【最長片道切符の旅#13】東北新幹線で行ける仙台・郡山を変なルートで旅する
最長片道切符の旅13日目。本日は2023年4月11日(火)。宮城県・仙台駅から旅を再開していきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧下さい)
この日の旅程は下記の通りとなります。
【旅程: 最長片道切符の旅13日目】
■ 仙台駅(7:34)
↓ 東北新幹線 やまびこ208号
■ 福島駅(7:59/8:06)
↓ 東北本線 普通
■ 白石駅(8:40)
■ 白石(宮城)観光
・ 白石城(益岡公園)
・ 武家屋敷
・ 蔵王酒造展示館
・ 昼食
■ 白石駅(12:19)
↓ 東北本線 普通
■ 岩沼駅(12:46/13:03)
↓ 常磐線 普通
■ 原ノ町駅(13:59/14:08)
↓ 常磐線 普通
■ いわき駅(15:29/15:45)
↓ 磐越東線 普通
■ 郡山駅(17:36)
本日の旅のポイントは通常であれば、東北新幹線のやまびこ号で約40分、3駅で行ける仙台・郡山駅を何時間もかけて遠回り、いや、遠回りどころか福島で実質折り返しをして元来た方向に戻っているという狂ったようなルートをたどるのが最大の特徴です。厳密には東北新幹線で来たルートを東北本線で戻っているため、厳密には行った道を引き返していないのですが、それでも似たようなところを走るため、後戻りしている感が拭えない旅程と言えるでしょう。
また、上記の通り、途中の白石で観光のため途中下車をしていきます。
【7:34発/7:59着】東北新幹線で仙台から福島へ
それでは最長片道切符の旅の再開です。まずは東北新幹線で2駅先の福島へ向かいます。乗車したのはやまびこ208号の東京行き。時間にして30分弱の乗車のため、自由席にしました。やはり、平日の朝ということもあるのか、自由席は一部3人がけの中央の席を除けばほぼ埋まっており、デッキに立って移動する人も少なくありませんでした。例にもれず、自分もデッキに立って移動します。
仙台の次は白石蔵王。この後、白石で観光する予定があるのですが、在来線でこの後また戻ってくるというのが変な感じです。車窓右手には蔵王山が見えてきます。4月中旬ということもあり、山頂は雪をかぶっており、きれいです。
県境を越えて宮城県から福島県へ入ります。福島県では時期柄、時折鮮やかなピンク色の桃の木が車窓に彩を加えてくれます。地図と照合すると、特に桃の木が多く見られるのは桑折町(福島市の東隣)から福島市にかけてのようです。福島県の桃の生産量は山梨県に次いで第2位。中でも、桑折町の桃は品質の高さで有名で、20年以上皇室へ献上をしているのだとか。やはり新幹線は速く、あっという間に福島へ到着。福島駅では乗降ともに多く見られました。
この後は在来線に乗り換えるのですが、標準乗換時間が8分のところ、旅程上の乗換時間は7分。最長片道切符は自動改札に通せず、多経路のため、改札口での時間に多少時間を要します。そのため、急いで乗換をする必要があります。こんな時に限って階段から遠い先頭車両に乗ってしまっているアホな自分がいました。
福島駅の発車メロディは甲子園の曲「栄冠は君に輝く」が使われており、ビジネス利用が多いこの時間帯、戦闘モードへ導いている雰囲気があり、偶然にも雰囲気がマッチした感覚があります。そして、乗換を急ぐ自分への応援歌にもなりました。
【8:06発/8:40着】 東北本線で白石へ
それでは在来線に乗車。何とか間に合いました。次に乗車したのは東北本線の仙台行き普通列車。仙台を出発してきたのに仙台行きに乗車することになるとは。少しならまだしも、岩沼駅まで戻ることになるので、仙台・福島駅間の特急料金(自由席で1,870円)を無駄にしているといっても過言ではないでしょう。
福島出発時点では主に通学・通勤客で混んでおり立ち客も多かったですが、隣の東福島で学生さんが多く降り、空席も多少出ました。車両はE721系で、車内はセミクロスシートとなっていますが、まるまるボックスが空くことはなかったため、自分は立ちっぱなしで景色を見ることにしました。
藤田駅をでて貝田駅へ向かって走っている際、景色は山の様相になりますが、車窓右手には福島盆地の田園風景を見下ろせる箇所があり、こちらは見どころの一つでしょう。
列車は貝田・越河駅間にある国見峠を越えると、再び福島県から宮城県へ戻り、しばらく行くと白石へ到着します。一度、ここで途中下車をしていきます。
【8:40-12:19】 敵から娘を託された片倉小十郎のお膝元、白石を散策
白石で途中下車し、宮城県内有数の城下町、白石を観光していきます。
まずは白石城へ向かいます。駅から白石城までの案内が充実しており、地図なしで行けるほど。白石城のある益岡公園へ到着。駅からは徒歩12分です。白石城の敷地に入り、最初にある「歴史探訪ミュージアム」で諸施設の入場券を買います。おすすめは白石城への入城券・ハイビジョンシアターの観覧券・武家屋敷の入館券がセットになった共通券を買うこと。
「ハイビジョンシアターとは?」と思われる方も多いと思うので簡単に。ハイビジョンシアターとは白石城にまつわる歴史のエピソードを上映するものであり、3Dメガネで立体的に楽しめるのが特徴です。ただし、当初は時間の関係上、ハイビジョンシアターに立ち寄るつもりはなく、共通券を買わないつもりでいたところでしたが、何を勘違いしたのか、誤って共通券を購入。「せっかくだから見ていくか」ということで、こちらも急遽予定に組み込んだ次第です。
ハイビジョンシアターの上映時間まで少し時間があったため、同じ歴史探訪ミュージアム内にて、白石の歴史を学ぶことに。
白石城は建設時期は明らかではありませんが、伊達政宗の家臣だった片倉小十郎が城主を務めた頃から記録が明確に残っています。ちなみに、この「片倉小十郎」とは一人のことを指すわけではなく、当主となった片倉氏11代にわたり、この通称を使ってきたのだそう。特に2代当主となった片倉小十郎重長は「鬼の小十郎」といわれるほどの戦果をあげた人物です。1615年に行われた大坂夏の陣のこと、この戦いは徳川軍と豊臣軍の間で行われ、徳川軍が豊臣軍を破った戦いです。その中で、徳川軍として、重長が家臣を務めていた仙台藩の伊達政宗とともに大坂夏の陣に参加。一方で、豊臣軍に参加した一人に「日本一の兵」として有名な真田幸村(信繁)がいました。重長はこの戦いで大いに活躍し、豪傑といわれた後藤基次(又兵衛)を破るなど、成果をあげていました。この状況に幸村も死闘になることを覚悟した一方、重長を知勇兼備の将と見込み、自分の娘、阿梅を重長に託したというエピソードがあります(その後、幸村は戦死)。
敵に子女を託すという歴史上のストーリーはなかなかロマンチックな話ですが、調べるともう一つ説があるようでした。それは幸村が子女を託したのではなく、大阪夏の陣で大阪城が落城した際に、生け捕りにされたという説。その際は出自が不明であり、小間使としていたが、後に幸村の娘と判明し、最終的に妻となった、というものです。実はこちらの説の方が有力らしく、幸村が子女を重長に託したというのは都合よく解釈されたという推測がなされています。なるほど、事実を見た人などこの世にいないわけで、見方や想像次第でいくらでも話が作れてしまいますよね。
一通り学び終わっても、上映時間まで時間があったため、近くの白石城へ。片倉氏の城のつくりは城に攻め入った敵陣に対して、鉄砲や矢を討つための小窓、狭間や石を落とすための「石落とし」など、敵に落城させないための様々な仕掛けがあります。そして、建築面では3階建ての立派な城ではあるものの、一切釘を使わずに木材を縦横に組み合わせた「木組み」の工法が用いられているようです。この建物自体は復元されたものですが、それをもってしても、よくできた城であるものと思ってしまいます。3階からは白石市街の眺望を楽しむことができます。白石市は人口3.1万人(2023.7現在)。宮城県内には10番目にもならないほどの小都市ですが、市街地は思ったよりも広範囲に街が広がっている印象。新幹線駅である白石蔵王駅や、蔵王連峰なども見られます。時間があれば行ってみるとよいでしょう。
それでは「ハイビジョンシアター」の時間がやってきたので、再度、歴史探訪ミュージアムへ。
上映時間ごとに上映される作品が異なるようで、今回観賞したのは「宮城野・信夫 娘仇討ち」という作品。この作品は百姓の娘2人が剣術のプロにリベンジをかけるというものです。百姓の娘2人とその父が農作業をしていたところに、片倉小十郎の剣術の師、志賀団七が通りがかり、その際に田んぼの泥が団七にかかってしまいます。それに怒った団七が連れ人の制止を振り切り、謝罪をする父を切り捨ててしまいます。当然、娘2人はショックを受け、それを知った病床の母は様態を悪くし、亡くなってしまいます。この親の仇を取るべく、白石から江戸へ渡り、武道の稽古を数年受けた後、白石へ戻り、最終的に団七の首を取るというエピソードです。ちなみに、タイトルにある「宮城野」「信夫」というのは江戸の師範が2人につけた名前です。
あまり自分自身は時代劇などを見ることはないのですが、いざ映像で見ると引き込まれるものがあります。また、これはフィクションではなく、実話がもとになっているので、なおさらです。歴史探訪ミュージアムのハイビジョンシアターでは時間帯によって、エピソードが変わるので、一概には言えませんが、時間があれば行ってみるとよいかと思います。
少し時間が押してしまったので、鑑賞終了後はすぐに白石城を後にし、武家屋敷へ。その武家屋敷とはよくあるような街並みとしての武家屋敷ではなく、1棟の武家屋敷を見るというものです。駅から徒歩15分、白石城からは徒歩10分くらいだったかと。門の前には水流が流れており、外観は立派なかやぶき屋根の家屋。この建物は約260年前に建てられたものを修復したもので、当時の間取りをそのまま伝えます。いかにも時代劇で出てきそうな土間・いろり、簡素な和室などを見ることができます。また、庭園も立派に手入れされており、一見の価値があります。訪問時、ちょうど屋根を茅を葺き替えたばかりらしく、煙で屋根を燻す作業が行われていました。そのこともあり、体に煙の残り香を漂わせながらこの後の日程をこなすことに。。。
その次は「蔵王酒造展示館」へ。白石には「蔵王酒造」という蔵元があり、「蔵王」という銘柄の日本酒を主に手掛けています。この展示館は小規模ながらも、酒造りの工程や酒造りに使う伝統的な道具が展示されています。事前予約をしておけば、酒蔵の見学もできるようでしたが、今回は時間がないのでパスとしました。酒蔵見学を含めないのであれば、10分あれば十分見ることができるので、時間が余った際に寄ってみるとよいかもしれません。本当は酒の一本でも購入したかったところですが、荷物になりそうだったので、今回はパスしました(動画内で「昼から酒を飲むのは…というくだりがありますが、どちらかというとこちらの気持ちの方が強かったところです)。
それでは白石駅へ戻りますが、出発前に昼食にしていきます。白石は温麺(うーめん)が有名。せっかくなので温麺を頂くことに。温麺はそうめんの一種ですが、製麺時に油を使うそうめんに対して、温麺は油を使わないのが特徴です。今回は駅からすぐのところにある「うーめん処なかじま」さんを訪ねました。名前は「温」麺ですが、冷やして食べる温麺もあるらしく、その場合、いろいろなつけ汁を試せるメニューなどもあるようです。これも魅力的ですが、初回なので今回は温かい「山菜うーめん」を注文。ちゃっかり、先ほど訪問した「蔵王」の辛口も頼んでしまいました。
蔵王の日本酒は淡麗で、すっきりとした味わいが特徴でした。日本酒が苦手な方でも試す価値はあるかと。そして、うーめんに関してはやはり素麺を温かくして食べている印象。旅行中の食事は華やかさを求めたり、ついつい食べ過ぎがちに。その点では素朴な温麺はさっぱりとしており食べやすく、内臓にとってはつかの間の休息になったところだと思います。ご飯ものとのセットもあるので、がっつり食べたいという方も満足できることでしょう。
【12:19発/12:46着】 東北本線で岩沼へ
白石での観光を終え、ここから移動を再開していきます。まずは仙台行きの普通列車へ。車両は再びE721系電車。しかも、6両編成で当駅始発なので余裕でボックスを陣取ることができました。
ガラガラのまま、白石を出発すると、列車は白石川沿いを走行。そのまま東白石駅へ到着します。東白石駅近くに人家はほとんど見られず、秘境駅らしい雰囲気を醸し出しています。
大河原駅は主要駅の一つ。この辺から少しずつ利用客が増えていきます。そして、槻木駅は阿武隈急行線との乗換駅。一度も乗ったことがないのでいつか乗ってみたくなります。次は下車駅の岩沼駅。ここで列車を降ります。
【13:03発/15:29着】 常磐線へ乗り換え、原ノ町経由でいわきへ
岩沼は常磐線との乗換駅。ここで常磐線へ乗り換えます。岩沼からは原ノ町行きの普通列車に乗車します。車両は701系電車。すべてロングシートの車両です。ちょっと残念。
常磐線といえば、2011年の東日本大震災による甚大な被害を経て2020年3月に全線復旧したことは記憶に新しいかと思いますが、震災前後で変化した区間があります。その区間は浜吉田駅から新地駅の間。この区間は線路のルートが変わった区間です。
浜吉田駅を出ると進行方向左側に線路に沿った道路がありますが、かつてはそこを線路が走っていだものと思われます。また、現在のルートよりも海側に線路が設けられていました。そして、現在のルートのほとんどが高架となっており、その途上にあるのが山下駅と坂元駅です。この2駅は駅の場所が震災前後で変わっています。宮城県から福島県へ県境を越えると新地駅へ。新地駅も移設区間に含まれており、移設のうえ営業再開しています。新地駅を出ると左側に道路が見えますが、この奥側から現在の線路へ接近することで、いまのルートに合流します。途中、道路橋のガードレールが大きくひしゃげているところがあり、これもおそらく津波の影響かと思われます。そうであれば、津波の被害の大きさを実感できる貴重な史料になるでしょう。
途中、相馬駅を通り、次に南相馬市街に達すると終点の原ノ町駅に到着します。ここで水戸行きの普通列車に乗り換えます。ここから水戸まで行くとはなかなかロングランな列車ですね。接続は対面で行われるので、乗り換えは楽です。車両はE531系電車。ようやく首都圏で見られる車両にお目にかかれ、ちょっとは進んだことを実感します(ペース的にはかなり危機感があるが)。列車は5両編成。ロングシートのみの車両があるため、クロスシートの車両は必然と少なくなりますが、即座に乗り換え、無事にクロスシートをゲットします。
まもなくして、原ノ町を出発。浪江駅からは「東京近郊区間」に足を踏み入れます。そもそも、近郊区間とは通常、切符を購入時にルートを定め、その距離に応じた運賃を支払うところを、この区間内に完結する場合は最短距離に基づく運賃を支払えば基本ルートは自由に組める区間のことです。東京近郊区間とはいえど、まだ東京に近づいた実感まではわかないのが正直。suicaのエリアが拡大しているため、ここまで区間が広がっていると思われますが、いくらなんでも広すぎる気もしなくもありません。
ところで、浪江・富岡駅間は常磐線の最後の復旧区間です。この区間は原発事故に伴う帰還困難区域を含んでいるため開通が遅くなり、営業再開は2020年3月となりました。現在もなお、沿線には帰還困難区域が存在し、一部では列車自体もその区域内を走行することがあります。途中にある双葉・大野・夜ノ森の3駅周辺の帰宅困難区域から外れましたが、駅から少し外れると帰還困難区域に入る箇所もあり、その区間では昔の看板が残るなど、時が止まったままになっている光景が広がります。時が経つにつれ、復興が進んでますが、その道のりはまだ半ばであることを感じます。
この区間の車窓を集中して見ており、色々考えていたこともあり、富岡駅を過ぎると疲れてうとうとしてしまい、気づいたら列車はいわきの隣駅、草野駅まで来ていました。ここまで来ると次の乗換駅、いわきはもうすぐです。
【15:45発/17:36着】 桜がきれいすぎる磐越東線で郡山へ
常磐線でいわきまで到着。ここまでで既にお尻が痛くなっていますが、休みなく磐越東線で郡山へ向かいます。列車はキハ110系気動車の2両編成。いわきを出発した時点では一人も座らないボックス席があるほどに空いていました。福島県有数の都市、いわき・郡山を結ぶ磐越東線ですが、この間の交通のシェアは高速バスに軍配が上がっているようです。そのこともあり、いわき・郡山駅間を通しで走る列車は5往復/日で、予定を立てるにもネックになりやすい区間でもあります。
常磐線と分かれ、途中の小川郷駅までは平地を走るものの、小川郷を過ぎると阿武隈高地へ向かい、標高を上げていきます。江田・川前間では夏井川の渓流を見ながら進みます。列車が夏井駅へ差し掛かると、まさかの名所案内があのワンマンの自動放送の声でかかります。どうやら「夏井千本桜」の案内のようです。夏井駅前後では進行方向左手の夏井川沿い、約5kmに渡り、千本の桜を植えた「夏井千本桜」を見ることができます。遠目ながらも、ずらりと桜の木が横一直線に並ぶ光景が目に入ります。夏井駅を過ぎると、次第に近づき、視界いっぱいに広がる桜を楽しむことができます。このときは4月中旬。端午の節句に備え、こいのぼりも出ており、春を訪れを感じられます。こんな名所があったとは知らなかったです。
主要駅の一つ、小野新町駅を出発すると、阿武隈高地の比較的平坦なところを走り、その間は田園風景が広がります。途中の船引駅がある田村市にも桜スポットが複数あるようで、船引駅の駅ホームには地元の桜まつりの提灯が飾られていました。そして、もう一箇所、桜スポットにたどり着きます。それが三春です。三春町では「三春滝桜」が有名で、国天然記念物に指定されています。三春滝桜の場所は駅から遠いですが、駅近くを流れる八島川沿いにも桜が植えられており、こちらでも十分きれいです。三春駅を出発して阿武隈高地から降りると郡山の市街地に入り、終点の郡山へ到着します。
この列車は郡山へ近づくにつれ、乗客は増えたもののところどころに空席が見られ、思ったほどの混雑にはなりませんでした。一方で、夕時ということもあり、郡山駅から郊外へ向かう通勤・通学客が多く、ホームは人で溢れかえっていました。さすがは福島第二の都市、郡山です。
【19:30-20:00】 郡山名物のブラックラーメンを食す
変なルートをたどり、ようやく本日の目的地、郡山へ到着です。ホテルにチェックイン後、夕食へ。郡山の有名グルメ、「郡山ブラックラーメン」を食べに行きます。今回訪れたのは「ますや本店」さんの駅前店です。
こちらのお店では主に伝統を守るラーメン「伝」と伝統のラーメンにアレンジを加えた「新」という大きく2種類のラーメンからメニューが構成されています。今回は初めてなので「伝」を注文。麺はストレートとちぢれ麺が選べたので、ちぢれ麺を選びました。
5分程度で着丼。見た目は名前の通り、黒っぽいスープですが、味自体はあっさりとしていて食べやすいです。いわゆる昔の中華そばに近いもので美味しく頂きました。
それでは本日の旅程はこれで終了です。お疲れ様でした。
【YouTube】