【最長片道切符の旅#14】8カ月ぶりの復旧を果たした磐越西線を乗り通す
最長片道切符の旅14日目。本日は2023年4月12日(水)。福島県の郡山駅から旅を再開していきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)
この日の旅程は下記の通りとなります。
【旅程: 最長片道切符の旅14日目】
■ 郡山駅(6:52)
↓ 磐越西線 普通
■ 会津若松駅(8:08)
■ 会津若松観光
● 若松駅前(8:45)
↓ 会津バス まちなか周遊バス「あかべぇ」
● 会津武家屋敷(8:56)
・会津武家屋敷
● 会津武家屋敷(10:10)
↓ 会津バス まちなか周遊バス「ハイカラさん」
● 飯盛山下(10:16)
・飯盛山
● 飯盛山下(11:20)
↓ 会津バス まちなか周遊バス「あかべぇ」
● 鶴ヶ城入口(11:46)
・鶴ヶ城
● 鶴ヶ城入口(12:44)
↓ 会津バス まちなか周遊バス「あかべぇ」
● 七日町中央(12:57)
・昼食
・七日町通り
● 七日町中央(13:57)
↓ 会津バス まちなか周遊バス「あかべぇ」
● 若松駅前(14:10)
■ 会津若松駅(14:33)
↓ 磐越西線 普通
■ 新津駅(17:11/17:18)
↓ 信越本線 快速
■ 長岡駅(18:01)
本日のメインテーマは磐越西線ということになりそうですね。偶然にも全線走破する形となります。磐越西線は訪問する直前まで2022年8月の大雨の影響で、喜多方・山都駅間が長期不通となっていましたが、ちょうど復旧したばかりのタイミングでの訪問がかないました。
また上記の通り、会津若松で途中下車をして市街地の主要な場所を弾丸で観光をしています。
【6:52発/8:08着】 磐越西線で会津若松まで移動
それでは郡山から旅を始めて行きます。本日は早朝からの出発。眠い目を擦りながら郡山駅へやってきました。本日乗車する一番目の列車は会津若松行きの普通列車です。車両はセミクロスシートのE721系電車。平日でしたが、出発15分前に乗り込んで問題なくボックスシートを抑えられました。
郡山を出発時点でも多少の空席が残った状態で出発。2駅先の喜久田までは市街地を走行。その後は郡山盆地の田園風景を見ながら温泉地である磐梯熱海へ到着します。「熱海」というと、どうしても静岡県の熱海温泉が彷彿とされますが、まったく無関係ではないのです。12世紀頃にこの地を治めた伊藤祐長(すけなが)の出身が伊豆国であり、そこにある熱海温泉を偲んでこの名前がついたとされているからです。進行方向左右に見える磐梯熱海温泉の旅館群の中を進むと山越えの区間となります。
中山宿駅手前に差し掛かると、進行方向左手に使われなくなったホームが見えます。実は訪問当時は知らなかったのですが、かつてこの駅ではスイッチバックが行われていたようです。1997年3月までスイッチバック方式がとられており、その後に現在の位置にホームが移されました。いまはそのスイッチバックの跡地から約800m位置が異なる場所に駅がありますが、かつての中山宿駅跡は車窓からもよく見え、看板があったことでこの事実に気づくことができました。
中山宿駅を出発すると中山峠を越え、その次は上戸駅。上戸駅を出発すると一瞬ではありますが、猪苗代湖が遠目に見えます。その際に唯一の通過駅、猪苗代湖畔駅を素通りします。訪問当時、完全に勘違いしていたのですが、結論、車窓から猪苗代湖がクリアに見えることはなく、写真撮影は難しいです。この駅があることを知っていると、あたかも猪苗代湖が車窓から見えるものと勘違いしそうになりますが、湖畔は木に覆われており、その姿を隠しているのです。ちなみに、猪苗代湖畔駅は臨時駅となっていますが、2007年夏を最後に停車した実績がなく、実質の休止駅となっています。
猪苗代湖の代わりといってはなんですが、その後に磐梯山が見えてきます。カーブがある関係で、進行方向左右どちらからでも眺めることができ、進行方向左手であれば関都・川桁駅間、右手であれば猪苗代・翁島駅間で見えます。
その後は会津盆地へ下りると終点の会津若松駅へ到着します。会津若松駅到着直前には右手から新津・喜多方方面からの線路と合流をします。同じ磐越西線ではありますが、会津若松を境に進む方向が変わるスイッチバックとなっています。とはいえ、会津若松で運転系統が変わるため、会津若松を貫く列車はまずないのですが(郡山・喜多方駅間を結ぶ観光列車フルーティアふくしまは例外)。
【8:45/14:10】 悲壮な歴史をもつ会津若松を観光
郡山から乗車すること約1時間25分、終点の会津若松へ到着しました。ここで途中下車をして会津若松を観光していきます。
会津若松の観光地は市街地に散らばっており、その移動はまちなか周遊バスが便利です。
1回の乗車で210円、3回以上乗車する際は600円のフリーきっぷがお得です。自分もこのフリーきっぷで旅をしていきます。
訪問した場所が多いので、訪問場所ごとに記載していきますが、その前に、会津で有名な白虎隊関連の歴史を前提知識として書き留めておきます。というのも、これを知っているか知っていないかで会津若松の旅の充実度は幾分変わってくると思うからです。
まず、戊辰戦争について。戊辰戦争は簡単に言うと、政治体制の変更をめぐり、新政府軍と旧幕府軍が戦い、結果的に新政府軍側が勝利したというもの。いまの会津若松を領地とした会津藩は旧幕府軍に属しました。1868年に会津藩に新政府軍が攻め入った際の戦争を「会津戦争」と呼びます。この会津戦争に予備兵力として発足されたのがかの有名な「白虎隊」です。若い者では10代後半の青少年も動員されました。
予備兵力とはいえども、結局新政府軍の戦力に及ばず、白虎隊も各拠点に投入されました。しかし、彼らの装備は比較的簡易的なものだったため、太刀打ちできず、撤退することに。白虎隊はいくつかの小グループに分かれていましたが、そのうちの一班が撤退の際に山の中を彷徨い、何とか飯盛山へ到着。その飯盛山で、彼らが守り抜こうとした会津藩の拠点、鶴ヶ城が燃え上がっている光景を発見します。これまで落城を防ぐべく自分たちが守り抜こうとしていた鶴ヶ城が赤く燃えたぎるその姿を見て、メンバーは武士としての精神を貫こうとして山中で自決を図ったのです。これがいわゆる白虎隊の悲劇といわれるものです。しかし実際には、鶴ヶ城が燃えているように見えたのは誤認で実際は落城していなかったといわれています。
今回はこの歴史に纏わるところを中心に訪問をしています。
【8:56-10:10】 会津武家屋敷
会津藩の家老を務めた西郷頼母(たのも)の屋敷を展示したスポットです。敷地面積は2,400坪、建築面積が280坪に及ぶ非常に豪勢な屋敷となっています。中には38の部屋があり、身分の高い客を迎える「御成の間」など、接客用の部屋からその準備をする茶室、そして、生活をするための部屋などと各用途に応じて様々な部屋が設けられています。また、釘隠しは通常、青銅のものを使うところ茶室のものだけ、湯気と混じって有毒ガスが出ないように瀬戸物にするなど構造的な工夫も随所に見受けられます。
この場所では上記の白虎隊と並び、悲壮に満ちたエピソードがあります。西郷頼母には妻の千重子と娘たちがおり、同じ屋敷で生活をしていました。ところが、1868年の会津戦争が勃発した際に戊辰戦争で会津藩に攻め入られた際、千重子は「子連れでは足手まといになりかねない。ここで自刃するのが国に殉じることだ」と考え、幼い子供たちは刺してから自らを刺し自害したというエピソードです。この時、自決したのはこの母娘だけでなく、西郷家の親類を含んでおり、総勢21名が屋敷内で命を絶ったといわれています。また、政府軍が屋敷内に乗り込んだ際、ひとりの少女に息があり、これを憐れに思った政府軍の軍人は自らを味方だと告げると、少女から自決を手伝ってほしいと申し入れられたため、それに応じてやったというエピソードもあります。これには敵であるこの政府軍の軍人も、会津の人が持つ武士の精神に感心させられたそうです。
なんというか、「お国のために」という精神で自らの命を絶やす行為は今になってはとても想像がつかないところはありますが、自らのできることを考え抜き、固い意思を持ち、それを実行するというその「強さ」は現代人として見習う一面はあるのではないかなと思います。
ちなみに、会津武家屋敷は西郷邸だけでなく、歴史資料館なども併設されているため、結構ボリュームがあり、今回の時間では最終的に少し急ぎ足になってしまいました。ゆっくりくまなく見るのであれば少なくとも約1.5時間はあった方がよいのかなと思いました。
【10:16-11:20】 飯盛山
先述の歴史の通り、白虎隊の悲劇の舞台となる場所です。
飯盛山は誰でも参拝ができるように、「動く坂道」としてエスカレーターが設けられています。それと並行してずらりと急でいかにもきつそうな石段が配置されており、「参道はかなりきついので、エスカレーターをぜひご利用ください」といった感じの自動放送がしきりに流れています。今回は面白そうなので、乗ってみましたが、有料で料金は250円かかります。結論として、足が不自由でない限りは個人的にはお勧めしません。というのも、回り道をするかたちで比較的緩やかな石段が設けられており、こちらを利用すればタダだからです。いかにもきつそうな石段を見せて、「参道はきついので」という口実で有料のエスカレーターに誘導するのは商売としてなかなかうまいと思った次第です(皮肉と純粋なほめ半々)。
さて、本題。頂上には自決した白虎隊メンバーの墓とその行為を称賛したイタリアとドイツから昭和初期頃に送られた記念碑が設置されています。また、頂上から少し逸れたところには自刃した場所もあり、わかるようになっています。現代人からすれば、先ほどの千重子の話も然り、「そこまでしなくてもいいのでは」と思ってしまうところではありますが、自らのミッションをクリアできなかった恥と責任を感じての自刃だったのでしょう。そういう意味では自分のやるべきことを文字通り、「命がけ」でやっていたということの現れなのでしょう。ただ、その自決が「勘違い」で引き起こされたのは非常にもったいないなという思いが禁じえません。
頂上から少し下りたところには「さざえ堂」があります。正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)。1796年に建立されたお堂で、内部には西国の三十三観音像が設置されており、ここの内部を巡ることでこれらの観音像を同時に巡ることができるというものです。特に注目するところがその建築構造。さざえ堂は筒状となっており、その中を上って下ることになりますが、上りと下りで動線が被らない特殊な構造となっています。恐らくはDNAのごとく、二重らせん構造になっていると思いますが、遥か昔にこのようなことを考えた人のすごさを感じます。ちなみに、この構造が国からも認められており、国指定重要文化財に指定されています。
飯盛山に関しては麓にある白虎隊記念館とセットで、ほぼちょうど1時間のやや急ぎ足で行きました。白虎隊記念館は白虎隊に関する歴史や史料の展示をする施設ですが、歴史マニアでなく、上記の白虎隊の背景知識さえあれば正直行かなくてもいいかなと思った次第です(当方、色々語っている割には歴史マニアではありません)。
【11:46-12:44】 鶴ヶ城
いわずと知れた会津藩の防衛拠点。別名「若松城」、「会津城」とも(一般的には「若松城」でむしろ、「鶴ヶ城」が別名かもしれない)。先述の会津戦争では籠城戦となりながらも、落城することなく耐え抜いた城として難攻不落の城ということで知られています。現在の城郭は復元されたもので、1965年竣工です。
このとき、ちょうど天守閣はリニューアル工事中で、入城料は400円。リニューアル後を対象とした期間限定の無料招待券ももらえ、カバー体制は完備されていました(現在はリニューアルオープン済)。リニューアル工事中につき、中間層は一部を除き、閉鎖されており、一部の展示と最上階の展望室のみが営業していました。現在、中間層は歴史博物館となっているようで、天守閣から会津若松市内の展望を望めるのはもちろん、白虎隊の悲劇の歴史をはじめ、会津の歴史も同時に学べるそうです。
このときは営業中の展示と最上階からの展望を楽しんできました。会津若松市は人口約11.3万人(2023.7現在)で、福島県内では第四の規模を誇る都市。そのこともあり、比較的広範囲に市街が広がる様子と会津盆地を囲う山々を見ることができました。また、鶴ヶ城のある公園内は桜の散り始めの時期で、桜吹雪舞う公園の散策も楽しかったです。
今回はバスの関係で約50分の訪問となり、リニューアル工事の最中ですら、少し時間がやや不足したので、間違いなく1時間以上は設けた方がよさそうですね。
【12:57-13:56】 七日町通りで昼食と街並みを適当にぶらぶら
七日町通りはかつて、日光街道や越後街道、米沢街道などの主要道路が通った地で問屋・旅籠・料理屋が軒を連ねた場所です。現在では大正時代の雰囲気が感じられる街並みが人気なスポットとなっています。
到着時点でお昼過ぎとなっていたため、この通りにある「空山NEO」さんで喜多方ラーメンを頂きます。喜多方ラーメンは醤油味が多い一方、各店舗の裁量に委ねられている側面があり、このお店では醤油以外に、味噌ラーメンのラインナップが用意されています。昨夜、郡山で醤油ラーメンを食べていたため、今回は味噌ラーメンを注文。麺は太めのちぢれ麺。美味しく頂きました。今回で会津若松は恐らく4回目の訪問ですが、会津に来るとやはりどうしても、喜多方ラーメンが食べたくなってしまうのです。上記の歴史探訪と並び、ひそかにミッションとしていたことなので、もうこれで会津若松に未練がなくなります。
とはいえ、せっかくなので七日町通りの散策も少し。鉄道ファンらしく近くにある七日町駅にも行ってきました(正確には雨宿りの目的もあるが)。ここではあまり難しいことは考えずに、ただ歴史的な建造物などを楽しんできました(先述の悲壮な歴史のエピソードで少しお腹いっぱい気味だったので)。割と雨が似合う街だとは思いましたが、結構本格的に降っていたので、もう少し弱めてくれるといい感じに風情がでると思ったのですが。
【14:33発/17:11着】 大雨被害から全線復旧した磐越西線で新津へ
会津若松の観光を終え、今度は磐越西線の新津行き普通列車で終点の新津へ向かいます。車両はGV-E400系気動車。2019年にデビューした比較的新しい車両です。平日日中ということもあり、車内は比較的空いており、快適に移動ができそうです。
普通列車ではありますが、途中の喜多方駅までは一部の駅を通過していくのが特徴です。喜多方駅までは途中5駅ありますが、停車駅は塩川駅のみです。途中の通過駅は15往復の列車が通る中、停車するのは5往復だけでという少し不思議な駅です。
列車は喜多方駅を出発すると、これまであった架線や架線柱がなくなり、非電化区間へと入ります。これが理由で、新潟県方面へ進む列車には気動車が使われているのです。また、磐越西線では会津若松・喜多方駅間だけの区間輸送を行う列車も設定されていますが、いまでは専ら気動車のみが使われており、会津若松から新津方はもはや電力がいらない区間となります。恐らくいまとなってこの区間の電気を使うのは先述のフルーティアふくしまのみですが、フルーティアふくしまは2023年12月の運行終了が予定されており、冬は磐越西線でなく、仙台・郡山駅間で運行をされるので、喜多方へ乗り入れる機会もわずかになると思われます。その意味では、この電化区間は無用の長物となる時期が迫っており、実際に会津若松・喜多方駅間も非電化化される計画があるようです。恐らく、この区間が非電化化されるのも時間の問題のような気がしています。
冒頭の通り、この磐越西線は2023年3月まで、前年の豪雨被害で喜多方・山都駅間で長期間運転が見合わせとなっていましたが、4月から全線で復旧しています。喜多方を出発後、濁川橋梁を渡ります。この橋梁が被害が大きく、復旧に時間を要した箇所です。橋梁通過時は徐行して通過しており、橋梁の下には保線員さんの姿。復旧後のいまもメンテンナンスが続いていそうな様子でした。その後、会津盆地を後にし、山へ入って行きます。その際、車窓左手には会津盆地の景色を一望できます。
山都駅を過ぎると徳沢駅までは阿賀川が線路に並行し、徳沢・豊実間で福島県から新潟県へ入ると阿賀川へと名を変えていきます。馬下駅までは山とこれらの川が織り成す自然の車窓が続きます。荻野駅付近では左手に漕艇場、上野尻駅付近では右手に水力発電所を眺めることができます。また、緑豊かな風景の中、鮮やかな橋が通る光景も多く見られたり、会津地方の伝統的な家屋のある集落が見られたりなど、日本の原風景を見られる沿線風景は魅力的です。紅葉の時期に訪れるとさらに良さそうです。やはりこういった路線は観光的にも魅力が高く、会津若松・新津駅間では「SLばんえつ物語」号という蒸気機関車も休日を中心に運行されています。
新潟県に入ってしばらく行った日出谷駅はほかの駅に比べると広大な構内がある印象。この辺りが会津若松・新津駅間の中間地点で、かつ、平坦な土地がであったため、蒸気機関車が当たり前に走っていた時期はここに転車台や給水塔など、機関車の中継基地としての役割が与えられていました。現在はSLばんえつ物語号が停車する駅ではありますが、恐らくそのとき以外はこじんまりとしていそうな雰囲気があります。かつては駅弁の販売もあり、かつては立ち売りもされていたそうです。
この後も、しばらく阿賀野川に沿って進み、馬下駅付近まで来ると越後平野に入り、田園風景に変わります。喜多方駅以来でしょうか、五泉駅付近からはようやく街らしい街が見えるようになります。この時は平日の夕時。この辺まで乗客は少なくガラガラの車内でしたが、
次の北五泉駅から地元の高校生が乗ってくるのを皮切りに途中駅からの乗車が一気に増え、新津駅に着く頃には座席もほぼ満席状態となりました。
【17:18発/18:01着】 きちんと「快く速い」信越本線の快速列車で長岡へ
新津に到着し、新津からは信越本線へ乗り換えをします。ちょうど良く、直江津行きの快速列車に乗ることができました。この列車で途中の長岡駅まで向かいます。
信越本線の新潟県の区間については特急しらゆき号が走りますが、この快速列車の停車駅は新潟・長岡間で3駅しか違わないという乗り得な列車です。とはいえ、この時間帯は通学の学生さんで混んでいるので、その点は玉に瑕です。
車窓は田園風景が基本ですが、途中、加茂や三条、見附といった中小都市を通過するので、市街地の風景もその度に見えてきます。
新津から乗車すること約40分、長岡へ到着。ここが本日の最終目的地です。
【19:00-20:00】 「長岡酒菜 星」で新潟名物を味わい尽くす
ホテルで荷物の整理をした後、夕食を食べに街へ出ます。今回選んだのは長岡駅大手口のロータリー内にある小料理店「長岡酒菜 星」さん。新潟の地酒を多く扱っており、新潟の名物も楽しめるお店です。
まずは日本酒の「鶴齢」を注文。新潟の魚沼で作られたお酒です。水もよく、米もよい新潟のお酒は格別です。
食事はまず、お店の看板メニュー、「山芋の五目揚げ」。山芋ももちろん美味しいですが、何よりも全体を支えるおだしが上品でよいです。バケツで飲みたくなります。
お次に新潟名物の煮物、「のっぺ」。里芋やこんにゃくなどが入っており、とても優しい味付け。そして、栃尾地区の名物、「じゃんぼ油揚げ」。栃尾では「あぶらげ」と呼ばれます。ジャンボといいながらハーフを注文しましたが、弾力があってよい食感です。
調子に乗って日本酒を追加オーダー、「吉乃川 みなも」を注文。吉乃川はここ、長岡のお酒です。こちらもおいしい(具体的な味は忘れたが)。勢いづいて銘柄を忘れてしまいましたが、もう一杯、日本酒を頼んでしまいました。新潟のお酒は最高です。
ちなみに、長岡には日本酒で乾杯を推進する条例があり、伝統産品である日本酒の伝統文化を後世に継承しようという動きがあります。今回日本酒をチョイスしたのも、これに従ったわけなのです(口実)。乾杯もしっかり行っています(一人心の中で)。
新潟の酒と食事を堪能し、お店を後に。やはりほろ酔いとなり、ホテルへ戻ると気づいたらそのままベッドで寝ていました。
ということで、本日の旅程は以上です。
お疲れ様でした。
【YouTube】