【最長片道切符の旅#43】過渡期の日田彦山線を乗車し、福岡筑豊を駆け巡る

最長片道切符の旅43日目。本日は2023年5月12日(金)。福岡県の久留米駅からスタートしていきます。
(最長片道切符の概要はこちらからご覧ください)

既に過去回をご覧頂いている方はご存知と思いますが、一昨日(41日目)に起こったハプニングの解消をしながら進めていくことになります。簡単におさらいすると、主に宮崎県内を走る吉都線で乗車しようとしていた列車が運休という事態に。これにより、旅程に約3時間の遅れが発生。この旅のルールに準拠して旅を進めようとすると、その分のリカバリーが大変で、昨日(42日目)一日かけても、その遅れが解消しきれていない状態、というのがいまの状況です。先述のハプニング発生当日に計画を修正していますが、当初の計画(下記のBEFOREの日程)と修正後の計画(下記のAFTERの日程)は以下の通りです。

【BEFORE: 最長片道切符の旅43日目の当初の旅程】

■ 日田駅 (6:37発)
↓ 日田彦山線 代行バス
■ 添田駅 (8:03着/8:11発)
↓ 日田彦山線 普通
■ 田川後藤寺駅 (8:26着/8:34発)
↓ 後藤寺線 普通
■ 田川伊田駅 (8:38着)
■ 筑豊(福岡)観光 ①
  ・田川市石炭・歴史博物館 (石炭記念公園)
■ 田川伊田駅 (10:54発)
↓ 日田彦山線 普通
■ 田川後藤寺駅 (10:58着/11:14発)
↓ 後藤寺線 普通
■ 新飯塚駅 (11:35着)
■ 筑豊(福岡)観光 ②
  ・昼食
 ● 新飯塚駅 (12:19発)
↓ 西鉄バス
 ● 幸袋・旧伊藤伝右衛門邸前 (12:33着)
  ・旧伊藤伝右衛門邸
 ● 幸袋・旧伊藤伝右衛門邸前 (13:31発)
 ↓ 西鉄バス
 ● 新飯塚駅 (13:45着)
■ 新飯塚駅 (14:04発)
↓ 筑豊本線 普通
■ 直方駅 (14:20着)
■ 筑豊(福岡)観光 ③
  ・直方市石炭記念館
■ 直方駅 (15:27発)
↓ 筑豊本線 普通
■ 折尾駅 (15:48着/16:05発)
↓ 鹿児島本線 区間快速
■ 博多駅 (17:00着)

【AFTER: 最長片道切符の旅43日目の旅程】

■ 久留米駅 (8:25発)
↓ 久大本線 特急ゆふ1号
■ 日田駅 (9:08着/9:30発)
↓ 日田彦山線 代行バス
■ 添田駅 (11:16着/11:21発)
↓ 日田彦山線 普通
■ 田川後藤寺駅 (11:35着/11:38発)
↓ 日田彦山線 普通
■ 田川伊田駅 (11:42着)
■ 筑豊(福岡)観光 ①
 ・昼食
 ・田川市石炭・歴史博物館 (石炭記念公園)
■ 田川伊田駅 (13:45発)
↓ 日田彦山線 普通
■ 田川後藤寺駅 (13:49着/14:14発)
↓ 後藤寺線 普通
■ 新飯塚駅 (14:35着/14:39発)
↓ 筑豊本線 快速
■ 直方駅 (14:54着)
■ 筑豊 (福岡) 観光 ②
 ・直方市石炭記念館
■ 直方駅 (16:00発)
↓ 筑豊本線 普通
■ 折尾駅 (16:21着/16:33発)
↓ 鹿児島本線 快速
■ 博多駅 (17:17着)

変更点のポイントとしては本来のスタート地点の方では日田駅出発であったところが、変更後の予定では久留米駅スタートである点、また、筑豊観光を当初は3部立てであったところを2部立てへ縮小しています。ただ、この予定が無事にこなせれば、無事に旅程の遅れを取り返すことができる見込みです。

また、本日のルートのポイントは当時、長期不通が生じていた日田彦山線を代行バスで通過する点、また、福岡県筑豊地方を中心に、短時間での乗り降りが多い点となります。

尚、本日の最後の1駅、吉塚・博多駅間は最長片道切符のルート外となり、ルート内の範囲では本日の実際の到達地点は吉塚駅となります。また、本日はほかにもルートをはみ出すことが多くなるため、こちらについてはその時に言及します。

【8:25発/9:08着】 特急ゆふ号で日田駅へ

冒頭の通り、本日は久留米駅から旅程開始です。最初の列車は特急ゆふ1号 別府行き。これで日田駅まで向かいます。車両はキハ185系気動車の4両編成。国鉄時代から存在する古い車両ですが、外観は鮮やかな赤い塗装、木の質感があるシックな車内を見る限りはそんなことは殆ど感じさせません。今回は自由席の利用ですが、久留米駅出発時点で窓側の座席が9割以上埋まっていた印象。思ったよりも利用者が多いように感じました。そもそも、特急ゆふ号は博多駅から鹿児島本線・久大本線を経由して大分・別府方面へ向かう列車。途中で由布院といった温泉地も経由しますが、他の方がどこに向かっているかは少し謎でした(大分駅であれば特急ソニックの方が早いし、平日に温泉地に行く人がそこまで多いとは思えない)。

久留米駅
久留米駅
特急ゆふ号のキハ185系気動車
特急ゆふ号のキハ185系気動車

さて、久留米駅からは久大本線を走行。一時的に九州新幹線の高架と鹿児島本線の線路と並走しますが、やがて東方向に逸れていきます。しばらく久留米市の市街地を進みますが、その途中にある久留米大学前駅へ停車。駅名の通り、久留米大学が付近にあり、大学生と思しき方が降車していきます。

その次の御井駅で市街地が途切れると、しばらく車窓は田園風景が続きます。田主丸駅付近に差し掛かると、田んぼの風景の中に、ぽつぽつと果樹園が混ざります。久留米市の田主丸地区ではぶどう・柿を中心に果物栽培が盛んといわれています。特に巨峰については田主丸が発祥の地といわれています。また、乗車中の列車は田主丸駅を通過するものの、田主丸地区は「河童伝説」なるものがあり、それに因んで駅舎がかっぱを象ったデザインとなっているのが特徴です。

久大本線の福岡県区間における田園風景
久大本線の福岡県区間における田園風景
ぶどう畑の車窓
田主丸地区におけるぶどう畑(多分)
筑後吉井駅
筑後吉井駅

それからしばらく、筑後吉井駅に停車した後、2駅先の筑後大石駅を通過すると、列車は筑後川を渡ります。それと同時に、福岡県から大分県へ進入。また、車窓は山がちになっていきます。その直後に、筑後川と同一の河川(県境で河川名が変わっている)、三隈川に沿って進みます。その区間の途中にあるのが夜明駅。日田彦山線の乗換駅で、本来であればここで下車するのが本来ですが、夜明駅には特急列車が止まらないため、一旦ルートをはみ出して、そのまま日田駅まで向かいます。

筑後川
筑後川(筑後大石・夜明駅間)
三隈川の車窓
三隈川の車窓
夜明駅
夜明駅を通過

まもなく、日田市の市街地へ入ると、三隈川とその支流、花月川の雄大な分岐部の車窓を見て最初の目的地である日田駅へ到着します。ここまで約40分の乗車でした。

日田市の市街地
日田市市街地の車窓

【9:30発/11:35着】過渡期の日田彦山線で田川後藤寺駅へ

特急ゆふ号で日田駅へ到着した後は日田彦山線方面へ行きます。しかし、乗車するのは列車ではなくバス…。ご存知の方も多いと思いますが、当時、日田彦山線の一部区間、日田・添田駅間については平成29年(2017年)7月九州北部豪雨による甚大な線路被害の影響で、バス代行が行われていたのです(※現在、代行バスは存在しません。詳細は後述。)。そのため、途中の添田駅までは代行バスで向かいます。

日田駅前から代行バスが出発するとのことで、改札を出てバス乗り場へ。日田彦山線については鉄道時代含めて、過去に一区間たりとも乗車したことがありませんが、今までの代行バスに乗車した経験から、きっと快適な観光バスタイプの車両で運行されるかと思い、少し楽しみにしていましたが…。

日田駅
日田駅

バス乗り場に停車していたバスは日野・ポンチョ。地方のコミュニティバスでよく見る小型のアレです。正直、唖然としました。「鉄道とは大量輸送を担う交通機関。それを代行するバスがまさかこんなサイズで収まるのか!?」と思いましたが、それも杞憂。日田駅出発時点で乗車したのは自分含めたったの3名でした。杞憂というか、廃線という別の心配をしないといけないところでしょうが…。

日田彦山線代行バス
日田彦山線代行バス。まさかの小型バス。

というか、その心配をする以前から復旧が決まっているのです。BRTの形で。

改めてご説明すると、災害による日田・添田駅間の運行休止後、JRと沿線自治体の間では復旧可否について協議が行われてきましたが、2020年7月に鉄道での復旧を断念。2023年8月にBRTを開業する方向で当時、準備が進められていたのです(※投稿時点においては既にBRT開業済み)。

一鉄道ファンとしては鉄道で復旧しないのは残念ですが、この乗車人数を見ていれば、まあ、納得ですね。ちなみに、ネタバレですが、今回の乗車人数はこの後一切増えることはなく、途中下車で減るのみ。隣の光岡駅で1名下車し、少し先の大鶴駅で1名下車し、その後の大半の区間は自分ひとりという状態が続きました。後に日田彦山線BRTのことを調べてみると、日中についてはやはり今回乗車しているタイプの小型バスで運行されるようでした(大型バスの写真もあったため、朝晩はそれが充当されるものと思われます)。

さて、このBRT開業前という過渡期において運行されていたのが今回の代行バス。とある事情で、あらゆる系統(運行パターン)がありますが、今回乗車したのは一番所要時間がかかる運行パターンの便。日田・添田駅間の所要時間は1時間46分。この小さいバスでは乗り通しをするには少しきつそうです。

出発時刻となり、バスは日田駅のロータリーを出発。日田駅を出発後、案内がなされますが、この後のものを含め、すべてが運転手さんの肉声によるもの。地元の観光バス会社が委託を受けているからか、どうしてもオペレーションがアナログになるのでしょう。

市街地を走行し、次の光岡(てるおか)駅へ。光岡駅に関しては駅前まで入り、先述の通り、そこで3名のうち1名が下車しました。駅前が狭いため、出発する際は切り返しが必要になるため、その点も運行が大変そうです。

光岡駅より先は主に国道386号線を経由して夜明駅へ。先ほどの特急ゆふ号が見ていたように、この辺で三隈川に沿い、周辺は山がちになっていきます。集落に入ると、夜明駅へ入ります。厳密には、夜明駅までが久大本線で、この先が日田彦山線の区間となります。これに伴い、ここから最長片道切符のルート内に戻ることになります。

国道386号から眺める三隈川
国道386号から眺める三隈川
夜明駅バス停
夜明駅バス停

夜明駅を出発すると、すぐの三叉路で、国道211号線へ進入。鉄道の分岐点も夜明駅ですが、国道同士の分岐点も同じく夜明にあります。これと同時に、これまで並行した久大本線の線路からも離れ、およそ北方向へ逸れていきます。

さて、夜明駅の次は今山駅…。と思っていましたが、それとは違う名前の停留所が案内されます。その理由は夜明駅から先、鉄道駅以外の箇所にもバス停を設けているため。バスとしての乗降のしやすさの利点がここで活かされています(それでも乗降はないが)。また、この先の鉄道駅では、一部を除き、駅前まで入らず、近くの道路上にバス停を設置している様子でした。ただし、大鶴駅では駅前まで進入。先述の通り、残りの1名が降車し、この先は完全貸切状態での運行となりました。

大鶴駅
大鶴駅

次の鉄道駅は宝珠山駅ですが、この周辺で福岡県へ戻ります。鉄道時代の宝珠山駅のホーム上には福岡・大分県境があり、それを示す看板が立っていたようです。また、現在のBRTは宝珠山駅から先、途中の彦山駅までは線路跡を用いた専用道を走りますが、当時はまだ専用道やその周辺施設は未完成。そのため、代行バスはそのまま一般道を走り続けます。

次の鉄道駅である大行司駅を出発すると、すぐの交差点で(福岡)県道52号線へ進入。日田彦山線の線路はこの先、添田駅まで一貫してこの道路に沿っていきます。しばらく県道を走っていると、筑前岩屋駅へ到着。ここで時間調整がてら3分程度の休憩に。この時間を利用して、少しだけ周辺を見学。筑前岩屋駅の立派な駅舎の裏には既に線路の面影はなく、専用道がほぼ完成している状態。作業員の方も数名いらっしゃり、開業にむけて準備を進めている様子がありました。

宝珠山交差点
大行司駅近くの宝珠山交差点で県道52号線へ。
筑前岩屋駅
筑前岩屋駅
筑前岩屋駅のBRT専用道
筑前岩屋駅ホーム跡に整備されたBRT専用道

筑前岩屋駅を出発すると、先ほどの県道を進むどころか、むしろ、元来た方向に戻っていきます。理由はその先の県道52号線の道路事情にあります。次の鉄道駅である彦山駅の間には峠越えの区間がありますが、その道路が狭路であるため。その一部には離合ができない場所もあり、小型バスとはいえど、通過ができないからと思われます。その関係で、再び先ほど通過した大行司駅付近に戻ってから、国道211号線を迂回していくのです。

こういった非効率なルートを取らないといけない事情からか、先述のように、代行バスには数種類の運行パターンがあり、峠越えを避けるべく、日田・筑前岩屋駅間、もしくは彦山・添田駅間のみでしか運行されない便や、通しで運行する便でも、筑前岩屋駅を経由しない便などが存在します。ほかには筑前岩屋駅を経由しないうえで、途中のバス停を通過する便もあったりします。先ほど、乗車中のバスは一番遅い運行パターンを取る便ということを記載しましたが、これはルート上のすべてのバス停に停車し、かつ、筑前岩屋駅を経由するのが理由です。

さて、国道211号線をしばらく走ると、市街地に到達。ここが東峰村の中心である小石原地区です。街なかに代行バスのバス停はあるものの、日田彦山線の線路跡(現在の専用道)は近くを通過しないため、BRT開業後は再び経由しないこととなりました。小石原地区は小石原焼という陶器の生産が盛んで、国道沿いにもいくつか窯元を見ることができます。

小石原地区のバス停
東峰村の中心、小石原地区のバス停

小石原地区を出発するとまもなく、国道500号線へ進入。引き続き迂回しながらではありますが、山を越えて次の彦山駅へアプローチをかけていきます。左右にカーブする道を越えると、彦山駅へ到着。先ほどの引き返し・迂回が影響し、一駅前の筑前岩屋駅からは36分も要しています。彦山駅周辺には日本三大修験道の英彦山(ひこさん)や英彦山神社があることから、その観光の玄関口として、駅前に土産店や飲食店が数軒見られました。

彦山駅
彦山駅のバス停付近

彦山駅から先は県道52号線を経由(※現在のBRTもここからは県道を走行)。豊前桝田駅付近を通りながら、歓遊舎ひこさん駅へと向かいます。歓遊舎ひこさん駅は道の駅歓遊舎ひこさんに隣接する駅で、代行バスのバス停は道の駅の施設内にあるのが特徴です。歓遊舎ひこさん駅は2008年開業と比較的新しい駅ですが、開業から10年経たず、鉄道運行が休止、そのまま、鉄道駅としての役目を終える短命な駅となってしまいました。

道の駅歓遊舎ひこさん
道の駅歓遊舎ひこさん

歓遊舎ひこさん駅を出発すると、添田町の町道を経由しつつ、終点の添田駅へ。途中、日田彦山線の線路と並行する箇所がありましたが、既に線路は撤去されている様子でした。

日田彦山線の線路跡
日田彦山線の線路跡

5分早着(11:11着)で、添田駅へ到着し、ここからは列車で田川後藤寺駅へ。駅舎前で代行バスを降りましたが、ホームまで少し歩く構造となっており、何もしらないと駅舎で迷うことになりそうです。添田駅のホームは1面2線ですが、そのうち1線は道路となっており、現在は鉄道とBRTを対面で乗換ができるように工夫されています。

添田駅
添田駅ホーム
添田駅ホーム。BRT乗り場も整備されている。
日田彦山線のキハ47形気動車
日田彦山線のキハ47形気動車

添田駅からは田川後藤寺行きに乗車。現在のBRTと同じく、当時も列車と代行バスの接続は意識されたダイヤのため、乗り換えは比較的スムーズでした。この後、約15分とあっという間の乗車で、田川後藤寺駅へ到着することとなりました。

田川後藤寺駅
田川後藤寺駅

【11:35-13:49】 かつての国内最大級の筑豊炭田を巡る (前編)

日田彦山線で田川後藤寺駅へ到着した後は、この後の旅程の関係で、一駅だけ最長片道切符のルートを逸脱していきます。引き続き、日田彦山線の小倉行きに乗り換えて、次の田川伊田駅まで乗車します。

田川後藤寺駅は複数の路線が乗り入れており、出発するとすぐに、後藤寺線の線路が分かれていき、しばらくすると平成筑豊鉄道糸田線の線路が分かれていきます。次の田川伊田駅が近づくと、平成筑豊鉄道の別の路線、伊田線の線路が合流してきて田川伊田駅へ到着します。ちなみに、田川伊田駅にはさらに、平成筑豊鉄道の田川線も乗り入れており、田川後藤寺駅と並ぶターミナル駅となっています。

田川伊田駅の駅名標
田川伊田駅の駅名標

田川伊田駅でルート外の分の精算を済ませ、出場。ここからは筑豊観光に入っていきます。最近は都道府県につき1箇所で観光を済ませてきましたが、福岡県内では2箇所を観光していくため、田川伊田駅周辺はその1箇所目、前半となります。

それにしても田川伊田駅の駅舎が立派なこと。レトロさとモダンさが複合したような雰囲気で、複数の飲食店やホテルも入っています。ただ、残念なのがコインロッカーがないこと。隣の田川後藤寺駅にはコインロッカーがあるという情報を得ていましたが、乗換時間が3分だったため、預けている余裕もなく、スーツケースなどの大きな荷物を持ったまま、観光をせざるを得ない結果となりました。

田川伊田駅
田川伊田駅

駅を出る前にまずは腹ごしらえ。駅舎にあるうどん店「いたんこ」さん(※投稿時点では閉店)に立ち寄ります。同じスペース内に鉄板焼きも扱っているようで店員さんが忙しそうに鉄板で調理をしています。入店の際、「空いている席にどうぞ」と案内してもらったのはいいものの、店員さん全員が鉄板に集中しており、迷いながらも、とりあえず鉄板のあるカウンターへ注文することに(これで合っているかわからないが)。依然として、店員さんが忙しそうな様子で、それを見かねた地元の方と思しきおじさん(普通のお客さん)が食後のトレーを調理場近くにある返却口らしきところまで持っていたり、調理された料理を配膳しようとしている様子も見られました(配膳についてはさすがに丁重に断られていたが)。この周辺の田川市はじめ、筑豊地方は治安が悪いことでよく噂されますが、一応事前に調べた限りはむしろ、親切で世話焼きの人が多いとのこと。この光景を見ていると、なんだか(親切で世話焼きの人が多い方に)納得してしまいます。

田川伊田駅舎のうどん屋さん「いたんこ」
田川伊田駅舎のうどん屋さん「いたんこ」(※投稿時点では閉店している)

さて、今回注文したのは福岡名物のごぼ天うどん。昆布のだしが効いており、麺はコシはなく柔らかめなのが特徴。ごぼ天は香り高く美味しかったです。

福岡名物ごぼ天うどん
福岡名物ごぼ天うどん

腹ごしらえを終えたところで、駅から出発。重いスーツケースを10分ほど引っ張りつつ、やってきたのが「石炭記念公園」。筑豊地方ではかつて筑豊炭田があり、石炭の採掘で栄えた歴史があり、石炭記念公園は筑豊随一だった三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に整備されています。それを語るかのように、園内には竪坑櫓(炭鉱に入るための昇降装置)や煙突の遺構が残されています。

石炭記念公園の竪坑櫓
石炭記念公園の竪坑櫓
石炭記念公園の煙突
石炭記念公園の煙突

今回は公園を敷地内にある「田川市石炭・歴史博物館」を訪問。受付で大きな荷物を預かって頂き、展示物を見ていきます。田川市石炭・歴史博物館は筑豊や三井田川鉱業所をはじめとした石炭産業の歴史や炭鉱における作業や運搬の様子、そして、坑員の生活についても知ることができる施設です。

田川市石炭・歴史博物館
田川市石炭・歴史博物館

1Fの展示スペースの入口を入っていくと、筑豊地方の石炭産業の歴史に関する展示があります。筑豊地方の石炭産業は江戸時代に端を発し、明治時代の近代化により、急速に発達。石炭は当時、必要な不可欠な存在で、ピーク時は筑豊地区の石炭のシェアは国内の40-50%を占めていたそうです。その頃、筑豊炭田では大手資本の進出が行われ、現・田川市においては東京・関西に資本を持つ会社が炭砿を取得。1895年には輸送面のハンデを解消するため、伊田から行橋(現・平成筑豊鉄道田川線)までの鉄道を開通させるも、内部統制力を欠いた紛争が発生し、1900年に三井鉱山へ譲渡されました。

その後、伊田地区において、第一竪坑と第二竪坑を整備し、1910年に竣工。大正時代においてはさらなる設備拡充が実施されたようです。この頃の機構改革で、「三井田川鉱業所」が誕生。その後は好況と不況の繰り返しとなります。まずは第一次世界大戦時の好況後、石炭不況が起こったものの、1937年の日中戦争で再び好況へ。しかし、太平洋戦争末期には無理な増産体制により、坑内の荒廃が発生。これにより、出炭量が激減します。終戦後は再び出炭量が回復するものの、この頃には外国産の石炭が出回るようになり、生産合理化を実施。しかし、その波には抗えず、1964年に三井田川鉱業所の閉山へ至りました。

三井田川鉱業所伊田竪坑の模型
三井田川鉱業所伊田竪坑の模型

このような概要を学んだあと、屋外展示を見る形となり、そこには坑内における石炭運搬で使われた貨車の展示や、時代ごとの坑員の住宅が見られます。炭坑は地下に水平・斜めに通路が設けられているので、勾配に合わせた形で貨車を組成して坑員や石炭を運搬していたようです。住宅については明治・大正・昭和といった時代ごとにサンプルが用意されており、明らかに時代が進むにつれ、住環境が良くなっていることがわかります。例えば、時代が進むにつれ、住居は広さを増している点や、明治から大正にかけては炊事場が屋外から屋内に移っている点などがあげられます。

坑内の石炭輸送に使われる炭車
坑内の石炭輸送に使われる炭車
坑員の輸送に使われる人車
坑員の輸送に使われる人車
明治期の坑員住宅
明治期の坑員住宅
明治期の坑員住宅における屋外炊事場
明治期の坑員住宅における屋外炊事場
大正期の坑員住宅
大正期の坑員住宅
昭和期の坑員住宅
昭和期の坑員住宅
昭和期の坑員住宅(台所)
昭和期の坑員住宅(台所)

再び、屋内の展示に戻ると、今度は採炭方法の移り変わりと輸送方法について学ぶことになります。採炭方法には大きく手掘りと機械を使った二通りがあり、近代化前や中小零細規模の炭鉱ではツルハシで石炭を掘り起こし、採掘された石炭は籠や箱に入れられて人力で運搬されました。一方で、大規模炭鉱や近代化が進んだ時代においては電気や圧縮空気を動力としたオーガーやコールピックなどの機械を使用しながら石炭を掘り崩し、運搬の際はコンベヤーを利用していたそうです。また、筑豊における石炭輸送については、明治中期までは遠賀川を下る水運が中心となっていました。しかし、水量調整のため、堰が閉ざされることで、長時間足止めを喰らったり、出炭量が上昇とともに、船の混雑を招く点が問題となり、徐々に鉄道による輸送にシフトしていったとのこと。筑豊では1891年の若松・直方(現在の筑豊本線の一部)間の開通を皮切りに、各地で鉄道が開通。1907年頃には筑豊の鉄道網が完成し、石炭輸送のほとんどは鉄道で行われるようになったそうです。

石炭を輸送した川艜
石炭を輸送した川艜(かわひらた)
石炭を輸送したD51形蒸気機関車
石炭を輸送したD51形蒸気機関車

2Fは主に企画展となっており、当時の炭鉱や鉱夫社宅における作業の様子や生活の様子などの写真が展示されていました。時間がなくなり、急ぎ足になりましたが、躍動感のある当時の様子をうかがうことができました。

全体的に、鉄道ファンとしては筑豊地方における鉄道の発達の過程を知れたのは大きかったように思います。筑豊地方の鉄道の発達は炭鉱の発展とともにあり、その名残がいまの鉄道網に現れているように思いました。

ここで、田川市石炭・歴史博物館を後にして、田川伊田駅へ。往路は無意識のうちに遠回りをしていたようですが、実際は徒歩5分程度でアクセスできることがこのときに発覚。博物館は線路を渡った先にありますが、田川伊田駅の駅舎の横に地下道があり、これにより、線路を簡単に越えることができたようです。

駅へはギリギリの到着となりましたが、田川後藤寺行きの列車に乗車して、再度田川後藤寺駅へ帰還。これにて無事、ルートへ復活するに至りました。

田川伊田駅とキハ47形気動車
田川後藤寺駅へ戻る。
田川後藤寺駅
田川後藤寺駅へ帰還。

【14:14-14:54】短区間乗車を繰り返しつつ、直方駅へ

田川後藤寺駅からは最長片道切符のルートに戻り、後藤寺線 新飯塚行きに乗車していきます。車両はキハ40系の1両編成。駅の雰囲気と車両の古さから、どこか昭和感満載です。

後藤寺線のキハ40系気動車
後藤寺線のキハ40系気動車

一部まるまる空いたボックス席も残した状態で、田川後藤寺駅を出発。日田彦山線や平成筑豊鉄道の線路からすぐ分岐をしていきます。

田川市の市街地を外れ、田園地帯を走っていたかと思えば、車窓の両側に巨大な工場が広がり始め、次の船尾駅へ到着します。この工場はセメント工場。石炭産業は衰退した一方で、昭和期からはセメント産業が発達し、こちらは現在でも存続しています。周辺にある船尾山が田川市のセメント産業を背負っており、その麓にあたる船尾駅周辺に工場が立地しています。船尾駅の両側に工場の建物が見られますが、一見、廃墟のように古びた無機質なコンクリートの建物がよい雰囲気を醸し出しています。また、工場敷地内は石灰の粉塵によるものか、辺りの地面は白くなっており、この光景はどこか日本離れしたような異世界を感じる車窓で、非常に見応えがあります。

船尾駅近くのセメント工場
船尾駅近くのセメント工場①
船尾駅近くのセメント工場②
船尾駅近くのセメント工場②
積み上げられた石灰石
積み上げられた石灰石
セメント工場構内
セメント採掘場への道と思われる。どこか日本離れしている。

船尾駅を出発してしばらく、山間を通過すると、伊山池の一部を眺め、飯塚市の郊外を通過。あまり時間も経たないうちに、同市の中心市街地へ入り、筑豊本線の線路へ合流すると、終点の新飯塚駅へ到着します。後藤寺線の乗車は約20分と短かったですが、車窓の変化が見られ、乗っていて面白かったです。

伊山池
伊山池 (船尾・筑前庄内駅間)
新飯塚駅手前で筑豊本線へ合流
新飯塚駅手前で筑豊本線へ合流。

新飯塚駅では筑豊本線に乗り換え。快速 直方行きに乗り換えますが、定刻より遅れて入線。石炭を彷彿とさせる黒やシルバーを使ったメタリック調の813系電車に乗車して、6分遅れで新飯塚駅を出発していきます。

新飯塚駅
新飯塚駅
筑豊本線の813系電車
筑豊本線の813系電車。どこか石炭っぽいカラーリング。

ちなみに、筑豊本線という名称を旅客案内上で使っている印象は薄く、区間ごとに設けた愛称の方がよく用いられているように感じます。現在乗車中の区間を含む、桂川・折尾駅間は博多・桂川駅間を結ぶ篠栗線・鹿児島本線の折尾・黒崎駅間と合わせて「福北ゆたか線」と呼ばれており、本来の筑豊本線の区間である若松・原田駅間を通しで運行する列車は存在しません。

車窓については大きな特徴はないものの、鯰田・小竹駅間で渡る遠賀川、そして、小竹駅より先の区間で広がる田園風景が強いていえば見どころかと思います。列車内についてはある程度乗客がいるため、雰囲気としてはのどかさはなく、普通の都市圏の郊外の鉄道に乗っているような感覚なため、そこまで旅情はないのが正直なところです。

遠賀川
遠賀川(鯰田・小竹駅間)

乗車区間では唯一の通過駅、勝野駅を過ぎると、田川伊田方面からの平成筑豊鉄道伊田線が合流。直方市の中心市街地へ入ると、4分遅れで終点の直方駅へ到着。こちらについても、約15分とあっという間の乗車でした。

筑豊本線の813系電車
筑豊本線の813系電車
直方駅の駅名標
直方駅の駅名標

【14:54-16:00】かつての国内最大級の筑豊炭田を巡る (後編)

ここで福岡県筑豊地方の2箇所目の観光に入っていきます。今回もテーマは石炭産業。お目当ての「直方市石炭記念館」へ向かいます。ところが、まさかの道迷い。本来のところ、駅から徒歩10分で着けるものの、到着まで20分もかかってしまい、正味30分未満で、見学することとなりました(元の計画もタイトだが、本来であれば1時間は必要と思われる規模)。

直方駅
直方駅

直方市も田川市と同様、筑豊地方の一地区として、石炭産業が栄えた場所で、直方市石炭記念館ではその歴史をはじめ、炭坑で使われた機械・道具の展示が充実した施設です。そして、何より特徴的なのが同じ敷地内にある史跡群。一部は先ほどの田川市石炭・歴史博物館の内容と重複しているため、この史跡を中心に見ていくことにしました。

直方市石炭記念館
直方市石炭記念館

直方市石炭記念館では職員さんから丁寧な解説を受けられることに定評があるものの、時間がないため、さわりの部分だけ解説して頂くことに。館内の展示はあまり見られませんでしたが、筑豊地方の鉄道に関する展示も充実している様子で、また機会があればしっかり見ていきたいと思いました。

先述の通り、今回は史跡を中心に見学。一つ目の史跡は旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所の建物。現在は記念館の本館として利用されていますが、かつては石炭産業の同業者組合の討議の場として利用されていた建物です。もともと、会議所は積出港のある若松にありましたが、交通の利便性を鑑み、石炭産業の経営者が多く暮らした直方に会議所が設けられるようになり、1910年にこの会議所が竣工したとのことです。現在は記念館の一部として、展示資料が設置されていますが、かつてはこの場で石炭運輸・鉱山保安・価格調整の件などについて議論がなされており、石炭産業の頭脳的存在となっていたようです。

旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所 (直方市石炭記念館本館)
旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所 (直方市石炭記念館本館)

二つ目の史跡が模擬坑道。炭坑においてはガス爆発や火災、落盤などあらゆる災害が想定されますが、そのような有事の際に活躍する救護隊の訓練場所として活用された場所です。こちらも同業所組合によって1920年に創設。各所の救護隊がこの場所で訓練を受け、本物の炭坑と類似の環境を生み出せるこの高機能な設備で、約1週間の講習を受けていたようです。模擬坑道は1968年にその役目を終えたものの、いまでも当時と同じ外観を保っており、当時の様子がなんとなく感じ取れました。

模擬坑道
模擬坑道

ほかにも、屋外にはコペル32号、C11型など、石炭輸送で活躍した蒸気機関車の展示などもあり、スペースは広くないものの、貴重な展示物が所狭しと収められており、見どころの多い博物館であるように思いました。今回は途中でタイムアップとなってしまいましたが、再度見学をしにきたいと思いました。

コペル32号蒸気機関車
コペル32号蒸気機関車
C11型蒸気機関車
C11型蒸気機関車

【16:00発/16:21着】 次世代型車両で折尾駅へ

直方市石炭記念館を後にして、直方駅へ帰還。ここで筑豊観光を終わりにして移動を再開していきます。直方駅から乗車するのは筑豊本線 若松行き。これで途中の折尾駅まで進みます。今回の乗車した車両はBEC819系電車の2両編成。「DENCHA」という愛称を持った列車です。名前の由来は車両に搭載している蓄電池。

BEC819系電車、DENCHA
筑豊本線のBEC819系電車。愛称「DENCHA」。

筑豊本線には一部非電化区間が残っており、従来は気動車を充当してきましたが、環境負荷の少ない次世代型の車両として生み出されたのがこのDENCHAです。電化区間では蓄電池への充電をしながら、従来のように電車として走り、非電化区間では蓄電池を動力に走行します。このような性質から、”Dual Energy CHArge train”というロゴも車体についており、これもDENCHAの名前の由来になっています。一方、車両の仕組みは特徴的ながらも、内装はいたってJR九州らしいスタイリッシュな普通の列車で、座席はロングシートになっています。

DENCHAの側面
DENCHAの側面

さて、列車は直方駅を出発すると、市街地を通過、田園風景が広がり、筑前垣生・中間駅間で遠賀川を渡ると、市街地へ入ります。そこまでは大きな特徴はないものの、折尾駅手前ではトンネルに入りますが、その途中で行先が二手に分かれるという少し変わった構造が見られます。

約20分の乗車で、折尾駅へ到着。折尾駅ホームで周りを見回すと、筑豊本線ともう一つの路線である鹿児島本線の高架が駅舎を挟んでやや離れた位置にあることがわかります。もともとは鹿児島本線が高架を通り、筑豊本線が平面で垂直に交わるという構造で、さらには元は運営会社が違った名残から、路線ごとに駅舎があったというかなり構造の変わった駅でした。しかし、利用客や周辺住民の交通利便性の向上を図ることを目的に、筑豊本線の線路を高架化。さらには駅舎を両線でまとめるべく、いまの形に落ち着いています。先ほどのトンネルでの分岐はこれに伴って新しく設けられた設備で、筑豊本線ホームと鹿児島本線ホームのどちらにもアプローチできるように、設計されていたのです。

折尾駅
折尾駅
筑豊本線の折尾駅から見た駅舎と鹿児島本線の高架
筑豊本線の折尾駅から見た駅舎と鹿児島本線の高架

【16:33発/17:17着】 鹿児島本線の快速で博多駅へ

折尾駅からは鹿児島本線へ乗り換えて、本日の最終目的地、博多駅へと向かいます。乗車するのは快速 羽犬塚行き。夕ラッシュ時間帯に福岡都市圏を通過するからか、813系の3両、817系の3両、813系の3両が連結された計9両と地方にしては長い編成の列車に乗車していきます。それでも、実際に乗車すると、座席はほぼ埋まっている様子で、九州の大動脈の路線であることを実感しました。

鹿児島本線の813系電車
鹿児島本線の813系電車
鹿児島本線の817系電車
編成に817系電車も混ざっている。

また、ここまで混雑しているのは恐らくこの列車が快速列車だから。特急料金のかからない種別の中では一番早い種別で、名に恥じぬ俊足ぶりを終始発揮していきます。折尾駅を出発すると、早速、連続で4駅を飛ばして赤間駅へ。その後も、しばしば通過駅が設定されており、乗車していて爽快です。

遠賀川の車窓
遠賀川(水巻・遠賀川駅間)

沿線地域に関してはやはり、福岡都市圏付近を走ることもあり、東福間駅以降はほぼ市街地が途切れていなかった印象でした。香椎駅付近からはさらに都会らしくなり、香椎駅で香椎線と交差、そして、香椎駅より先は西鉄貝塚線としばらく並走。千早・箱崎駅間からは福岡貨物ターミナル方面への貨物線が分岐し、途中の多々良川の橋梁では3線の線路が平行する車窓を見ることができます。そして、吉塚駅手前では篠栗線と九州新幹線の線路が合流して、まもなく本日の旅のクライマックスを迎えます。吉塚駅より先は最長片道切符のルートをはみ出して、そのまま一駅先の博多駅へ向かいます。それとともに、沿線の建物の高さ・幅ともに増量しているのを感じます。そして、まもなく、九州最大のターミナル駅である、博多駅へ到着です。これにて、一昨日のハプニングによる旅程の遅れが無事、解消されました。

香椎駅
香椎駅
西鉄貝塚線
西鉄貝塚線の車両がちらり
多々良川の橋梁からの車窓
多々良川の橋梁から見る西鉄貝塚線と福岡貨物ターミナル方面への貨物線
博多駅付近の車窓
博多駅付近の車窓
博多駅の駅名標
博多駅の駅名標
ななつ星in九州
ななつ星in九州に遭遇
博多駅
博多駅

【19:20-19:50】 博多駅のグルメスポットで博多ラーメンを喫食

本日の最終目的地、博多駅へ到着。駅近のホテルに入り、ひと段落したのちに夕食へ出かけました。今回は博多駅で夕食としました。立ち寄ったのは博多駅の駅ビルにある「博多麺街道」。博多ラーメンや長浜ラーメンを提供する名店が集結したグルメスポットです。

夜の博多駅
夜の博多駅
博多麺街道
博多麺街道

金曜日の夜ということもあり、それなりに混雑しており、半数程度のお店には入店待ちの列ができていた状況。大の行列嫌いな自分が選んだのは「博多一幸舎」さん。お察しの通り、行列ができていなかったものの、調べてみると評判は良さそうだったので、入店しました(後々調べたら福岡以外の各地にも出店しており、限定感が薄かったのが空いていた原因かもしれません。知らんけど。)。

自動券売機上で、メニューを確認する限り、ラーメン単体だけでも色々あるようで、普通のラーメン(とんこつ)から、辛味のある赤ラーメンやマー油の入った黒ラーメンなどもある様子。サイドメニューは焼きめしや明太丼など、ラーメン以外のメニューも充実しているようでした。

今回は初めての来店のため、普通のラーメンを選択。スープが泡立っており、クリーミーな質感が特徴です。とはいえ、濃厚すぎず、ちょうどよい具合に調整されている印象でした。そして、福岡のラーメンらしく、豚骨の香りが鼻を突き抜けていきます。麺はストレートの中細麺(多分)。スープがクリーミーなので麺によく絡みます。

博多一幸舎のラーメン
博多一幸舎のラーメン
一口餃子
一口餃子
替え玉
思わず替え玉を頼んでしまった。

実はこれが二夜連続のラーメン。当初は控えめにするつもりでしたが、我慢できずに替え玉を注文。おまけに、再度メニューで一口餃子も頼んでいたので、完全暴食状態となってしまいました。九州の食べ物はうまいから、ということで完全他責にしておきます。

それでは本日の旅程はここまで。最長片道切符の有効期限はあと2日。旅の最終目的地までゴールできようができなかろうが、問答無用でまもなく旅は終盤を迎えます。最後まで見守っていただければ幸いです。本日もお疲れ様でした。

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