【最長片道切符の旅#40】大分県の穴場スポットを巡り、日豊本線で宮崎県へ進む
最長片道切符の旅40日目。本日は2023年5月9日(火)。大分県の臼杵駅から旅をスタートしていきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)
【旅程: 最長片道切符の旅40日目】
■ 臼杵観光(大分県)
● 臼杵駅 (8:34発)
↓ 臼津交通 臼三線
● 臼杵石仏 (8:53着)
・臼杵石仏
● 臼杵石仏 (9:43発)
↓ 臼津交通 臼三線
● 辻口 (9:59着)
・臼杵城跡
・稲葉家下屋敷
・八町大路
・二王座歴史の道
・昼食
■ 臼杵駅 (12:37発)
↓ 日豊本線 特急にちりん7号
■ 宮崎駅 (15:15着/15:36発)
↓ 日豊本線 普通
■ 都城駅 (17:03着)
本日のルートは単純明快で日豊本線を南進するのみ。ルートそのものに面白みはありませんが、車窓の点では変化に富んだ楽しい区間となります。
また、移動前に臼杵市内を観光していきます。昨日は特急にちりん号で臼杵駅へたどり着きましたが、途中駅にかかわらず、臼杵駅で降りて宿泊までしたのはこの地で観光をしたかったから。大分県には別府や由布院といった有名な観光スポットが多く、臼杵は隠れがちなスポットではあるものの、見るべきスポットを多く持ち合わせています。そのため、午前いっぱいは臼杵市内をひたすら巡っていきます。
【8:34/12:37】 大分県の隠れた観光スポット、臼杵を散策
昨晩は臼杵駅前のホテルに宿泊していたため、本日の観光のスタートは臼杵駅から。臼杵市内で一番有名な観光スポットは「臼杵石仏」。臼杵駅を出たすぐそこにも石仏らしきものがありますが、あくまでもこれはレプリカ。これから本物の臼杵石仏を見に行きます。駅から離れているため、駅前からバスに乗って現地へ向かいます。
三重町行きのバスに約20分、「臼杵石仏」バス停で下車。バスで訪れれば間違うことはないでしょうが、マイカーで行こうとすると、類似した観光施設があるので、ご注意のほど。バス停近くの無料休憩所の建物で入場券を買ってから入る仕組みです。
ところで、「そもそも臼杵石仏とは何ぞや?」といったところですが、現地にあった臼杵市教育委員会の案内板によると、「臼杵石仏」とはホキ石仏第一群・ホキ石仏第二群・山王山石仏・古園石仏の4つの群に分かれた61体の仏像で、平安時代末期から鎌倉時代末期にかけて造られたとのこと。かつてこの一帯は「臼杵荘(うすきのしょう)」と呼称されており、当時栄えていた藤原氏の流れをくむ九条家の所領となっていました。この九条家は天台宗の総本山である比叡山延暦寺と深い関係を持っていたことから、一流の仏師が臼杵に派遣され、石仏が彫られたとされています。周辺には満月寺や日吉神社といった寺社もあり、臼杵石仏とともに、臼杵荘やそこに住む人々が極楽往生できるように造営されたようです。現在、臼杵石仏のほとんど(すべてかもしれない)が国宝に指定されており、石造彫刻としては全国で唯一の国宝物件です。
臼杵石仏は「臼杵石仏公園」の敷地内にあり、通路を歩いていきながら先述の群ごとに石仏を見ていくスタイルとなります。「ホキ石仏第二群」「ホキ石仏第一群」はそれぞれ大小様々な石仏が祀られている印象。古く輪郭がわかりにくいものもありますが、基本的に表情豊かに彫刻されている印象。中には怒っている不動明王もあり、素人目で見ても面白いものです。特に面白いのが一部の像については国務大臣の役割が割り当てられていること(例えば、環境大臣・文部科学大臣など) 。まるで選挙ポスターのようなコラ看板があり、そこには仏像の写真と公約が書かれているのがくすりと笑わせます(写真ご参照)。
「山王山石仏」に関しては三体の如来像が鎮座。あどけなさのある表情で、どこか切なさを感じる表情をしている気がします。最後の「古園石仏」、特にその中で大日如来像は臼杵石仏の代表的な像とされており、その表情は完全に悟りを開いたような一点の曇りも見られない安らかな顔。しかし、一昔前までは頭の部分が取れていて、地面に頭を置く形で展示していたようです。その頃の写真があったのですが、まるでリアルなゆっくり魔理沙or霊夢みたいなシュールな絵面。安らかならぬ感じになっていましたが、保存修理工事により、いまの状態に落ち着いたようです
全体的に先述の国務大臣の件もあり、割とレジャー感覚で楽しめ、ペット持ち込み・写真撮影も自由なため、気軽に楽しめる雰囲気がありました。有料ではあるものの、石仏をできるだけ一般の人にも楽しんでもらおうと、独特な真面目さや宗教色をできるだけ取り払った印象があり、個人的には好感の持てるスポットでした。
ほかには満月寺やハス畑、また、駐車場付近には売店もありましたが、バスの時間の制約もあったのでスルー。臼杵石仏だけ見て今回は退散。再度、バスに乗車して臼杵駅方面へ戻ります。今回はその途上、中心市街地にある「辻口」バス停にて下車しました。
臼杵市の中心市街地は徒歩10~15分あり、駅から若干離れているのが特徴。この付近にも見どころが多いため、時間の限り巡っていきます。
まずは辻口バス停から徒歩3分のところにある「臼杵城跡」に立ち寄り。メインとなる古橋口の入口周辺には濠らしきものがあり、カモや亀などが優雅に泳いでいます。国内でもよく見られるように、高台の上に城跡があり、階段で城跡まで登っていくことになります。現在では市街地の高台にあるように見える臼杵城ですが、もともとは臼杵湾に浮かぶ島(丹生島)で、1556年、大友義鎮(よししげ)が守りの固いこの地に臼杵城を築いたのが始まりです。その後、数度城主が変わった後、1600年以降は稲葉氏によって明治維新まで引き継がれ、1873年に廃城となっています。廃城時にほとんどの建物は取り壊されているものの、石垣は遺っており、一部の櫓は復元されていることから、この場所に城があったことは感じ取れます。現在は臼杵公園として、園内には広場や弓道場、そして、稲葉神社などがあり、市民の憩いの場となっています。この時も、臼杵マダムの皆さんが広場でパターゴルフを楽しんでいる様子がありました。
続いて、臼杵城跡から徒歩2分の「稲葉家下屋敷」へ。臼杵城の城主を務めた稲葉氏は廃藩置県後、東京に移りますが、里帰りが決まった際、1902年に建てられたのがこの稲葉家下屋敷です。どっしりと構える立派な門、そして、塀のところには水路があり、鯉が泳いでいます。
入館料を支払い、屋敷の中へ。屋敷は主に大書院の棟、御居間の棟・台所の棟からなり、台所の棟を除き、平屋建て。江戸時代の武家屋敷の造りをしているのが特徴です。玄関と隣接するのは大書院の棟。書院造の座敷があり、この空間は恐らく来客を迎えるためのスペースと思われます。奥側の座敷からは広い庭園の景色を見渡すことができ、これらを含めて敷地は1000坪とのこと。旧藩主を務めた家柄にふさわしい風格を持っています。
隣接して上級武家屋敷の「旧平井家住宅」もあり、接客用と居住用の玄関が2箇所あるのが特徴。館内は稲葉家と比べると庶民的な感じはあるものの、座敷数は多く、身分が高い人が暮らしていたことがよくわかります。
稲葉家下屋敷を後にし、2分ほど歩き、今度は「八町大路」へ。八町大路は臼杵の中心市街地にある商店街で、臼杵の城下町における商業の機能を持った場所。臼杵が稲葉氏による支配下になった1600年頃からの歴史を持つ場所で、地面は石畳が敷かれており、商店街の建物もどこか江戸時代の面影が残る建物が密集しています。時間が不足しているため、お店には寄れなかったものの、歩くだけでもその雰囲気を感じるには十分でした。
そして、その裏手にある「二王座歴史の道」へ。こちらは八町大路と違い、静かな雰囲気。二王座歴史の道は阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘を削った「切り通し」の形で道が通されています。通り沿いには寺院や武家屋敷が建っており、江戸時代にタイムスリップしたような情緒のある通りでした。
さて、時刻は11時40分頃。この時点で、列車の出発時刻まで1時間未満、駅からは徒歩10分の場所にいるので、少しマキで昼食をとる必要があります。本当はこの周辺で狙っていたお店もありましたが、ちょっと時間がなさそうだったので、昨晩泊まった駅前のホテルのランチを利用することに。大分名物はなさそうだったので、わかめうどんを頂くことに。普通のサイズのうどんに盛りの良いご飯がついてきたのは少し驚きでした。これで550円とは…。お味については普通に美味しかったです。
マキで食事を済ませ、出発時刻の約5分前に臼杵駅へ帰還。特急の途中駅にあたるので、なかなか目が付きにくい場所ですが、この街のポテンシャルの高さを知れたよい機会でした。個人的には一度途中下車をしてでも寄る価値はある場所かと思います。
【12:37発/15:15着】 特急にちりん号で全国屈指の閑散区間を抜けて宮崎駅へ
それではいよいよ、臼杵駅から本日のルートを移動をしていきます。乗車するのは特急にちりん7号 宮崎空港行き。途中の宮崎駅まで利用します。メタリック調の787系電車が入線。自由席を利用しましたが、乗車時点ではかなり空いている様子でした。
臼杵市は臼杵湾に面した街で、臼杵駅を出るとすぐに臼杵湾(一瞬しか見えないが)の近くを通っていきます。その途中には造船所も見かけられ、港町としての様相が味わえます。そして、山間を抜けると、早速次の駅、津久見駅へ停車します。津久見市には全国最古のみかんの古木がある関係か、駅にはみかんの切り口の形をした椅子が置かれているのが印象的でした。津久見駅から佐伯駅にかけては山間をトンネルで抜けつつも、津久見湾や佐伯湾といった海が時折見えてきます。この辺は地形が複雑で、ブルーの海の向こうには緑豊かな半島が見えることが多く、そこに何となく九州らしさを感じたのでした。
次の停車駅である佐伯駅を出発すると、界隈では「18キッパー泣かせ」といわれる全国屈指の閑散区間を走行します。それが佐伯・延岡駅間。この区間には大分・宮崎県境が存在し、特急列車は1-2時間という本数でありながらも、普通列車は1.5往復~3往復/日と非常に少ない本数となっています。その中でも佐伯・延岡駅間を通しで運行する普通列車は下り1本/日、上り2本/日のみであることから、青春18きっぷでこの区間を越えるのはかなりの難易度といわれています。ちなみに、この区間における普通列車は特急形車両が定期運用につき、供用されるのは先頭車両1両のみ。下り列車(延岡行き)に限ってはグリーン車がついているため、グリーン車の設定があるのも面白いポイントです。
佐伯駅を出るとそんな超閑散区間へ進入。佐伯市の市街地を出ると、海沿いから離れ、今度は山の景色になります。県境区間を越えるまではほぼ終始山間を進みますが、直川駅付近で一時的に景色が開け、ぽつんとその周囲だけちょっとした街が現れます。その先は完全な山間。一部の普通列車の起終点となる重岡駅を通過した次の駅が秘境駅で有名な宗太郎駅。近くには峠の小さな集落しかなく、1日の平均乗車人員は0.39人。恐らく日豊本線で一番利用が少ない駅です。駅前の構造的に車で来るのも少し大変な立地で、そういったこの駅の性質を公式(JR九州)も認めており、観光列車「36ぷらす3」が停車して、駅を散策する時間が設けられるほどです(別の理由で隣の重岡駅にも停車する)。
宗太郎・市棚駅間で宮崎県へ進入。その後は県境を越えると少しずつ田園風景に移り変わりを見せ、延岡市街へと入っていきます。延岡駅を出発すると、次の南延岡駅までの間に大規模な工場が車窓両側に広がります。これは誰もが知る総合化学メーカー、旭化成のもの。延岡は旭化成の創業の地であり、企業城下町となっています。旭化成はきっと延岡にも大きな影響を与えていると思われますが、この日豊本線にも大きな影響を与えています。日豊本線の延岡・宮崎駅間においては高速化工事が1994年に竣工しており、この工事に旭化成が宮崎県とともに資金面で携わっています。その目的は主に東京・大阪へ出張へ行く社員の輸送のため。従来は社内で定期ヘリ便を延岡・宮崎空港間で運行していたものの、1990年に10人の死者を出す墜落事故が発生。これを機に鉄道利用にシフトしたという経緯があり、この高速化工事により最高速度85km/hから110km/hに向上した歴史があります。
次の停車駅、南延岡駅を出発すると、確かに走りが良くなった感じが(佐伯・延岡駅間は最高速度85km/h)。延岡市の市街地を抜けると、一時的に門川湾を一望しつつ、次の日向市駅へ。日向市の市街地を抜けると、一時的に山間らしい景色になりますが、美々津駅付近からは宮崎平野へ進入。景色が再び開けてきます。このタイミングで見えるのが宮崎実験線の高架線。かつてのリニアの実験線で、現在は山梨県に施設がありますが、その先代の実験施設になります。1977年に開設後、1979年に無人運転で最高511km/h、1995年には有人運転で最高411km/hを記録しました。しかし、大きな曲線や勾配、トンネルがない環境から、実験に制約が生じたことから、宮崎実験線は1996年に稼働を終了。その翌年から山梨実験線に拠点が映ったという経緯があります。現在はエアロトレインやメガソーラー発電所などとして利用されており、途中からは延々と高架上にソーラーパネルが並ぶ光景が車窓に映ります。
その後は日向灘に沿って走行するも、防風林があり、思ったほどは海が見えない状況。高鍋駅停車前に景色が開き、比較的まとまった区間で海が見えるようになります。その際に手前から草地、砂浜、海、その上には青空といったコントラストを見ることができ、記憶にある限りでは日豊本線の宮崎県区間で一番きれいな景色だと思いました。高鍋駅より先は若干内陸に入り、徐々に市街地の様相に車窓は変化。途中の佐土原駅に停車した後、降車駅の宮崎駅へたどり着きます。
佐土原・宮崎駅間でトイレに行ったついでに車内を見回して気づいたのですが、自分の車両には自分以外誰も乗っていなかった様子!平日の昼下がりとはいえ、県庁所在地を目前にしてこの利用状況とは少し先が思いやられてしまいます(減便など)。
臼杵駅から約2時間40分の乗車で、宮崎駅へ到着。まとまった時間の移動とはなりましたが、車窓の変化に富んでいたため、飽きずに乗車ができました。ちなみに、特急にちりん号はこの先、隣の南宮崎駅に停車した後、日豊本線から逸れて少し先の宮崎空港駅まで行きます。宮崎駅から宮崎空港駅までは約10分で行くことができ、この区間であれば特例で特急料金はかからないため(自由席のみ)、宮崎市は世間で認知されているよりもずっとアクセスが良かったりします。
15:36発/17:03着 普通列車でのんびりと都城へ
それでは宮崎駅からは普通列車に乗り換えて日豊本線の先の区間を進んでいきます。本音は特急列車に乗りたかったところですが、接続があまり良くなく、後続列車にも抜かされることもないので、節約を兼ねて普通列車で移動することに。今回の車両は国鉄型のキハ47形気動車。この列車は非電化路線である吉都線経由をして吉松駅まで行くため、それに合わせて気動車が充当されています。
列車は宮崎駅を出発するも、車両は長年の歴史とともに、汚れも積み重ねているため、窓が汚く、場合によっては車窓の撮影をしようとすると、景色ではなく窓の汚れの方にオートフォーカスが行くほど。
大淀川を渡り、南宮崎駅へ到着。車内のボックス席はどこも誰かしらは着席している状態で、南宮崎駅を出発。乗客のほとんどは学校帰りの高校生とみられる通学の方。先ほどのにちりん号よりもずっと利用があるような…。
南宮崎駅の少し先で、日南線(志布志方面)・宮崎空港線の線路と分かれ、重たい足取りで(古い車両なので)、引き続き宮崎市の市街地を走行。田野駅の先にある清武川を渡ると、宮崎平野の車窓は終わり、鰐塚山地へ分け入ります。上り勾配が続いているため、先ほど以上に重たい足取りとなっており、明らかにスピードが落ちていることが見て取れます。頂上付近にある青井岳駅を出発すると、今度は下り勾配。重力に身を任せる感じで、坂道を転げ落ちるように下っていきます。麓までたどり着くとそこは都城盆地。三股駅付近から都城市の市街地へ入り(厳密には三股駅周辺は三股町)、本日の最終目的地である都城駅へ到着します。今回はここで下車しますが、この列車は当駅を境に吉都線へ入っていきます。
宮崎・都城駅間は50kmという距離ではありながらも、時折の交換待ちの影響で約1時間30分かけて都城駅へ到着。これはこれで、特急列車との違いが体感できるので、ありなのかと思いました。
【18:40-19:05】 みやざきチキン南蛮カレーを味わう
本日は都城市内で宿泊。ホテルへチェックイン後、日が暮れるタイミングで夕食へ出かけます。
今回の下車駅は都城駅ですが、都城市の中心は隣の西都城駅周辺のため、調べた限りはそちらの方がお店の選択肢が多い印象。しかし、都城駅周辺でも選択の余地があり、今回は都城のソウルフードである「みやざきチキン南蛮カレー」を頂くことに。
今回立ち寄ったのは都城駅から徒歩10分の「カレー専門店トプカ」さん。都城で人気のカレー店ですが、19時前にお店に入った時はほかに誰もおらず、貸切状態。予定通り、みやざきチキン南蛮カレーを頂きます。
見た目は欧風カレーにタルタルソース付のチキン南蛮がのっている感じ。カレーの味は薄すぎず濃すぎず、さらっとしたルーが特徴。当初はルーとタルタルソースの相性はいかがなものかと思いましたが、意外とタルタルソースの酸味がマッチして美味しかったです。また、宮崎県は鶏肉の本場。チキン南蛮もジューシーで美味しかったです。
それでは本日の旅程はこれで終了です。お疲れ様でした。
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