【最長片道切符の旅#44】ついに西九州へ!長崎本線で佐賀を旅する
最長片道切符の旅44日目。本日は2023年5月13日(土)。福岡県の博多駅からスタートしていきます。
(最長片道切符の概要はこちらからご覧ください)
【旅程: 最長片道切符の旅44日目】
■ 博多駅 (9:30発)
↓ 篠栗線 快速
■ 桂川駅 (10:01着/10:21発)
↓ 筑豊本線 普通
■ 原田駅 (10:49着/11:11発)
↓ 鹿児島本線 区間快速
■ 博多駅 (11:31着/12:01発)
↓ 九州新幹線 さくら549号
■ 新鳥栖駅 (12:13着/12:50発)
↓ 長崎本線 普通
■ 肥前浜駅 (13:56着)
■ 肥前浜観光 (佐賀県)
・昼食
・肥前浜宿
・HAMA BAR
■ 肥前浜駅 (16:26発)
↓ 長崎本線 普通
■ 諫早駅 (17:25着/17:42発)
↓ 長崎本線 快速シーサイドライナー
■ 喜々津駅 (17:51着)
本日のルートのポイントは博多駅周辺を一周する点、そして、西九州方面へ向かう点です。前者について、厳密にいえば、最長片道切符のルートは博多駅の隣駅、吉塚駅から始まるため、最長片道切符のルート上では一周をしていないことになります(そもそも、ルート上でも一周したらその時点で旅が終わってしまう)。また、後者についてはこの旅のゴールが長崎県の新大村駅のため、一気にゴールに近づくこととなります。
尚、最後の乗車区間にあたる諫早・喜々津駅間も最長片道切符のルート外となるので、実際のルートに沿った移動は吉塚・諫早駅間となります。
【9:30発/10:01着】 途中で車窓ががらりと変わる篠栗線で桂川駅へ
先述の通り、本日は九州一の都会である博多駅からスタートです。本日1本目の列車は篠栗線の快速 直方行き。愛称で「福北ゆたか線」(博多-桂川-直方-折尾-黒崎)と呼ばれるルートを通る列車です。博多・吉塚駅間はルート外の乗車となるので、別途乗車券を購入して改札を通ります。
改札を通り、改札内通路を通り、目的のホームへ向かっていると、ふと通りがかった電光掲示の表示に「ななつ星in九州」の表示を発見。これで3日連続の遭遇です。行先表示の欄には「新たな人生」の文字…。クルーズのテーマであるのはわかるのですが、「新たな人生」行きの列車と捉えると…。色々解釈ができてしまう言葉です。列車の時間が迫っているので、今回はななつ星の車両を拝むことはなく、そそくさと篠栗線のホームへ向かいます。
出発3分前にホームへ着くと同時に、813系電車の車両が入線。土曜ではありながらも、都会らしく多くの乗客が列車から吐き出されていました。この列車がそのまま目的の列車として折り返しになる様子。九州でも朝時間帯のダイヤはタイトなようです。6両編成(確か)のうち、一番空いていそうな先頭車両に乗車。813系はクロスシートで、旅行客にとってはうれしい列車。無事に窓側の席がとれました。
列車は間髪入れずに博多駅を出発。次の吉塚駅までは鹿児島本線の区間を走行。隣には山陽新幹線が並走します。博多駅周辺の高層ビル、そして、中間付近にある都市高速を眺めてまもなく、吉塚駅へ停車。ここから最長片道切符のルートに入っていきます。
吉塚駅を出発すると、鹿児島本線の線路から逸れていき、山陽新幹線の高架をくぐる形で、山陽新幹線の高架とも分かれ、単独区間を進んでいきます。そして、柚須駅へ停車。柚須駅の周辺は工場が多く見られますが、出発すると住宅地へ入っていき、しばらく福岡のベッドタウンを通過していきます。そして、ここからは快速列車らしく一部の駅を通過していきます。篠栗線の快速はデータイムとそれ以外の時間で停車駅が異なっており、データイムの方が停車駅が多くなっています。現在乗車中の列車は停車駅が少ないタイプの快速列車で、気持ち早く篠栗線を駆け抜けることができます。
さて、次の停車駅、長者原駅へ入線する際は垂直に交わる香椎線の線路をくぐります。香椎線の長者原駅は1面1線のため、この立体交差の様子が見えやすく、鉄道ファン的に美しい風景に映ります。長者原駅を出発してしばらくすると、線路が市街地と市街化調整区域の境界を通っているからか、車窓の片側は市街地、もう一方は田園風景と左右で異なる車窓を見ながら走行。門松駅を通過すると、路線名の由来となった篠栗駅へ到着します。
篠栗駅は篠栗町の市街地にありますが、その市街を抜けると、車窓が一変。周囲から山が迫り、ここからは山間部をトンネルで貫きながら進むようになります。トンネルの間の高架区間などで時折、景色が開けますが、その際に下に目を遣ると、地表から結構高いところを走っていることに気づきます。その途中に、次の駅、筑前山手駅を通過。筑前山手駅は地表から高い場所にホームがあり、入口からは80段もの階段を上る必要があります(エスカレーター・エレベーターはない)。
また、他にも特徴のある駅が続き、まずは次の停車駅である城戸南蔵院前駅。正確には駅自体よりも周辺施設ではあるものの、駅近くにある南蔵院には世界最大級のブロンズ製の釈迦涅槃像(全長41m・高さ11m)があります。残念ながら車窓から見えないのが惜しいですが…。そして、その次の駅の九郎原駅。こちらは普通列車であっても一部が通過する駅です。当然、快速列車であるこの列車は通過します。
こうして、山間部を抜け、福岡県筑豊地方へ進入。田園地帯を進み、筑豊本線の線路を迎えると、下車駅の桂川(けいせん)駅へ到着します。列車はこの後、筑豊本線へ乗り入れますが、篠栗線の区間はここまでです。福岡の近郊路線ではありながらも、特色のある車窓や駅が連続する乗り応えのある路線でした。
【10:21発/10:49着】 福岡近郊の難所、筑豊本線で桂川駅から原田駅へ
桂川駅からは筑豊本線に乗り換えます。乗車するのは普通 原田行きの列車。ざっと6両は入るであろうホームにぽつんと1両編成のキハ40系が停車している姿は少し場違い感があります。筑豊本線は若松駅から折尾・直方・新飯塚・桂川駅を経由して原田駅を結ぶ路線。昨日は折尾・新飯塚駅間で乗車していましたが、その時とはだいぶ雰囲気が違います。
実際のところ、若松・桂川駅間に関しては813系電車やBEC819系電車のように、民営化後のスタイリッシュな近郊型の車両が使われているものの、桂川・原田駅間は国鉄時代からのキハ40系気動車が充当されます。そして、何よりも大きく異なるのが運転本数。若松・桂川駅間は日中でも1時間に2本は確保されるのに対し、桂川・原田駅間は平日8往復/日、土休日でも9往復/日しか運転されません。特に日中時間帯は少なく、平日日中に関しては4-5時間の間が空くこともあります。昨日17時過ぎに全行程を終えたのも、本日の行程開始が9時30分になったのも、この区間の運転本数が大きく影響していたのです。
その貴重な一本な乗車して桂川駅を出発。思ったよりは利用があり、この時点ではほぼすべてのボックスに一人は入っている状態でした。まもなく、篠栗線の線路から逸れ、筑豊地方の田園風景を通り、最初の駅、上穂波駅へ停車。ここで1名の乗車と2-3名の降車がありました。ここに関しては駅周辺に街があるものの、上穂波駅を過ぎると山が迫り、徐々に沿線の民家が減っていく様子が見えます。明らかに列車は上り勾配を登っていることがわかり、モーター音を唸らせながら少しずつ山を登っていきます。
次の筑前内野駅を出発してしばらくすると、全長3,286mの冷水トンネルで冷水峠を通過。トンネルを出ると山を降下していきます。この冷水峠の前後では国道200号線と並走しますが、こちらはそこそこ多くの車が通行している様子。道路に関してはこの国道だけでなく、バイパスも整備されているようで、鉄道との大きな差を感じさせます。筑豊本線の桂川・原田駅間がここまで閑散としたきっかけは篠栗線の開通。篠栗線開通前までは筑豊本線のこの区間が筑豊と福岡都市圏を結ぶ役割を担っていましたが、現在は篠栗線が短絡路として機能しているため、筑豊本線のこの区間は衰退の一路を辿ってしまったようです。実際に、これまで停車した駅すべてには交換設備の跡があったことからも、かつてはこの路線が賑わっていたことがうかがい知れます。
山を下ると、次の筑前山家駅へ到着。供用中のホームの向かい側には廃ホーム跡がありますが、そこは完全に草生しており自然に還っている様子でした。その向こうには静態保存されている路面電車が。調べてみると、かつて西鉄が保有していた車両とのこと。かつては福岡市内や北九州市内に路面電車の運行を行っており、その頃に使われていた車両とのことです。沿線でもなかった筑紫野市内のこの場所に置かれている理由はわかりませんでしたが…。
さて、列車は筑前山家駅を出発。列車が動き始めると、駅舎からお客さんが列車に向けて走ってくる姿が!どうやら乗り遅れてしまった様子。さすがに、その姿に気づいたところで、こちらとしてはどうしようもなく、「ドンマイ」と心の中で思うことしかできず…。次の列車は約3時間後。この後一体、どうされたのか気になります。
次が終点の原田駅のため、少しずつ辺りの住宅が増えてくる様子が見られます。宝満川を渡り、西鉄天神大牟田線を跨ぐ際に、走行中の西鉄電車を発見!この路線は鹿児島本線とほぼ並走しているため、JRとはライバル関係にある路線です。一瞬列車は緑の中を走りますが、まもなく、鹿児島本線の線路へ合流し、終点の原田駅へ到着します。乗車時間にして約30分でしたが、車窓の変化が豊かでこの区間に関しても乗り応えがありました。そして、無事に難所を越えることができて一安心です。
【11:11発/11:31着】 鹿児島本線で再度博多駅へ
原田駅では鹿児島本線へ乗り換えて博多駅へ戻ることになります。逆方向に行って鳥栖駅に行った方が西九州方面に近いのですが、そんなことは最長片道切符の旅では通用せず…。
また、鹿児島本線、特に福岡県の区間は九州の中でも比較的本数は多いですが、逆にそれが故、筑豊本線との接続はそこまで考慮されていない様子。目的の列車が来るホームへ行ったところで、特急列車が連続で2本も通過。その後に普通列車が来るものの、この列車は2駅先の二日市駅で後続の区間快速に抜かされるため、これも見送り。3本も列車を見送った後に、ようやく博多駅に先着する列車が到着。この間、22分も待ちぼうけとなりました。それはともかく、区間快速 小倉行きで博多駅まで進みます。というか、強制送還されます。
今回乗車したのは811系電車。先ほど見送った普通列車も同じ形式の車両であったものの、あちらはクロスシートで、この列車はロングシート。車両によって座席配置が異なるようでした。ちょっと外れを引いた感じもしましたが、混んでいて座れなかったので、気にするまでもなく。
混雑で車両の中ほどに押しやられていたので、大して車窓は見られなかったものの、車窓はほぼほぼベッドタウンの住宅街といった印象。筑紫野市や大野城市といった福岡市に近い自治体を通るため、車窓自体はそこまで面白みはなかったように思います。ただ、乗車した区間に関しては快速運転が行われたため(同じ区間快速でも列車によって停車駅が異なる)、スムーズに移動ができたのが救いでした。
【12:01発/12:14着】九州新幹線で新鳥栖駅へ
再度、博多駅へ到着。ただ単に一周して戻って来た感が否めませんが、スタート時の博多駅はあくまでもルート外で来ていたのに対し、現段階での博多駅は最長片道切符のルートとして来ていることに大きな違いがあります。ここで、ようやく最終ゴールのある西九州方面への道が開き始めるのです。
博多駅では九州新幹線に乗り換え。さくら549号 鹿児島中央行きで新鳥栖駅へ向かいます。一駅間だけの乗車のため、自由席を利用していきます。一番空いていそうな自由席を利用しましたが、降車客が多く、何の問題なく窓側の席が取れました。乗車した車両はN700系。「いい日旅立ち」の車内メロディでJR西日本所属車であることがわかりました。
ところで、新幹線に乗車していることで、ショートカットができている感覚がありますが、実質、やっていることは先ほど通った原田方面へ戻っているだけのこと。先ほど乗車した鹿児島本線は九州新幹線と並行しているため、一度来た道を別の並行している路線で戻っていることになります。つまり、特急料金をどぶに捨てている行為にほかなりません。とはいえ、博多・新鳥栖駅間は九州新幹線で唯一乗車したことがない区間だったので、まあ良いことにしましょう。
この区間での醍醐味はなんといっても博多総合車両基地。山陽新幹線を走るJR西日本所属の車両がここに属しており、留置されている新幹線の車両がずらりと整列している光景が見どころです。しかも、現役の新幹線車両に留まらず、現役引退をして久しい100系のダブルデッカー車両や、かつての高速試験車両”WIN350″(新幹線500系900番台)が一瞬ながら見ることができました(これらの車両は後の2024年春に解体されたとのこと…)。
博多総合車両基地の敷地を見終わると、九州新幹線最長の筑紫トンネル(全長11,935m)で福岡県から佐賀県に入ります。トンネルから抜け出すとまもなく新鳥栖駅へ到着。たった13分のあっという間の乗車でした。
【12:50発/13:56着】 新幹線開業の影響を大きく受けた長崎本線に乗車 (前半)
新鳥栖駅からは再び在来線での移動。長崎本線に乗車していきます。新幹線から次の列車までの接続時間は36分。乗換時間にしてはやや長く、当初は新鳥栖駅の立ち食いうどんのお店(中央軒)でさっと食べることも考えましたが、食事は次の目的地、肥前浜ですることにしたので、ここでは我慢です。外に出ることも考えたものの、この日の天候は雨。本降りだったので何をする気も起きず、待合室で待ちぼうけの時間を過ごしました。
乗車する列車の時間が近づき、ホームへ。しばらく待っていると、787系の特急型車両が入線。次に乗る列車は普通列車なので違和感を覚えていたら、どうやら反対方向のホームで待っていたことが発覚。この時点で乗車予定の列車の出発時刻まであと1分。急いで反対側のホームへ行き、事なきを得ました。まあ、少し遅れていたようなので、それ以前の問題でしたが。
さて、次に乗車する列車は普通 肥前浜行き。これで終点の肥前浜駅で向かいます。5分遅れで817系の2両編成が入線してきました。車内は旅行者にはありがたいクロスシートでしたが、出発時点で窓側の席がすべて埋まっていました。
新鳥栖駅を出発すると、基本的に田園風景と小さな市街地の車窓を繰り返しながら進んでいく印象です。この区間においては線形が良いのか、普通列車でもかなりのスピードで飛ばしていきます。
車窓の見どころは吉野ヶ里公園・神埼駅間における吉野ヶ里遺跡。吉野ヶ里遺跡は弥生時代に形成された環濠集落(周囲に濠をめぐらせた集落)で、現在は歴史公園として、弥生時代の様子が再現されています。車窓からもわずかながら、高床式の倉庫など、歴史の教科書で見られるような光景が垣間見られます。神埼駅を過ぎると、より広大な田園風景が広がり、佐賀駅の手前で突如市街地になったかと思うと、まもなく佐賀駅へ到着します。県の代表駅にかかわらず、割とギリギリまで田園風景が広がるので、「本当に次が佐賀駅?」とちょっと疑ってしまうような車窓の流れでした。
佐賀駅を出発すると、中高層の建物からすぐに、住宅街へと車窓が変化し、次の鍋島駅を過ぎると、また元の田園風景に戻ります。この時に普通列車に限らず、駅を通過します。この駅はバルーンさが駅という臨時駅です。バルーンさが駅のすぐ先には嘉瀬川の橋梁がありますが、この河川敷で、毎年秋に熱気球競技大会のさがインターナショナルバルーンフェスタが開催されます。バルーンさが駅はその時にのみ営業する駅で、それ以外の時期は全列車が通過となります。次の久保田駅は唐津線との分岐駅で、駅を出発すると分岐地点があります。唐津線は佐賀駅まで乗り入れを行っているので、時間帯によっては唐津線の列車とすれ違うこともあるのかもしれません。
しばらく走行しているうちに列車は江北駅へ到着。2022年9月の西九州新幹線開業前までは肥前山口駅だった駅です。また、同じく西九州新幹線開業前までは最長片道切符の最終ゴールとなっていた駅です (ただし、一度到着してもゴールではなく、佐世保線・大村線・長崎本線で最後に一周してからゴールとなっていた)。佐世保方面との乗換駅ということもあり、ここで少し乗客が減りました。
江北駅を出発すると、佐世保線が分岐していきます。ここからも引き続き、長崎本線ではあるものの、この先は路線の性質が変わり、ローカル度が上がります。というのも、この先は特急の定期列車の本数が大幅に減るため。長崎本線の鳥栖・江北駅間は現在でも、長崎方面・佐世保方面の特急列車が頻繁に往来している特急街道ですが、江北以南に関しては西九州新幹線開業時から大幅に状況が変化しています。元々、長崎方面へは特急かもめ号が走っており、江北駅(当時の肥前山口駅)より先も引き続き、長崎本線を経由していました。しかし、西九州新幹線の武雄温泉・長崎駅間が開業すると、かもめ号は新幹線へ昇格。ただし、現時点では部分開業のため、博多・武雄温泉駅間を結ぶ特急リレーかもめ号が誕生します。しかし、西九州新幹線の武雄温泉駅は佐世保線との接続駅のため、江北駅を出た特急リレーかもめ号は佐世保線へ入るようになり、武雄温泉駅で新幹線に乗り換えて長崎駅へ向かうというルートが誕生したのです。つまり、長崎本線の江北以南は特急街道ではなくなったということです。そのため、ローカル輸送に徹する列車が増えたという点で、その性質が大きく変わっています。とはいっても、途中までは田園地帯を通過するだけのため、引き続き線形が良く、ローカル線に陥落したとは思えないほどの爆速で進んでいきます。
しばらくして、まとまった市街地が見えると、肥前鹿島駅へ到着。ローカル度が上がったとはいえ、肥前鹿島駅までは特急かもめ号の代替となる特急かささぎ号が新設され、博多駅とを結んでいます。つまり、厳密にはこの駅までは特急の定期列車が走るものの、この先は基本的に普通列車のみの区間となります。
肥前鹿島駅の次が終点の肥前浜駅。基本的に普通列車のみとなった区間のうち、この一駅間に関してはまだマシな方です。その理由は電化設備が残っているから。一方で、肥前浜駅より先は電化設備が取り除かれ、非電化化されているのです。つまり、肥前浜駅より先、気動車しか入れないことを意味します。そのため、一部を除き、肥前浜駅で乗換が必要となってしまった点も、西九州新幹線開業による大きな変化となっています。
まもなくして、列車は肥前浜駅へ到着。ホームの向かい側には長崎行きのキハ47形気動車が待っており、4分ほど到着が遅れたこともあり、乗客の乗換が済むと、そそくさと出発をしていきました。
【14:00-16:20】 肥前浜宿の酒蔵通りを歩き、地産の日本酒を満喫する
長崎行きの列車を見送り、今度は肥前浜駅周辺の観光をしていきます。肥前浜駅は単なる乗換駅だけでなく、付近に長崎街道多良海道の宿場町として栄えた肥前浜宿があり、その街並みが美しい、知る人ぞ知る観光スポットでもあります。また、日本三大稲荷の一つである祐徳稲荷神社も比較的近くに位置し、駅から徒歩8分の「浜三ツ角」バス停から4分でアクセスできます。今回は肥前浜宿の街並みにポイントを絞って散策をしていきます。
肥前浜駅は簡易委託駅で簡単な切符売り場しかない小さな駅ですが、観光案内所が併設されており、大きな荷物があればここで無料で預かってもらえます。荷物を預かってもらった後は肥前浜宿に行きますが、その周辺でまずは昼食を済ませます。
肥前浜駅から歩くこと6分で肥前浜宿の街並みへ到着。既に伝統的な街並みが広がっていますが、一旦後回しにして、腹ごしらえに訪れたのが「浜宿キッチン」さん。恐らく蔵を改装した建物かと思われ、街並みに溶け込んでいます。
入店したのが14時20分頃。ランチのラストオーダーが14時30分、そして、15時に一旦閉店だったので、何とかギリギリ滑り込みました。浜宿キッチンでは主に定食を取り扱っていますが、平日と土日祝日でメニューが少し異なり、土日祝日は平日よりメニュー数が減る一方、定食のセットに浜宿プリンが追加されます。また、周辺は地酒で有名なため、地酒の飲み比べセットもあります。中はシックな感じがありながらも、おしゃれでゆっくりと時間が流れるような雰囲気が漂います。
今回は「うなぎのまぶし丼御膳」を選択。昨夜食べすぎた豚骨ラーメンがお腹に残っていたので、ご飯は少なめにしてもらいました。定食にはどんぶりのほか、色々付いており、豪華です。うなぎは身がふっくらしており、柔らかく、甘辛のタレがご飯を進めてくれます。品数が多く、そこまで空腹ではなかったものの、どれも美味しく、なんだかんだで普通に完食することができました。
15時前、ギリギリ閉店前に退店し、肥前浜宿の街並みを見ていきます。肥前浜宿での一番の見どころは「酒蔵通り」。土蔵が広がる景色が美しく、この時は雨が降っていましたが、こういう美しい町並みはむしろ雨の方が趣があるような気がします。酒蔵通り沿いでは17世紀末から酒造が盛んに行われたという記録があり、大正から昭和期にかけて生産量のピークを迎えました。やがて日中戦争がはじまり、酒造業が規制されましたが、1939年時点で13軒の酒造所があったといいます。現在では廃業したところもありますが、その際の建物はしっかりと残されており、あちらこちらに土蔵を見ることができます。ところによっては醤油や味噌の醸造が行っており、醸造が盛んな街です。
また、有明海が近いその立地から漁村として栄えた区画もあり、そこには茅葺屋根の住宅がところどころに見られます。また、戦後は魚市が行われており、鹿島市内はもちろん、約15km離れた武雄の方からも仲買人が来て毎朝賑わっていたようです。当時、魚屋やかまぼこ屋も多く立地していたといいますが、手狭になったことから現在では移転をしているとのことです。
そして、時間があれば訪ねたいのが旧乗田家住宅。茅葺屋根が特徴の武家屋敷で、江戸時代後期の建造物です。当初、乗田家が購入する前は鍋島藩に仕える家臣で、最所家の住まいであったことから、仕切りを通じて何部屋にも連なる座敷や広い土間など、位の高い人物が住んだ家であることが容易に想像できます。
一通り、肥前浜宿を巡ったところで、肥前浜駅へ帰還。とはいえ、これで終わりではなく、もう一箇所立ち寄ります。それが肥前浜駅に隣接する「HAMA BAR」という日本酒バー。酒蔵通りにある酒蔵でも試飲も可能なのですが、ここで飲むために控えていたのです。
HAMA BARでは日本酒はもちろん、複数の銘柄(3種類or5種類)が一度に楽しめる試飲セットが充実しており、大吟醸・純米酒などカテゴリー別のメニューが設けられています。また、簡単ながら日本酒にあった軽食やおつまみも嬉しい点です。
今回は5蔵の純米吟醸セットとクリームチーズ・ノリのおつまみを注文。自分がその手の人間なのか店員さんが感づいたのかわかりませんが、店員さんが自ら酒瓶を並べて下さって下のような写真を撮らせていただきました。「ぜひSNSにも上げてください!」と仰っていただくなど、気さくな雰囲気があり、一人飲みであっても過ごしやすかったです。
今回注文した5種類の純米吟醸セットに含まれるのはすべて肥前浜宿の所在する鹿島市内の酒蔵のもの(今回は幸姫・能古見・鍋島・光武・蔵心の5種)。どの銘柄も微妙に風味が異なっており、そして、何より美味しくレベルの高さを感じました。また機会があれば列車一本見送ってでもまた訪れたいと思いました。
肥前浜駅自体は小さな駅であるものの、魅力的な場所で、観光目的の特急である「ふたつ星4047」や「36ぷらす3」が停車するほど。特に、電車で運行される36ぷらす3に関しては肥前浜駅以南に架線がないので、当駅を境に折り返し運転が必要にもかかわらず、わざわざ寄るくらいなので、客観的にもその魅力の大きさを実感頂けることかと思います。
【16:26発/17:51着】 新幹線開業の影響を大きく受けた長崎本線に乗車 (後半)
ここで肥前浜駅周辺の散策を終了。移動を再開していきます。次に乗車するのは普通 諫早行き。引き続き、長崎本線を進んでいきます。車両はキハ47形の2両編成。先述の通り、この先は電車が入れないため、気動車となります。通常当駅で乗換を必要としますが、今回乗車した列車は江北駅を始発とし、珍しく当駅を貫く形で運転されます。
車窓のメインはやはり有明海。途中の多良駅を過ぎてしばらくすると、車窓いっぱいに有明海が広がります。ただし、今日は雨であるうえ、窓も曇っており(拭ってもなぜか曇りが取れない)、ちょっといまいちな絵に。まるで昔のモノクロの写真みたいな感じになってしまいました。
肥前大浦・小長井駅間では県境を通過し、長崎県へ進入。これがこの旅における最後の都道府県となります。長崎県最初の小長井駅はホームの目の前に有明海が広がるという好ロケーション。天気が良いと海の対岸に島原半島の雲仙普賢岳が見えるようですが、この時は全く見えませんでした。
次の長里駅より先はやや内陸側を走り、東諌早駅を過ぎると諫早市の市街地へ進入。そしてまもなく、終点の諫早行きに到着します。冒頭の通り、最長片道切符のルートに沿った移動はここで終了です。しかし、今夜の宿泊先の関係で、長崎方面にある喜々津駅まで移動を続けていきます。
諫早駅では1分接続で長崎行きに乗り換えられるダイヤになっていましたが、この先の切符を持っておらず、かつ、車内精算になることも考えられたため(最長片道切符が絡むと精算に時間がかかる傾向がある)、あえて見送ったうえで、改札を入り直し、諫早・喜々津駅間はICカード払いで移動をすることに。
それでも長崎の近郊区間とだけあって、比較的列車の本数はあり、16分後の快速シーサイドライナー 長崎行きに乗車ができました。車両は西九州で活躍するYC1系気動車。とにかく個性的な列車で、外観は前面の輪郭に沿って小さなライトが備え付けられた派手な見た目(人間に例えると顔にピアスを付けまくっている感覚)が特徴です。また、車両の構造にも個性があり、造りは気動車がベースになっていながらも、走り出しや駅の停車時はまるで電車のような走行音を奏でます。これは車両内に蓄電池があることが関係し、ディーゼルと蓄電池のハイブリッドで運行されるのが特徴です。さらに、これに関係するのか、トイレが車両真ん中付近にあり、それに寄って通路が狭くなった箇所には座席が設置されておらず、車椅子やベビーカーなどの多目的スペースとして活用されている点で、その内装にも特徴がある車両です。
車窓よりはその独特な車両を楽しんでいると、あっという間に2駅先の喜々津駅へ到着です。
喜々津駅で最後の一晩を過ごす
最終目的地の喜々津駅へ到着。喜々津駅周辺は何の変哲もない郊外の住宅地といった様相ですが、なぜここで宿泊することにしたかというと、良い感じのホテルがここにあったから。その名は「喜々津ステーションホテル」。普段は駅からの利便性と最低限の設備さえ満たしていれば安さを重視してホテル選びをしていますが、今夜は最長片道切符の旅の最終泊。いままでの旅の過程を労い、いつもより少しだけ良いホテルを選ぼうとした結果、この喜々津ステーションホテルに辿り着いたのです。
喜々津ステーションホテルは駅から徒歩5分のところにあり、新しいからか、外観も非常にきれいです。今回は1-2人用のレギュラールームを利用。玄関より先は土足禁止となっており、自宅と同じように靴を脱いで過ごすことができます。部屋自体は広くないものの、落ち着いたデザインとなっており、ゆっくりするには良さそうです。また、空気清浄機や足用のマッサージ機、電気スタンドなど、通常の+αの設備があり、デスク・ベッドともに十分な口数のコンセントがあるのも嬉しいポイントです。そして、何よりも充実しているのが水回り。トイレは温水洗浄便座付、独立洗面台があり、水栓はセンサータイプ(つまり自動)。そして、お風呂は一般家庭のような浴室になっているのが特徴です。しかも、共用スペースには大浴場があるため、贅沢な二者択一が可能です(大浴場は日曜定休)。ほかにも共用のトレーニングルームやOA機器もあり、お値段は素泊まり・一人利用で9,300円でした。土曜ということもあり、今回はレートが高めでしたが、平日・日曜であれば7,300円で泊れるので、土曜以外の利用であればかなりコスパ高く泊まれるかと思いました。
ただし、デメリットはホテル内にレストランがないことと、喜々津駅周辺に飲食店が少ないこと。訪問時は近くの中華料理店でちゃんぽんを食べようと思ったものの、結局やっておらず、最後の晩餐にもかかわらず、ファミマで買ったカップ麺のちゃんぽんと餃子で凌ぐことになりました。まあ、昼食がよかったからよいことにしましたが。
本日の旅程はここまで。ついに明日が最終日となる予定です。果たして無事にゴールができるのでしょうか。引き続き、最後までご覧ください。本日もお疲れ様でした。
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