【最長片道切符の旅#37】呉線で瀬戸内海の車窓を眺め、芸備線で中国山地を貫く

最長片道切符の旅37日目。本日は2023年5月6日(土・祝)。広島県の三原駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)

【旅程: 最長片道切符の旅37日目(定刻ベース)】

■ 三原駅 (6:13発)
↓ 呉線・山陽本線 快速通勤ライナー
■ 広島駅 (8:27着)
■ 広島市内観光
 ● 広島駅停留場 (8:43発)
 ↓ 広島電鉄 2系統
 ● 原爆ドーム前停留場 (8:58着)
  ・原爆ドーム
  ・平和記念公園 (広島平和都市記念碑・広島平和記念資料館)
 ● 袋町停留場 (10:25発)
 ↓ 広島電鉄 1系統
 ● 広島駅停留場 (10:45着)
■ 広島駅 (11:02発)
↓ 芸備線 快速みよしライナー
■ 三次駅 (12:24着/13:00発)
↓ 芸備線 普通
■ 備後落合駅 (14:21着/14:38発)
↓ 芸備線 代行バス
■ 東城駅 (15:20着/15:26発)
↓ 芸備線 普通
■ 備中神代駅 (15:52着/16:37発)
↓ 伯備線・山陰本線 普通
■ 米子駅 (18:14着)

今回は広島県中心に海・山の両方の車窓を総取りする旅となります。また、ローカル線が中心となるため、移動時間が比較的長く、ボリューミーな1日となりそうです。

37日目のルート
本日のルート(動画より抜粋)

【6:13発/8:27着】 瀬戸内海の絶景が広がる呉線で広島駅へ

二日連続にわたる6時台の出発となり、重い体を引きずりながら三原駅から出発をしていきます。GW期間中は早朝の時間帯が混雑を避けられるので狙い目なのです(逆に、平日は朝の時間帯を避ける)。その点では休日が頑張りどころのため、いまが正念場と言ったところです。また、そもそものところで、この時間帯にでないと、本日の計画が成立しないわけで…。これについては後ほどご説明します。

三原駅
三原駅
三原駅の駅名標
三原駅の駅名標

さて、本日一本目の列車は呉線経由の快速 広島行き。この快速列車には「通勤ライナー」という名称がつけられています。バリバリのGW中ですが。車両は近年、広島エリアで活躍する”Red Wing”こと227系電車です。車内は転換クロスシートとなっており、快適に過ごせます。

227系"RedWing"
227系”RedWing”

三原駅を出発するも、車内は貸切状態。編成全体でも恐らくほかに乗客はおらず、贅沢な時間を過ごせそうです。ここまで空いている恐らくの理由は三原・広島駅間のルートが複数ある中で、今回の呉線のルートが一番時間がかかるから。というのも、三原・広島駅間にはルートが3種類あり、山陽新幹線経由・山陽本線経由・呉線経由となります。山陽新幹線経由は所要時間は約25分、一方で、特急料金がかかります(通常期の自由席利用で990円 ※2023年現在)。山陽本線経由での所要時間は約1時間15分。呉線経由の場合、約2時間15分~約2時間35分。呉線経由の場合、圧倒的に時間がかかることがお分かりいただけると思います。ではなぜ、この非効率的なルートを採用するかというと、いうまでもなく、呉線経由が一番距離が長いからです。というか、そもそも、最長片道切符の旅に効率を求めること自体がナンセンスなのです。

さて、三原駅を出発すると、山陽本線から分岐。三原市街を抜けると早速、瀬戸内海の車窓が見えてきます。この状態が断続的に呉線のほぼ全区間で続きます。しかも、瀬戸内海の車窓は他の地域の海景色とは異なり、海の向こうに多くの離島が望めるということ。これは最長片道切符のルート上ではなかなかお目にかかれない風景となります。この日の天気は下り坂といわれていますが、三原駅出発時点ではまだ多少雲間からも青空が見えており、波は穏やかな様子。瀬戸内海らしい風景を望むことができています。

瀬戸内海の車窓
瀬戸内海の車窓

進行方向左手に穏やかな瀬戸内海が広がる一方、右手の車窓はそこそこの割合で崖の景色が広がり(?)ます。決して、地形的には穏やかではないことから、要所要所で繰り広げられるのが「必殺徐行」。JR西日本のローカル線ではよく見られる光景で、崖のすぐ横など、災害の危険性がある区間を走行する際はすぐ停止できるように25km/h制限がかかります。

また、海沿いならでは車窓も見応えがあり、安芸幸崎駅では造船メーカー、今治造船の広島工場があり、巨大なクレーンや時期によっては作りかけの貨物船やコンテナ船などを見ることができます。

今治造船広島工場
今治造船広島工場と作りかけの船(安芸幸崎駅付近)

安芸幸崎・忠海駅間では海の向こうに有名な大久野島が見えます。大久野島は「うさぎの島」または「毒ガスの島」という二面性を持った島として有名です。大久野島はかつて、太平洋戦争で使用する毒ガスの製造拠点があり、それまでは僅かながら住民が暮らしていたものの、毒ガスの製造拠点ができる際に住民が強制退去させられ、それ以来、定住者のいない無人島となっています。一方で、うさぎに関しては約600羽のアナウサギが生息しているとされ、1971年に地元の小学校で飼育されていた8匹のウサギが放たれた後、繁殖した結果とのこと。無意味に放たれたわけではなく、観光客の宿泊施設である休暇村ができる際に、マスコットとなる動物の導入を行う方針となって、その結果選ばれたのがウサギだったようです。こうして、いまの大久野島ができています。大久野島は忠海駅近くの忠海港からフェリーで約15分と気軽に行ける島です。今回は時間的に難しいですが、機会があれば行ってみたい島の一つです。

大久野島
手前左側が大久野島(安芸幸崎・忠海駅間)

この先の安芸長浜駅では竹原火力発電所、竹原駅付近では三井金属の竹原製煉所など、工業が盛んな様子も窺え、同じ海景色でも色々な車窓が見られて面白いです。竹原駅は竹原市の中心駅ということもあり、この辺りから少しずつ乗客の方がちらほらと見られるように。

竹原火力発電所
竹原火力発電所(安芸長浜駅付近)

風早駅付近からは瀬戸内海の洋上に黒い板状のものが見えますが、これはカキの養殖場。広島県がカキの生産地であるのは有名ですが、広島県は国内の水揚げ量の約6割を占めており、一大産地となっています。この一帯も県のカキ産業を支える一つの場所となっています。

瀬戸内海のカキ養殖場
瀬戸内海のカキ養殖場

主要駅の一つ、安浦駅を過ぎると、一時的に瀬戸内海から離れますが、再び海沿いに戻ってしばらくすると、列車は広駅へ到着します。ここまではローカル線の雰囲気があった呉線の様子は一変。ここから広島の都市近郊区間であることを示す、広島シティネットワークへ入っていきます。広駅から先は列車の本数が一気に増えて、徐行区間も見られなくなります。また、その実態を示すように、乗客の数も一気に増加。立ち客も出始めます。

広駅
広駅

トンネルで一山越えると、呉市の中心、呉駅へ到着。呉駅の手前には海上自衛隊の基地が見られます。かつては海軍の鎮守府が設置された軍港都市で、戦艦大和が製造された場所としても有名な地です。それに因んだ観光スポットもあり、計画段階では当初、呉に立ち寄ることを考えたものの、時間的な制約が大きく、今回は断念せざるをえませんでした。

呉の街並み
呉の街並み(呉駅付近)

さて、呉駅を出発すると、この快速列車は真価を発揮することに。呉駅までは各駅に停車してきたものの、ここからはまるで人格が変わったかのように、途中駅をすっ飛ばしはじめます。呉駅から広島駅までの間(26.4km)、途中に12駅ありますが、停車するのはたったの1駅、矢野駅のみとなります。

呉駅から先も断続的に瀬戸内海とその沿岸に時折広がる工場などを見ながら、広島方面へ進んでいきます。坂駅付近を最後に内陸へ入り始め、矢野駅付近からは広島市の市街地へ進入。次の海田市駅で山陽本線に合流し、マツダスタジアムを左手に眺めると、まもなく終点の広島駅へ到着です。約2時間15分と長時間の乗車となりましたが、車窓は見応えがあり、飽きずに乗車することができました。

マツダスタジアム付近
マツダスタジアム付近(天神川・広島駅間)
広島駅停車中のRedWing
広島駅停車中のRedWing
山陽本線 広島駅の駅名標
山陽本線 広島駅の駅名標

【8:27-11:02】 原爆投下の地、広島で平和を祈る

広島駅へ到着したところで、広島市内を散策していきます。呉線の移動中に雨が降り始めていたようで(気がつかなかった)、残念ながら雨の中の散策となります。しかし、天気とは裏腹に、GWということもあり、広島駅は朝から賑わっている様子でした。コインロッカーに荷物を預け、広島市やその周辺を網羅する路面電車である広島電鉄、「広電」に乗って、目的地へ向かいます。今回乗車した広電の車両は3両繋がっている長い編成で、車掌さんが乗務する全国的にみてやや珍しいタイプの列車でした。全国の路面電車の中でも、広電は輸送人員ならびに路線延長が最も長く、機会を改めて広電をメインにした広島観光を行ってみても面白いかと思いました。

「広電」こと広島電鉄の路面電車
「広電」こと広島電鉄の路面電車

広島駅から約15分乗車し、原爆ドーム前停留場で下車。ご想像の通り、「原爆ドーム」に訪問。ご存知の通り、第2次世界大戦末期の1945年8月6日、広島市街に落とされた人類史上初の原子爆弾により被爆した建物です。現在の原爆ドームは1915年に広島県物産陳列館として建設され、れんがと屋根上のドームを特徴とした建物でした。当時は県内の物産の展示・販売が行われたり、商工業に関する調査・相談、美術展や博覧会の文化事業などで利用されていました。末期は広島県産業奨励館と名前を変えており、戦争の長期化や激化により、役割が縮小し、官公庁の事務所として利用されていました。原爆が落とされた際は館内にいた人が全員が死亡。現在遺っているように、建物は大きく損壊しました。破壊された後は賛否両論がありながらも保存への議論が行われ、1966年に保存を決定、1967年の保存工事以来、工事を繰り返しながら被爆当時の姿を保つように管理が行われ、1996年に世界遺産に登録された経緯があります。

原爆ドーム前停留場
原爆ドーム前停留場
原爆ドーム
原爆ドーム

れんがが剥がれ落ち、地面にはがれきがゴロゴロ。そして、鉄骨がむき出しになったドーム部分。恐らく当時としては立派な建物だったと思われますが、それが一部を残して無残に破壊された姿は原爆の威力を物語るのに十分すぎるものです。

原爆ドームから5分ほど歩き、平和記念公園へ。その中心付近にある「広島平和都市記念碑」へ向かいます。別名「原爆死没者慰霊碑」ともいい、文字通り、原爆投下によって亡くなった人たちの冥福を祈り、広島市を平和都市として再建するという念願が込められています。

広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

慰霊碑にはこのように書かれており、被爆した広島としての過去や現在にも及ぶ苦しみ、復興の歴史、そして、争いのない世界平和へ向けた誓いと意思表明が凝縮されているように思います。また、慰霊碑の奥側には原爆死没者名簿が納められた棺が屋根に覆われており、その屋根越しには先ほどの原爆ドームの姿が見ることができます。原爆ドームを前にしたロケーションということもあり、なおさら、その「過ち」が身にしみて感じられるように思います。今後の平和を祈って慰霊碑前で手を合わせてきました。

そして、同じく平和記念公園内にある「広島平和記念資料館」を訪問。広島を象徴する場所ということもあり、受付を先頭にずらりと(恐らく50人以上)行列が。時間がタイトだったため、行くか少し悩みましたが、時間が許す限り見ていくことにしました。

広島平和記念資料館
広島平和記念資料館と行列

何とか受付を済ませ、中へ入るも、かなり混雑しており、展示物と向き合うことはできなかったのが正直なところ。展示物がある通路はまるで人が川のように滞留してしまっており、場所によっては展示物自体に近づけなかったほどです。

内部は原爆被爆前後の市内の写真や死没者の遺品の展示があり、一目で見ても残酷な状況があったというのは嫌と言うほど理解ができるような内容となっています(繊細な方であれば、場合によっては体調を崩すのではと思うほど)。例えば、原爆被爆前後の写真を比べると、道路以外に同じところが見つけないほど、街が焼け野原になってしまっている光景があったり、遺品の展示は原型をとどめていない物品も見受けられ、原爆の威力と恐ろしさをまざまざと見せつけられました。今回は雰囲気を掴む程度になってしまいましたが、正直なところ、それだけでもお腹いっぱいになるほどの内容です。しかし、ある種、人間の未熟さというものが垣間見え、同じような過ちをしないためにも、しっかりと過去の事例として、現代人は向き合わなければいけないのかなと思います。平和記念公園内にはほかにも、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」などの施設もあるので、また時間があるときにゆっくりと巡ることとします。

実はこの時期、ちょうどG7サミットが広島で行われる目前ともあって、周辺が混み合っていたのもその影響が大きいものかと思われます。世界各国の首脳が後日、平和記念公園を巡ったとのことで、これをきっかけに改めて世界平和の大切さをかみしめてもらえたらと思います。

平和記念公園にあるG7広島サミットの装飾
平和記念公園にあるG7広島サミットの装飾

計画通りの予定は何とかこなしたものの、やはりここでタイムアップ。最寄りの袋町電停から広電に乗って広島駅へ戻ることとなりました。本当はお好み焼きなど、もう少しゆっくりしたかったところですが、この後のスケジュールに響くのでできず、別のタイミングにかけてみたいと思います。

広電 (袋町電停から)
広電 (袋町電停から)

【11:02発/15:52着】 超絶赤字路線、芸備線を全線乗り通し

広電に乗車して、広島駅へ帰還。移動を再開すべく、広島駅の中を歩きますが、朝以上に混雑している様子。コインロッカーに荷物を取りに行った際は、空き状況を管理する係員の方と空きを待つ人の列ができており、GW中に行う旅の厳しさを実感することに。

芸備線 広島駅の駅名標
芸備線 広島駅の駅名標

さて、広島駅から乗車するのは芸備線。快速みよしライナー 三次行きで終点の三次駅まで移動します。たいそうな名前がついた列車ですが、実態は普通の快速列車で、車両はキハ47形気動車です。ボックスタイプのクロスシートがメインとなっており、(広島駅出発時点で)一つのボックスを占有できるか、相席になるかという利用状況でした。

芸備線のキハ47形気動車
芸備線のキハ47形気動車

列車は広島駅を出発すると、マツダスタジアム付近で山陽本線から分岐し、芸備線の区間を進んでいきます。そして、次の矢賀駅の出発後はJR貨物の広島車両所とJR西日本の博多総合車両所広島支所(新幹線の車両基地)が見えてきます。この時、見える範囲ではN700系Aの1編成しか見られませんでした。その後は次第に広島市の郊外を進み、住宅地の中を通り抜けていきます。遠くの方に目を遣ると、山の上にも多数の住宅が建っている様子が目にでき、こういう光景に広島らしさを感じます。そこからしばらく太田川の土手に沿って行くと下深川(しもふかわ)駅へ到着です。

マツダスタジアム
マツダスタジアム
下深川駅
下深川駅

下深川駅を出発してしばらくすると、視界に入る住宅の数が減っていくのを感じます。事実、芸備線は全国屈指の赤字路線として知られており、一部区間では存廃議論が出ているほど。広島・下深川駅までは利用者が多く、とりあえず存続には問題ない利用状況ではあるものの、下深川駅より先は利用状況が芳しくありません。利用状況を測る指標の一つに、1km・1日あたりの利用者人数を求める輸送密度がありますが、下深川・三次駅間の輸送密度は888(2019年)。存廃議論の目安は2,000といわれているので、この時点で結構危うい利用状況であることがわかります。

下深川駅からは快速列車らしい走りとなり、途中は志和口・向原・甲立の3駅のみの停車となります。その途中、向原駅付近まで並行するのが三篠(みささ)川。時折、三篠川の橋梁を渡りながらその左右を走って行きます。平成30年豪雨の際は三篠川にかかる橋梁が流失する被害を受け、全線運行再開までに約1年3カ月を要したことがあります。当時、災害から4年ほど経った時点でも、ところどころで護岸工事をしている光景が見られ、被害の大きさを実感させられます。

三篠川
三篠川。災害復旧工事の途中と思われる。

狩留家駅を通過すると広島シティネットワークを抜け、途中の志和口・向原駅間の中間にある井原市駅を最後に、広島市から外れていきます。次は安芸高田市内を走行。やり手の市長さんで有名な場所です。その間、向原駅・甲立駅に停車するものの、芸備線は市の中心を通ることがないので、市内の車窓は基本的に田園風景が中心となります。甲立駅付近からは時折、江の川(ごうのかわ)を見ながら途中の一部で山間を通ると、三次市の市街地へ入り、終点の三次駅へ到着します。三次駅直前で別方向から草にまみれた線路が合流しますが、これは旧・三江線の線路。かつて島根県の江津駅から三次駅までの108.1kmを結んでいましたが、利用者僅少により2018年4月に全線が廃止となった路線です。

安芸高田市内の車窓
安芸高田市内の車窓

三次駅より先も、芸備線の区間は続き、乗り換えが必要になりますが、次の列車まではあと35分ほど。ここで事前に企んでいたことを実行します。それが駅近のお店でお好み焼きを頂くこと。広島のお好み焼きといえば、生地に焼きそばがのっているのが大きな特徴ですが、三次市には「三次唐麺焼」というご当地のお好み焼きがあり、唐辛子を練り込んだ麺と辛いソースを使ったのが特徴です。以前来訪した時に食べて美味しいのを知っていたため、もう一度食べたいと思っていたのです。

ただ、時間が少ないので、列車が三次駅に着くやいなや、一目散にお店へ。しかし、お店の前には行列が…。この状況だと、間違いなく次の列車に間に合わないため、三次唐麺焼を食べるという夢は幻に終わることとなりました。仕方ないので、最寄りのコンビニに昼食を買いに行くも、駅からは徒歩10分ほど。雨が降りしきる中、大きな荷物を持ちながら、何とか昼食を購入して、駅でさっと済ませることとなりました。以前は駅舎内にコンビニがあったのですが、数年前に撤退してしまったとのこと。鉄道利用の少なさをここでも実感することになりましたとさ。

三次駅
三次駅

さて、ホームへ戻り次の列車に乗車していきます。乗車するのは普通 備後落合行き。終点の備後落合駅まで乗車していきます。車両はJR西日本のローカル線でおなじみのキハ120形気動車です。

芸備線のキハ120形気動車(広島支社カラー)
芸備線のキハ120形気動車(広島支社カラー)

三次駅を出発すると、しばらく三次市の市街地を通りますが、次の八次駅付近からは時折、崖の横を通り、必殺徐行を発動し始めます。キハ120形気動車を運用している区間ということもあって管理コストを抑えているのはすぐさま予想がつく状況。三次・備後庄原駅間の輸送密度は381(2019年)。案の定、三次駅以南 (広島方)よりも厳しい数字となっています。

崖の横を走る。制限25kmの標識が映っている。
崖の横を走る。制限25kmの標識が映っている。(八次・神杉駅間)

塩町駅では福塩線が分岐。馬洗川を渡り、しばらく田園風景を進んでいった後にたどり着く市街地は庄原市の中心。ここで備後庄原駅へ到着します。三次・備後庄原駅間の運転本数は5-7往復/日(平日・土休日で異なる)でしたが、備後庄原駅より先はさらに本数が減り、備後落合駅までは4往復/日となります。同区間(備後庄原・備後落合駅間)の輸送密度は62(2019年)とさらに減少します。沿線の風景は田園風景ではあるものの、時折山間を通過するなど、人家は次第に減り、沿線人口が少なそうであることを実感できます。また、必殺徐行の発動回数もより多くなります。

塩町駅
塩町駅
福塩線との分岐部(塩町駅付近)
福塩線との分岐部(塩町駅付近)
馬洗川
馬洗川(塩町・下和知駅間)
田園風景の車窓
田園風景の車窓
庄原市の市街地
庄原市の市街地(備後庄原駅)

途中の備後西城駅を出発すると、列車は本格的に中国山地の山間に入っていきます。特に、比婆山・備後落合駅間ではほとんどの区間で崖に沿って走るため、その間ずっと25km/hの速度でゆったりと走って行きます。そのため、同駅間は5.6kmのところ、15分もかけて移動することとなります。その間、車窓はずっと変わらないので、普通であれば退屈するところですが、ここまで徐行区間が続くと逆に滑稽になってしまいます。しばらくして、さらに崖下から木次線の線路が合流すると、列車は終点の備後落合駅へ到着します。芸備線の区間はさらに続くものの、備後落合駅を貫く列車はなく、木次線の終点駅にあたるため、文字通り、三方向からの列車が「落ち合う」交通の要衝となります。しかし、車窓は変わることなく、人家の少ない場所に駅があるため、「秘境のターミナル駅」ともいわれる駅です。

中国山地の山間へ突入
中国山地の山間へ突入(比婆山・備後落合駅間)

備後落合駅に到着するも、当時、この先の備後落合・東城駅間は、落石の影響で、長期にわたって運転を見合わせていたため(その後、2023年7月に復旧済み)、代行バスで移動することになります。代行バスの本数は4往復/日とかなり少なく、今回乗車する14:38発を逃すと、次は20:12発(終バス)になるという乗継の失敗が許されない区間となります。通常の鉄道ダイヤに至っては3往復/日(備後落合・東城駅間)とさらに少なくなります。今回の旅で実質利用に適うのはこの14:38発のみで、本日の旅程はすべてこの代行バスに乗るために作られたといっても過言ではありません。三原駅を6時台に出発したのも、広島市内観光がタイトなスケジュールになったのも、すべてこの代行バスの本数の少なさが関係しています。

備後落合駅とキハ120形気動車
備後落合駅とキハ120形気動車(広島支社カラー)
芸備線の代行バス
芸備線の代行バス

とはいえ、備後落合・東城駅間の輸送密度は11 (2019年)。全国のJRの線区でも最低な数値で、この悲惨な利用実績にもかかわらず、代行バスを運行して頂けるのは感謝です。備後落合駅の駅舎を出たところには中型の代行バス2台とタクシー1台が止まっており、臨時で派遣されたJRの係員さん(普段、備後落合駅は無人駅)が乗客に行先を聞いて、乗車すべきバスを案内しているようでした。

さて、出発前の時間を利用して備後落合駅を軽く見ていくことに。構内には2面3線のホームのほか、数本の側線、雑草に覆われた転車台の跡などがあります。かつてこの一帯に蒸気機関車が走っていた頃は機関車の付替・分割併合などが行われており、職員向けの官舎なども設置されていました。ピーク時には200名を超える職員もいたとのこと。駅周辺にも、旅館・食堂・理髪店など、「落合銀座」と呼ばれるほどの活況を見せていたものの、過疎化や道路網の発達とともに、利用者は減少。鉄道技術も進み、気動車化やワンマン運転、CTC(列車集中制御)化などが進められた結果、その役割は縮小し、現在は無人駅となっています。それでも、地元のボランティアの方によって、駅舎には昔の写真などが掲示されており、暖かさが伝わる駅となっています。

備後落合駅1番線(木次線)
備後落合駅1番線(木次線)
備後落合駅の駅舎内
備後落合駅の駅舎内
備後落合駅正面入口
備後落合駅正面入口
備後落合駅前の集落
備後落合駅前の集落。昔は「落合銀座」と呼ばれており栄えていた。

出発時刻が到来し、代行バスで備後落合駅を出発。主に国道314号を経由して、東城駅へ向かっていきます。国道沿いの風景は基本的には山間で、沿線住民は明らかに少なさそうな様子。輸送密度が11であっても不思議ではない感じがしました。市街地に出ると、まもなく、東城駅へ到着です。結局、バスは途中駅に寄ることはなく、直行で東城駅へ向かっていたようです。当時の時刻表上では途中駅のうち、道後山・小奴可駅と、内名・備後八幡駅を経由する便の2系統に分かれていたものの、恐らく、途中駅の利用者をタクシーで賄っていたのか、実際は利用者の需要に応じて、柔軟に対応している様子でした。

代行バスから見る芸備線の線路
代行バスから見る芸備線の線路
代行バスからの車窓
代行バスからの車窓
東城駅付近の街並み
東城駅付近の街並み
東城駅
東城駅

東城駅からは引き続き、鉄道で芸備線の残りの区間を移動。普通 新見行きのキハ120形気動車に乗車していきます。東城駅を出発して市街を抜けると、一時的に山間を通ります。それと同時に、県境を越え、岡山県へ進入します。その先は田園風景が続く格好となります。備後落合・東城駅間よりは沿線に民家が見られるものの、東城・備中神代駅間の輸送密度は81(2019年)、運行本数は6往復/日となっており、鉄道需要の少なさを感じざるをえない状況となっています。芸備線の広島・備中神代駅間のうち、備後庄原・備中神代駅間についてはすでに存廃議論が沸き出ており、今後どうなるか要注目です。

芸備線のキハ120形気動車(岡山支社カラー)
東城駅停車中の芸備線のキハ120形気動車(岡山支社カラー)
沿線の田園風景
沿線の田園風景

それでは伯備線の線路と合流すると、備中神代駅へ到着。芸備線の区間はここまでです。乗車中の列車はこの先、伯備線を経由して新見駅まで行きますが、乗り換えの都合上、今回は備中神代駅で下車となります。

備中神代駅の駅名標(芸備線ホーム)
備中神代駅の駅名標(芸備線ホーム)
備中神代駅を出発する芸備線の車両
備中神代駅を出発する芸備線の車両
備中神代駅

【16:37発/18:14着】 伯備線の険しい山間を通り、米子駅へ

芸備線を備中神代駅で下車。長い長い芸備線の旅はここで終了。備中神代駅で伯備線の列車で米子方面へ向かいます。しかし、接続時間は45分。駅の近くで時間を潰したくなるも、周囲には数軒の民家のみ。駅近くを散歩するにも、大きな荷物があるうえ、雨も降っているのでそんな気もでません。駅舎には待合スペースがあるものの、そこにある椅子も他の利用客の方で埋まってしまい、仕方なく跨線橋の下で約40分間立ち尽くすことに。その間、上下線ともに伯備線を経由する特急やくも号の通過があり、その様子を指をくわえる思いで見ることしかできないという屈辱感を味わっていました。

特急やくも号(パノラマ車両)
備中神代駅を通過する特急やくも号(パノラマ車両)
備中神代駅を通過する特急やくも号
備中神代駅を通過する特急やくも号(2本目)

4分遅れで乗車予定の列車が到着。普通 米子行きに乗車して、終点の米子駅まで移動していきます。車両は115系電車。中間車が先頭車に改造されているため、前面はノッペリしており、若干間抜けな見た目ながらも、何もない場所に取り残されていた身としてはこの列車が救世主に見えます。

伯備線の115系電車(中間車改造ver)
伯備線の115系電車(中間車改造ver)

備中神代駅を出発するとすぐに芸備線が分岐。駅近くの集落を抜けるとしばらく、西川に沿った山間を通っていきます。2駅先の新郷駅で岡山県の区間は終了。谷田(たんだ)トンネル内で県境を越え、鳥取県へ進入していきます。その後は若干景色は開けるも、山に囲まれた田園風景を進んでいきます。途中、上石見・生山駅間には石霞渓を見ることができ、ゴツゴツとした奇岩・怪岩を眺めながら進んでいきます。

新郷駅
上石見駅
上石見駅
石霞渓の車窓(上石見・生山駅間)
石霞渓の車窓(上石見・生山駅間)

途中の黒坂駅ではなんとサンライズ出雲号とすれ違い。しかも、この列車は定期便ではなく、臨時のサンライズ出雲92号で年に数日しか走らないレアな列車です。伯備線は単線で交換設備のある駅ですれ違いが行われますが、このサンライズ出雲号は我々の普通列車を待っていた形となります。通常であれば、優等列車であるサンライズ出雲号が優先的に運行されるところですが、運転の取扱上、定期列車が原則優先となるため、天下の寝台特急様を普通列車がお待たせするという下剋上が発生していたということになります。

臨時のサンライズ出雲号(黒坂駅)
臨時のサンライズ出雲号(黒坂駅)
伯備線の鳥取県内の車窓
伯備線の鳥取県内の車窓

伯耆溝口駅付近から次第に景色が開き始め、米子平野の田園風景が広がるようになります。岸本・伯耆大山駅間に差し掛かると、車窓には中国地方の最高峰、大山(標高1,729m)が映ります。この時も天気は雨模様で、視程はよくなかったものの、山の中腹に雲がかかっており、これはこれで良いなと。

大山の車窓(岸本・伯耆大山駅間)
大山の車窓(岸本・伯耆大山駅間)

山陰本線の線路へ合流すると、伯耆大山駅へ到着。ここからは山陰本線の区間を走行していきます。伯耆大山駅を出発し、日野川を渡ると、米子市の市街地へ進入。そこからしばらく走ると、本日の最終目的地である米子駅へ到着です。米子駅周辺はJR西日本の山陰支社のある鉄道の要衝となっていることから、周辺は広大な鉄道敷地が広がっているのが特徴です。

米子駅構内
米子駅構内
伯備線の115系電車(標準ver)
伯備線の115系電車(標準ver)
米子駅
米子駅の駅名標

【19:30/20:00】 癖のある独特なラーメン屋で米子名物の牛骨ラーメンを喰らう

本日の最終目的地である米子駅へ到着。難所の芸備線を越えることができ、一安心です。

米子駅(仮駅舎)
米子駅(当時の仮駅舎)
米子駅
米子駅(当時建設中だった橋上駅舎。投稿時点では供用中)

さて、ホテルへチェックインし、夕食へ。今夜は米子駅近くの「ラーメン大和」さんに立ち寄り。米子名物の牛骨ラーメンを頂きます。このお店、一言でいうとかなり癖があります。それは外観からも現れており、表に出ている「ラーメン」の文字看板はなぜか左右反転になっています。勇気を出して中に入ると、店内にもあらゆる貼り紙が。

ラーメン大和
ラーメン大和

「マスクははずして注文してください きこえませんのでよろしくです。」
「マンガを読んだらあった場所にしまうこと かならずしてください」

「新聞を読んだら●たむけること」(“●”は解読不能)
「器はぜったいに上げないで」(カウンターに上げないでという意味)
「コップ
 コップ」
(←2行で2回繰り返されている)

他には手書きのメニューがあり、雰囲気としては町中華にマスターの世界観を+αした感じ。一度注文をするものの、5分後くらいに再度確認してくるアバウトさ。正直、「このお店、大丈夫かな」と思いつつも、ちゃんと注文の品が到着。

今回頂いたのは牛骨ラーメンとミニチャーハンのセットを注文。ラーメンは白濁したスープにストレートの細麺。具はチャーシュー・メンマ・もやし・わかめと素朴な見た目。チャーハンは極めてオーソドックスな見た目です。ちょっと心配していたものの、肝心な味は美味しかったです。しっかりと牛香るスープで、味はしっかりついていながらも決してぐっつりと来ない絶妙なバランスで作られています。チャーハンもパラパラで昔ながらの中華屋さんによくある味でした。昼食が少しお粗末だったので、夜こそはまともに食べられたので良かったです。

牛骨ラーメンとミニチャーハン
牛骨ラーメンとミニチャーハン

それでは予告通り、ボリューミーな一日となりましたが、本日の旅程はこれで終了です。お疲れ様でした。

【YouTube】