眺めることができました。二重カルデラは火山活動により生じた窪地(外輪山)の中に、さらにこんもりと山(内輪山)が生じた地形で、その形はまるで「お皿に乗ったプリン」のよう。実際、島の子供たちからも「プリン」と呼ばれているようです。この風景はアメリカの環境保護NGOが発表した「死ぬまでみるべき世界の絶景13」にも選ばれたことがあるとのこと。一度見てみたかった風景なので、実際にそれにアプローチできたときの喜びはひとしおです。
島の周りは当然、海に囲まれていますが、海岸線までストンと落ちていくような断崖絶壁の姿も見られ、その地形の壮絶さが一発でわかります。一方で、この日は天気が良いことから眼下の海は青々しており、穏やか。この自然のアメとムチ的な光景(天気が悪いと海もムチ側となるが)を同時に楽しめたのが良かったです。
ちなみに、ここでも先ほど一緒にレンタカーを借りた男性二人組の方が休憩中でした。お二人もかいゆう丸に着くやいなや、「はよ、大凸部行ってこい」と言われたとのこと。
丸山を巡り、青ヶ島の醍醐味”ひんぎゃ”飯を喰らう
大凸部を後にして、車で民宿へ一旦帰還。約束通り、食材を用意して頂いていたので、「ひんぎゃ」に向かいます。先述の通り、「ひんぎゃ」とは火山活動により生じた水蒸気の噴気孔のことを指し、島内にはそれを活かした施設が多くあります。その一つが地熱釜で、この地熱釜を使って食材を蒸すのが観光の醍醐味となっています。
車を10分ほど走らせ、地熱釜へ到着。近くに地熱を活用した「ふれあいサウナ」という施設があり、地熱釜はそれと一体の施設となっています。筆者はサウナが苦手なので、今回は地熱釜のみ利用。宿で女将さんから教わった通りに、釜の中に食材を置いて、スイッチを入れてスタンバイ完了。
蒸し上がるまでに40分~1時間かかるので、その間に近くにある「丸山遊歩道」を散策することに。丸山とは二重カルデラの内輪山、つまり、「プリン」の部分に当たります。その尾根に沿う形で遊歩道が設けられており、一周できるようになっているのです。
基本的に遊歩道の散策はハイキング感覚で、比較的気軽にできた印象。森の中を歩き、時折景色が開けるような感じで、方角によっては外輪山の崖にへばりつくように降りていく急峻な道や、外輪山のカルデラの中に点在する様々な施設群が見えます。ちなみに、外輪山のカルデラのエリアを池之沢地区といい、居住者はいないものの、先述のサウナや地熱釜、そして、製塩工場や生コン工場など、主に産業区域として活用されている印象です。途中、丸山の中心付近が見え、そこは森となっているため、一見、休火山のように見えますが、丸山はれっきとした活火山。1785年には噴火が起こり、多数の犠牲者が発生。生き残った島民は八丈島で避難生活を強いられ、戻るまで約40年の時を要した歴史があります。途中にはこうした自然への畏敬の念を示す神社「御富士様」があるなど、随所に自然信仰の片鱗を感じさせるスポットが島内に見られます。
約40分で丸山遊歩道から帰還。地熱釜から食材を回収します。恐らく匂いと経験で察知しているのか、周りには猫たちが集結。無事に食材を回収して近くの東屋で頂くことに。近くには島民の女性が先客として作業の昼休憩をしており、色々お話をさせて頂きました(何を話したかは忘れたが)。人口が少ない島なので、観光客に対して警戒心を抱かれることはないか、内心少し心配していましたが、そんなことは杞憂で、色々お話ができました。
さて、肝心な食材ですが、その面々はさつまいも・じゃがいも・卵・くさや・ソーセージ。くさやがちょっと半生出たものの、その他の食材はちゃんと蒸せており、特に芋系はホクホク感があり、美味しく頂けました。この食材以外の名脇役でご紹介したいのが「ひんぎゃの塩」。名の通り、このひんぎゃの地熱で海水を乾燥させて作った青ヶ島特産の塩で、粒が大きいのが特徴です。今回の食材にこの塩が入った小袋が添えられており、食材にふりかけて食べると、段違いで美味しさが増すように感じました。ちなみに、先述のサウナのすぐ近くにひんぎゃの塩の製塩工場があり、青ヶ島の代表的なお土産として、島外や通販でも販売されているので、読者の方にはご賞味いただきたいなと。
ところで、東屋での食事中は熱烈なギャラリーに熱い視線を浴びることになります。その正体は先ほどの猫たち。地元の方も含めて大勢の方がここで食べ物を扱うことを奴らは熟知しているからか、食事をしている人間を嘗め回すように見上げたり、個体によっては東屋の椅子や机に乗っかってくるものまで。ちなみに、猫への餌付けはご法度なので、盗られないように気をつけましょう。
また、食事の途中で先客だった女性はその場から立ち去り、同宿の2名の男性組、さらに、その後には島民の男性の方がお仕事の休憩で立ち寄られ、ここでも交流が生じていました。その中で、「人口が少ないからといって、付き合いに濃淡があるので、他の島民全員とコミュニケーションを取るわけではない」といった島の実情など、色々教えて頂きました。中にはちょっとここではあげられないものも(といってもライトなもので、村八分やいじめといったシリアスなものではない)。それにしても、先ほど食べたくさやの匂いが手から取れない取れない…。
地球が丸く感じられる神子の浦展望広場へ
さて、昼食や交流がお開きとなり、観光の続きへ。次に目指すのは「神子(みこ)の浦展望広場」。集落のある岡部地区の北東端にある展望広場です。といっても、”広場”というほどの大きさではなく、簡単な展望スペースといった印象。
それでも眼下に海が広がるロケーションで、方角によっては視界がほとんどが海となり、その地平線を見ていると、地球が丸いことを感じます。方角によっては八丈島とそれに隣接する八丈小島(無人島)、陸側に目を向けると、集落の一部や広大な草原を目にすることができます。今回は行かなかったものの、この草原地帯は「ジョウマン」と呼ばれる場所で、ここで牛の放牧が行われています。
急坂・狭路上等!都道236号線を辿る
個人的な趣味ですが、役立つ情報もあるので、記載しておきます…。この後実施したのが都道236号線の全線ドライブ。都道236号線は島内の主要幹線にあたる道路で、島内唯一の都道です。大まかにこの道路は青ヶ島の実質唯一の玄関口、三宝港から集落を結ぶ役割を果たしていますが、この道路の正式な路線名称は「東京都道236号線青ヶ島循環線」。「循環」とあるように、本来であれば、島内を一周できる道路であるものの、一部区間が2001年の大崩落により現在もなお、通行止めとなっています。そのため、今回は規制されていない範囲で、集落から三宝港へ向かって全線走っていきます。
集落側の規制開始区間と反対方向に向けて、集落内を巡りながら徐々に高度を下げていく形で走行。その途中で沿道にある郵便局や先述の十一屋酒店、小中学校、村役場、駐在所などを左右に見ながら走って行きます。その後は集落を抜け出す形となりますが、ほぼほぼ一貫して下り勾配が続きます。センターラインが基本引かれていないものの、途中までは1.5車線道路のようないで立ちで、このような小さな離島でも、さすがは都道、しっかり整備されていることが窺えます。
その後、1本目のトンネル「平成流し坂トンネル」を越えると、外輪山の壁に沿ってカルデラ内に降りていく形となります。それが故に、結構な斜度の急坂を下っていくことになります。逆に登るときはほぼほぼアクセルベタ踏みといった形で、その自然の険しさを感じられる区間となっています。しかし、このトンネルのある区間には旧道が存在し(車両通行止)、1992年まではこれ以上に険しい坂を日常的に行き来していたそうです。
そして、急坂が終わると、先述の池之沢地区へ。急坂でなくなる代わりに、ここに来ると道幅が狭くなります。といっても、相手が大型でない限り、しっかり寄せれば通れる程度なので、恐らく大きな問題はないかと思われます。ただし、東京都道という日本の首都が管理する道路とは一見思えない見た目なので、初めて通行する際はちょっと驚くかもしれません。
続いて、2本目のトンネル、青宝トンネルを通過。長さは505mとそこそこの長さがありますが、全区間に渡り、道幅は狭め。大型自動車などやってこようものなら、そこそこ長い区間をバックする羽目になりそうです。青宝トンネルの開通は1985年のことで、それまではこれまた旧道を通じて港と行き来していたようです。青宝トンネルで外輪山から脱出すると、海の近くに出て高度を下げ、三宝港へ到着となります。ここまで約10分のドライブですが、なかなか濃い道路でした。
“来る者を寄せ付けない”三宝港
都道を巡り、三宝港へ到着。三宝港は青ヶ島の実質唯一の港で、先述の八丈島からのフェリーがここを発着します。本当はフェリーの発着する様子を見てみたかったものの、フェリーの就航は週4-5日程度。結論、この日はフェリーの就航がない日のため、それはかないませんでした。
それでも、この日は天気が良く、海が穏やかな日とのこと。三宝港は天候の影響を受けやすい港で、時化の時は桟橋に容赦なく波が叩き付けることもあるのだとか。それが先述のフェリーの欠航率の高さに繋がっているのです。三宝港には新桟橋と旧桟橋の2つの桟橋があり、フェリーが発着するのは新桟橋の方。旧桟橋の方には釣りをする島民の方が複数人いらっしゃいます。
ところで、旧桟橋には鉄塔が立っており、そこからはワイヤーロープ伝手に陸地に立った鉄塔と繋がっている光景が見られます。これは漁船を陸地に留置するためのクレーン。天候の影響を受けやすい三宝港では船を海上に係留することができず、わざわざクレーンを使って船を陸地まで送って、陸地で船を留置する方法を取っているのです。この姿からもこの海域の自然の厳しさが垣間見えてきます。
そのクレーンの近くには乗船券発売所の建物があります。しかし、船の就航日でないこの日は施錠されており、中に入ることはできず…。
そして、三宝港で何より圧巻させられるのが反対側の島の断崖絶壁の姿。まるで要塞を思わせる高い壁がまるで来る者を拒んでいるかのような威圧感を覚えます。ちなみに、先述の都道の通行止め区間がその絶壁の上を通っており、恐らくは相次ぐ土砂・岩盤崩壊と戦ったのか、ところどころにコンクリート壁が吹き付けられているのが印象に残りました。
野外ライブが開けそうな尾山展望公園/怖いいわれのある東台所神社
三宝港から再度、車を集落方面へ走らせ約12分で「尾山展望公園」の入口へ到着。尾山展望公園は文字通り、二重カルデラの展望が望めるスポット。大凸部と似た性質のスポットですが、まあ行ってみます。車では途中までしか行けないので、車道の終端にある駐車場に車を止めて歩道を歩いていきます。
5分ほど歩いて、尾山展望公園へ到着。公園内はなんかライブが開けそうなステージのミニチュア版みたいなものがあるのが特徴(これが設置された経緯は不明)。肝心な景色はやはりきれいです。大凸部と見える景色は似ているものの、写真的にはこちらの方が映りがよい気がします。
そして、これまで歩いてきた歩道には続きがあるので、さらに進んでみます。結論、この道の先には東台所神社があります。道の奥の方に行くにつれ、ボーボーの草が出てきて、徐々に野性味が増してきます。やがて、別の道が合流してきます。これは先ほど大凸部の道中でみた急で草だらけの道。東台所神社は尾山展望公園方面からの道と大凸部方面からの道がありますが、公式でも尾山展望公園方面からのアクセスが推奨されており、実感としても、確かにそれはうなずけるかなと思います。
尾山展望公園から5分ほど歩いて、東台所神社へ到着。鳥居は木製の素朴な造りである一方、社殿はコンクリートっぽいどこか本土離れした造りが特徴です。東台所神社は縁結びのご利益があるといわれる神社ですが、そのいわれは少し恐ろしいものです。この神社は”朝之助”という人物の霊を鎮めるために建立されたらしいのですが、この朝之助という人物、失恋の腹いせに7人の島民を殺傷して入水自殺をしたといわれています。世知辛い現代ではカスハラや気●いドライバーなど、変な人物がよく取り沙汰されるようになっていますが、そういう人間(これはレベルが違うが)はどの時代・どの地域にもいることがよくわかります。
集落を巡って島民の生活を探る (前半)
東台所神社・尾山展望公園を出発して、民宿かいゆう丸へ。ただし、まだ夕食まで時間があるので、車だけデポしてそのまま徒歩で岡部地区の集落内を探索することに。小さな離島の集落巡りはその島の生活の片鱗が見えるので個人的にワクワクします。時刻は17時を回っているので、翌朝にその続きを行うことを前提に、本日は岡部地区の東側を見ていきます。
かいゆう丸から都道を出て三宝港方向へ歩くとすぐに見えるのが青ヶ島内燃力発電所。村内の電気を一手に引き受ける場所で、1966年に竣工。それまでは島内に電気が通じていなかったようです。「内燃力発電所」という言葉はあまり聞くことは少ないですが、青ヶ島ではディーゼルエンジンを動力とした発電を行って電気を賄っているようです。
そして、少し歩くと、コワーキングスペースの「NYAYA」さん。外観自体は地味ながらも、仕事・勉強・打合せスペースのほか、OA機器の貸出などもあり、いま話題のワーケーションを支えてくれそうな施設です。小さな離島ながらこういった時代の先端についていこうとする姿勢は立派です。
少し進むと、レンタカーでお世話になった十一屋酒店。先述のように、ガソリンスタンドや自動車整備工場も隣接しています。店名に「酒店」とはあるものの、生活必需品は幅広く扱っており、食料品はもちろん、日用品やちょっとした服飾品などもここで手に入ります。島で唯一の小売店なので、島民の方にとっては絶対に敵に回せない場所になりそうです(店員さんは良い方です。念のため…)。集落巡りの帰りにミネラルウォーター(500ml)を購入しましたが、価格は150円。離島価格を一切感じさせず、良心的な値段設定でした。
もう少し道を下っていくと、青ヶ島小中学校があります。立派な校舎ですが、生徒数は小中あわせて8人(2023年5月現在)。青ヶ島村の全人口が少ないので、島の子供の人数も少ないのが課題ですが、離島留学の制度によって島外の子供を受け入れて何とか成り立っているようです。自分が子供の時にこの制度を知っていたらちょっと検討していたかもしれません。ちなみに、島内にあるのは中学校まで。高校入学時には別の島や本土に出る必要があるため、青ヶ島の子供は15歳になるまでに自立が求められます。大変そうではあるものの、島外生活では島の外のことを知ることで、より多くの知見が得られそうです。そういった点で、苦労することは多いと思いますが、青ヶ島に限らず、小さな離島で生まれ育つということで、多くのアドバンテージがありそうな気がします。
それでは夕食の時間が近づいてきたため、本日の散策はこの辺にして民宿へ戻ります。
民宿かいゆう丸での夜
集落巡りを終了し、民宿かいゆう丸へ帰還。宿へ戻ると、同時に青ヶ島入りしたあの男性二人組の方々はすでに夕食を前に酒を酌み交わしているご様子。改めてご挨拶すると、「よかったら一緒に飲みませんか?」と誘って頂いたので、お言葉に甘えることに。
どうやら、この日の宿泊者は自分を含めてこの3名だけだった様子。男性二人組の方は恐らく60代と50代程度。東京在住の方ではあるものの、明らかにご出身は関西で、掛け合いがまさに漫才のそれ。人を楽しませる話術があるのはとてもうらやましいものです。青ヶ島は「青酎」という焼酎が名物であり、おすそ分けまで頂いてしまいました(ありがとうございます)。普段焼酎は口にしないものの、不思議とスーッと体に入っていく感覚がありました(帰るときにお土産として購入したほど)。こういう旅人同士の交流というのも、旅の醍醐味です。
また、かいゆう丸の料理は特別飾ったものではないですが、家庭料理を少し華やかにした感じで、とにかく品数と量が多いのが特徴。刺身や肉料理、副菜数品が卓上にならび、それぞれ量があるので、大いに食べ応えがありました。ご飯はどうやらセルフ形式になっていたようですが、飲んだくれていた我々はそれに気づくことなく、おかずを肴にして、お酒を楽しんでいたように記憶しています。
午後9時頃に飲み会はお開き。この頃に厨房はすでに閉店ガラガラ状態。かいゆう丸では簡単な飲み物やスナックの販売があり、冷蔵庫やカウンターにあるものについてはお金を置いておけば、自由に取って行ってもよいスタイル。これも小さな離島ならではの「完全信用方式」で、この自由度の高さも文化的な魅力がありました。
さて、ここでかいゆう丸の施設を簡単に。かいゆう丸の客室は個室、かつ、水回り(トイレ・風呂)は共同という典型的な民宿によくあるタイプです。個人的に思ったかいゆう丸の設備面の魅力はとにかく清潔であるということ。かいゆう丸は青ヶ島の中では一番新しい民宿のため(2020年オープン)、食堂・個室・水回りすべてがきれいです。民宿というと、いわゆるホテルよりメンテナンスが甘くなりがちなイメージがありますが、むしろ、そこら辺の年季の入ったビジネスホテルよりもずっときれいでした。もちろん、新しいことだけでなく、普段のメンテナンスがマメなのも、大きなポイントかと思います。
さて、青ヶ島の夜の観光の醍醐味は星空を眺めること。先述の草原地帯「ジョウマン」や尾山展望公園は星空観測スポットとして人気で、せっかくだから行こうと考えていたものの、気づいたら眠りに落ちていた模様(そもそも酒が入っているので運転ができない)。気づいたときには深夜2時を回っていたため、今回は断念することとなりました。
集落を巡って島民の生活を探る (後半)
時刻は早朝6時前。本日の10時20分のヘリで青ヶ島を発つ予定なので、朝食前の一散策へ出かけます。車には乗らず、引き続き徒歩で昨日の集落巡りの続きをしていきます。今回は集落の西側と、東側で昨日行けなかった場所を歩きます。
宿から都道へ出て今度は三宝港と反対方面へ歩いていきます。すると、早速見えてくるのが郵便局。もちろん、ゆうちょ銀行のATMがあり、営業時間内であればお金をおろすことができます。基本島内は現金社会なので、事前に現金はしっかり持っておきましょう。ちなみに、青ヶ島村の住所はすべて「東京都青ヶ島村無番地」。そのため、宛名で判別され、郵便物が届くという珍しい場所でもあります。
少し上ると居酒屋。純粋な飲食店・食堂はないものの、居酒屋はあります。利用の際は宿の夕食とバッティングしないように、予め相談しておくのがよいのかもしれません。
その先は都道の(実質の)終点に向かうのみのため、都道を少し戻り、村道へ。そこには意外と集合住宅の姿が。恐らくは教職員住宅なのかもしれません。
そして、少し進むと、島唯一のたばこ屋さん。店舗というよりは小屋のような見た目で、貼り紙を見る限り、火曜の18-19時のみの営業のようです。スモーカーにとってはたばこを手に入れるのも一苦労なのかもしれません。さて、たばこ屋の看板には美容室のロゴも掲出されています。同じ敷地に美容室があるようで、これもさりげなく重要な生活インフラ的存在です。ただし、169人の人口で生活になるのか気になって調べてみたところ、どうやら2-3カ月おきに東京の美容師さんが出張訪問をされている様子。人口が少ないため、こういう出張サービスは島民にとって頼りになりそうです。
しばらく歩いていると、都道へ合流。今度は昨夕訪れた小中学校よりもさらに三宝港方面へ進んでいきます。小中学校のすぐ奥には村役場。そして、それに隣接する形で診療所・保育所・図書館・公民館といった公共施設があります。特に、診療所・保育所を兼ねた建物が人口169人の村の建物とは思えないほど立派です。
さらに都道を進むと、駐在所があります。村内における事件・事故は限りなく少ないですが、恐らくは島内一人きりの警察官となるのでしょう。そうであれば、逆に24時間呼ばれる可能性があるので、それはそれで精神的に大変そうです。
日本離れした名手屋敷跡/やたらと急な大里神社
集落巡りと銘打って外出したものの、集落を外れてもなお、都道を港方面へ歩き続けます。しばらく歩いていると、「名手屋敷跡」という看板を発見。近くに道路下に降りる階段があるので、降りてみるとちょっとした異世界が。敷地は玉垣で囲われており、そこにはヤシっぽい植物が多く植えられている光景が広がります。どこか日本離れした景色で、東南アジアの林の中に迷い込んだ感覚です。
この「名手」とは佐々木次郎太夫のこと。この人物は1785年の火山噴火以降、八丈島の避難生活で無人島となっていた青ヶ島帰島への道筋を作った功績があり、島内ではヒーローとして語り継がれています。彼がいなければ、もしかしたら青ヶ島はいまも無人島だったかもしれず、その点では島の歴史を大きく変えた人物といえるでしょう。
都道をさらに進むと、今度は「大里神社」の看板。その看板が矢印で指し示すのは一見何の変哲のない歩道。取り合えず進んでみることに。昨日行った大凸部や尾山展望公園の遊歩道以上にしっかり整備されている印象で歩きやすいです。3分ほど歩いていると、鳥居と参道の入口が出現。しかし、ここからは一気に道の様子が急変。急な玉石の階段が設置され、その周りにはさわさわと草が生い茂る野性味のある通路に変貌したのです。これが結構滑りやすく怖い。一旦歩みを止めて振り返ると、眼下に広がる海。そこに朝日が照り付けて、幻想的な景色を生んでいます。うん、これで満足。大里神社は島の総鎮守として位置づけられていますが、このまま上がるとご加護を受けるどころか、逆にけがをしそうなので、この先は断念することに。
幻の港へ、しかし…
大里神社からさらに先へ。都道を歩いていると村道が分岐する地点があるため、今度はそちらに入っていきます。こちらに入ったのは一つお目当てのスポットがあったから。それは大千代港。先述の三宝港を実質島内唯一の港として取り上げましたが、実は島内には大千代港という港もあります。三宝港は先述の通り、天候の影響を受けやすいため、その補完機能として作られたのが大千代港です。しかし、現在は実質廃港となっており、機能していない幻の港となっています。その理由は大千代港までの道が大崩落を起こしたため。この大崩落は1994年に起きており、この際に島民3名が犠牲となるほどの自然災害でした。この道路、相当厳しい場所に設けられていたらしく、いまでも技術的に補修するのが難しく、そのまま放置状態となってしまっているのです。
とはいえ、途中までは歩けるので、どこかからその幻の港をお目にかかれればと思い、やってきた次第です。恐らく通行時の感覚でいえば、恐らくこの道を使っている人は殆どいない印象。路面の一部は苔むしていて、ガードレールも錆び気味、そして、谷側は背丈以上に伸びた草がさわさわしており、通行していてどこか心許ない感じです。本当はここまでレンタカーを使いたかったところですが、青ヶ島レンタカーからはこの道への進入を禁止されているため(確か落石の危険性があったからと記憶している)、わざわざここまで歩いてきたのです。
そういった状況のため、一目でも大千代港の姿を捉えたいと思ったものの、10分程度歩いてあえなく規制区間(終点)へ到着。その終点の先からも結局、伸びきった草で見えることがなく、大千代港ウォッチングは断念することに。
ただし、都道から分岐してすぐのところには二重カルデラを見渡せるスポットがあり、日中とは違う丸山の姿が拝めたのは良かったです。
それでは朝食の時間が近づいているため、都道を経由して民宿へ少し急ぎ足で戻ります。
青ヶ島で最後のひととき
かいゆう丸に無事帰還し、朝食タイムを迎えます。この時も同宿の男性二人組の方と話をしつつ、優雅な朝を過ごしました。メニューはトーストを基調とした洋食(日によっては和食になるらしい)。こちらも飾ったものではないものの、逆にこれが民宿らしくて良いのです。夕食と同様、美味しく頂きました。
諸々荷物の準備を済ませ、少し時間が余ったので、最後のドライブを兼ねて三宝港へ行くことに。この日は天気が下り坂ということもあり、昨日より若干波が高め、風が強めという印象がありました。それにしても、1泊2日の滞在ではありながらも、観光客なりに地理を把握し、島内の運転も様になってきたなと(自分でいうのも何なんだが)。帰る時間は近づくも、何とも離れがたい気持ちになっていました。
さらば青ヶ島
それではかいゆう丸に戻り、荷物を引き揚げ、精算。お値段は3食付で12,000円(利用当時)。清潔な環境で、美味しい食事、そして、ホスピタリティ精神のある宿で、離島としてはなかなか良心的な価格のように思いました。次に来る機会があれば、またリピートしてしまいそうです。
女将さんに挨拶をしてかいゆう丸をチェックアウト。青ヶ島レンタカーで返却手続きとガソリン補給を行い、精算。最後少しだけ運転して、ヘリポートの駐車場に車をデポして青ヶ島観光はこれで終わり。後は八丈島経由で東京へ戻るだけです。このタイミングでちょうど雨模様に。ギリギリ天気が持ったみたいで、天候に恵まれた旅となりました。
青ヶ島ヘリポートの施設はヘリの発着場と小屋のような待合室のみ。この待合室の中に小規模なカウンターと保安検査スペースがあり、ここで受付・荷物預けなどの手続きを済ませます。また、乗客が一通り手続きを終えると、航行中の注意事項などについて、説明を受けます。
こうしているうちに、八丈島から来たヘリが到着。降機客が降りた後、割とすぐに通されて搭乗。そしてまもなく、垂直に離陸を開始。これをもって青ヶ島へ離れることとなりました。着いた当初は「取り残された」と心境でしたが、帰るときには「むしろ取り残してくれ」という心境に。1泊2日でもうすっかり青ヶ島のファンと化していました。
約20分の航行で、八丈島空港へ到着。往路と同様、滑走路に着陸、タキシングをして降機となりました。青ヶ島では直接荷物を係員の方から受け取りましたが、八丈島空港では通常の空港と同じく、到着ターミナルのターンテーブルで受け取る形となっていました。ちなみに、かいゆう丸で同宿だった方々も、帰るタイミングが同じでしたが、ここでお別れ(ありがとうございました)。次は八丈島空港からANA機で羽田空港へ帰ることとなります。しかし、復路に関しては接続がそこまでよくなく、およそ2時間待ちとなります。観光をするには中途半端なうえ、外は雨なので空港で待ち時間を過ごすことに。八丈島空港は恐らく伊豆諸島の中では比較的規模のある空港で、レストランやお土産売場、展望デッキなどがあるため、次の場所へ向かうヘリを撮影したり、土産物を物色したり、レストランで食事したり、適当にゆっくりしていました。
実はこの日、八丈島では強風の影響で、搭乗予定の便は条件付運航となっていましたが、最終的には無事運航が決定。出発時刻が来て、無事八丈島を離陸、東京へ戻りましたとさ。
最後に
今回は1泊2日、約24時間の青ヶ島滞在となり、基本的な場所・体験はできたものの、あくまでも一部となります。それでも、アクセス困難・最小人口・厳しい地形ということだけが取り上げられがちな中、実際に島にわずかながら滞在することで、島の歴史や生活のあり方の一部、厳しくも美しい自然風景に触れることができました。冒頭の通り、青ヶ島への訪れる観光客は少なく、情報が出回りにくい中、現地の雰囲気に触れられたのは非常に貴重な体験でした。
ただ、アクセスが困難なのは確かなことで、次回の訪問はいつになるか、そもそも、一生のうちで再訪のチャンスを得られるのか、その保証はありません。しかし、青ヶ島は旅好き・離島好きの人であれば、一度訪れると虜になる魅力を持っており、自分自身も例外ではありません。今後の訪問の目途はないですが、折に触れて青酎やひんぎゃの塩など購入するなど、青ヶ島を応援していきたいと思っています。
というわけで、今回の青ヶ島の旅はこれにて以上です。読者の方に青ヶ島の魅力が伝わったこと、特に青ヶ島へ渡航を予定している方においては少しでも役に立てる情報があったことを願って記事を締めくくります。最後までお付き合い、ありがとうございました。