【最長片道切符の旅#7】ついに北海道脱出!新幹線・第三セクター・超赤字ローカル線で北東北を巡る
最長片道切符の旅7日目。本日は2023年3月26日(日)。北海道・長万部から旅を再開していきます。
(最長片道切符の旅の概要はこちらからご覧ください)
この日の旅程は以下の通りとなります。
【旅程:最長片道切符の旅7日目(計画時点・定刻ベース)】
■ 長万部駅(6:30発)
↓ 函館本線 普通 (渡島砂原・新函館北斗経由)
■ 函館駅(9:53着)
■ 函館(渡島エリア)観光
● 函館駅前(10:14発)
↓ 函館市電
● 末広町(10:22着)
● 元町・末広町・ベイサイドエリア徒歩散策
・旧函館区公会堂
・ 函館山
・ 金森赤レンガ倉庫
・ 昼食
● 十字街(12:45発)
↓ 函館市電
● 函館駅前(12:51着)
■ 函館駅(13:07発)
↓ 函館本線 普通はこだてライナー
■ 新函館北斗駅(13:29着/13:39発)
↓ 北海道新幹線・東北新幹線 はやぶさ32号
■ 盛岡駅(15:44着/16:39発)
↓ IGRいわて銀河鉄道・花輪線 普通
■鹿角花輪駅(18:35着)
尚、最長片道切符のルート上では函館を経由せずに、新函館北斗で函館本線から新幹線に乗り換えるのが本来のルートですが、渡島エリアの観光を行うため、新函館北斗・函館間は追加運賃を支払い、往復をしています。
また、実際の行程では盛岡を境に旅を行った日が変わっています。というのも、私的な理由(この旅も私的なものですが)で、一旦旅を中断していたためです。実際では北海道から盛岡をそのまま通過して、東京方面へ帰り、4月2日(日)に時刻を中断時点で合わせて盛岡から旅を再開しています。中断したタイミングを除けば、時系列的に一連の流れとなるため、別日にまたがっているものの、ここでは同じ7日目として扱います。
【6:30発/9:53着】 変化に富む車窓が魅力的、函館本線で函館へ
本日も早朝のスタートです。旅館からは親切な女将さんに送って頂き、長万部から旅を始めていきます。
休日の早朝ということもありますが、長万部駅前は静寂に包まれています。しかし、そんな長万部には数年後に新幹線の駅ができる予定です。まだこれといって駅前に大きな変化はありませんが、少しずつ準備は進められている様子。実際、6日目の記事でも取り上げた通り、新幹線整備の都合上、駅から温泉街までの近道になる人道橋が撤去されています。
長万部からは函館行きの普通列車に乗車します。函館までの所要時間はなんと約3時間半。所要時間こそ長いものの、景色が見応えあり、飽きずに乗車ができます。長万部出発時点では乗客は自分のみ。貸切状態ということもあり、気分は上々です。
鉄道ファン的なものもありますが、この区間の車窓の点では見どころが多くまとめるとこのようになると思います。
【函館本線(長万部・函館間 ※砂原経由)のおすすめの車窓】
① 内浦湾(噴火湾) (黒岩・森間: 進行方向左側)
② 廃駅多発ゾーン1 (旧本石倉・旧石谷・旧桂川) (石倉・森間 ※鉄道ファン向け)
③ 廃駅多発ゾーン2 (旧銚子口・旧流山温泉・旧池田園) (鹿部・大沼間 ※鉄道ファン向け)
④ 小沼 (大沼・仁山間: 進行方向右側)
⑤ 函館平野を見下ろす車窓 (仁山・新函館北斗間: 進行方向左側)
⑥ 函館貨物駅 (五稜郭駅付近: 進行方向右側 ※鉄道ファン向け)
⑦ 函館運輸所の車両基地 (函館駅付近: 進行方向右側 ※鉄道ファン向け)
上記①の内浦湾についてはこの区間のメインディッシュ的存在。黒岩駅を出発すると森駅付近まで断続的に見ることができます(遠目に渡島砂原駅付近でも見られる)。内浦湾は北側が室蘭、南側は森に及ぶ湾で、室蘭から森までの湾口は約30kmに対し、湾の海岸線は”C”の字のような形をしているため、海岸線に沿って走るとその距離は約150kmに及びます。室蘭本線・函館本線、そしてそれに並走する国道5号線はそれぞれ、内浦湾の海岸線に沿って走っているため、札幌・函館間の所要時間が延びる点でネックになっている存在でもあります。一方で、豊富な魚介類が獲れるのも事実で、過去の産物を含め、それが長万部の「かにめし」や森の「いかめし」(原料のスルメイカはかつての内浦湾の産物)などの旅のお供となるグルメにつながっているのも確かです。そして、現に美しい景色を見せてくれているので、大いなる旅の盛り上げ役の役割を担ってくれています。
そして、上記②③のように残念ながら利用者僅少による廃駅が目立つのもこの区間の特徴。石倉駅を出発すると次は森駅ですが、この間に本石倉・石谷・桂川という3つの駅が連続して存在していましたが、廃駅となってしまいました。いずれも車窓から見る限りは設備もほぼ撤去されているようでしたが、石谷駅跡に限っては線路が3線になるので跡地の場所がわかりやすく、いまでは信号場として活用されています。そして、このしばらく先にある鹿部駅。鹿部の次は大沼ですが、ここにも廃駅があり、銚子口・流山温泉・池田園の3駅です。いずれも、近年まで営業していましたがあえなく廃止となりました。特に流山温泉駅に関しては営業当時、JR北海道の中で一番新しい駅でしたが、その新しい駅が廃止になるという何とも皮肉な結果となりました。また、銚子口駅は現在信号場となっており、ポイントを通過するときの横揺れで駅跡を識別できると思います。車窓から見る限り、ホーム跡や待合所の建物があり駅があったことが確認できます。
上記④の小沼。大沼を出発すると、車窓右手にすぐ見えてきます。この周辺は大沼国定公園の指定地であり、周辺にある駒ケ岳の火山活動により生じた湖沼が多数あります。小沼はそのうちの一つです。まるで列車の窓枠が額縁、車窓が絵なのではないかと錯覚させられるような風景です。
上記⑤については仁山駅を出発するとまもなく車窓左手に広がります。大沼駅から新函館北斗を経由するルートは函館平野へ向かって山を下りる急勾配の区間となっており、林の景色が開けるとそこに、函館市の郊外を見下ろす景色がバッと広がり、見応えがあります。
上記⑥⑦は鉄道好きにおすすめのスポット。函館はご存知のように本州が近く、かつては青函連絡船が発着する地であったことが由来しているのか、いずれも施設の大きさは目を見張るほどのものです。筆者が函館駅付近を通りがかった際は様々なラッピングのキハ40系が固まって止まっており、非常に見応えがありました。
ところで、先述のように長万部駅出発時点では貸切状態だったところですが、その状態が約35分も続き、途中の八雲駅で3名が乗車することで解消しました。と思いきや、この3名が全員落部駅で下車。その間、ほかの乗車はなかったので、また貸切状態に。しかし、森駅でようやくほかの方の乗車もあり解消し、その後は少しずつ乗客が増え、函館駅に到着する際はすべてのボックスに誰かしらがいる状態となりました。
また、函館本線の最大の特徴といえば、”8″の字のルート。森駅で2つにルートが分岐し、大沼駅で合流。そして、大沼駅で再び2つにルートが分岐し、七飯駅で再度合流するやや珍しいルートの取り方をしています。森・大沼間の2つのルートは先述の駒ケ岳を取り囲む形でルートが分かれており、駒ヶ岳駅を経由するルート(以下、「本線」と呼びます)と海沿いにある渡島砂原駅を経由するルートがあります(以下、「砂原支線」と呼びます)。当初は本線が先に建設されていましたが、急勾配だったため、その勾配を緩和するために砂原支線が作られた運びとなります。現在は特急列車はすべて本線を経由、貨物列車のうち上り列車(函館方面行き)のみが砂原支線を経由します。切符のルール上はどちらを経由しても問題なく、本線経由であれば特急列車を使うことで長万部の出発を約1時間40分も遅らせることができたのですが(しかも途中の大沼で乗車する普通列車を追い抜く。。。)、砂原支線の方が距離が長いため、「最長片道切符の旅」という本企画のテーマ上、あえて砂原支線を経由する早朝の普通列車を選んだ次第です。ただでさえ、普通列車の本数が少ない中、経由が二手に分かれるので、砂原支線を通る計画を立てるには割と大きな苦労がかかりました。そして、大沼・七飯間のもう一つの分岐については新函館北斗を経由するルート(以下、「本線」と呼びます)と藤城支線に分かれます。もともと本線が先に建設されましたが、函館平野から山を上る急勾配のルートを避けるために緩勾配の藤城支線が作られました。特急列車は新函館北斗停車のため、全便が本線を経由、貨物列車の下り(長万部方面)と一部の下り普通列車が藤城支線を通ります。今回は新函館北斗駅を経由する最長片道切符を持っているため、この分岐では本線を経由しています(今回の場合は函館まで乗り通すので実際はどちらを通っても構わないような気がしますが、細かい規則はちょっとわかりません)。
【10:14-12:11】 明治時代の面影残る函館を散策
それでは函館で下車。乗越分の精算を済ませ、函館の街へ繰り出します。やはり2連休ではありますが、休日ということもあり、駅はかなり混んでいます。そんな混んでいる駅から脱出すべく、函館駅前電停から市電に乗車します。函館には何度か来ていますが、市電の車内アナウンス前に流れるメロディーが函館に来たことを実感させます。乗車すること10分弱で末広町電停で下車。
まず目指すのが、「旧函館区公会堂」です。ここまでたどり着く道のりだけでも、ごろごろと洋風建築があります。函館市電の十字街・末広町電停付近は「函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区」と呼ばれ、古いものでは開国が行われた明治時代の建物や街並みが残されていることで有名です。また、坂道が多く、坂道を登ってから振り返って見下ろすときれいな港町の光景が広がります。
坂を上りきり、元町公園を通り、旧函館区公会堂へ到着します。青と黄色の外装が特徴で、明治時代に竣工された建物のようです。日本の建物では珍しい配色ですが、茶色や白色の伝統的建築が多い日本の中では確かに「ハイカラ」という言葉が似合います。この建物は集会場や商業会議所の事務所として建てられ、後の大正天皇となる皇太子の行啓の際に宿泊・食事・休憩場所としても使われたこともあるようです。その関係で、急遽新設された設備もあるんだとか。恐らく、いまでいう文化センターや迎賓館を足して割ったようなところでしょうか。
内装はやはり装飾が豊かです。筆者は庶民なので、あまりけばけばしい装飾は苦手ですが、思ったほどの華美さはなく、さりげない意匠を多用している印象があります。このくらいであれば泊まってみてもいいかもと思いました(何様のつもりか)。
少し時間がタイトなので、20分程度で公会堂で後にすることに。入館料は300円で、ゆっくり見ても30分くらいで滞在できます。ちなみに明治時代の雰囲気が出るドレスや袴などの貸出を行っており、家族連れの娘さんや女子旅として訪れる観光客がその衣装を着て記念撮影をしている様子がありました。もちろん男性向けの衣装もありますが、服飾にこだわりのない自分には一生縁がなさそうです。
次に向かうのは夜景で有名な「函館山」。活動いまは昼の時間帯ですが、昼景も見る価値があるといわれています。かつては津軽要塞が山頂に位置し、一般人が立ち入ることもできれば山の写真撮影や写生なども禁じられるほどだったのだとか。函館山にはロープウェイがあり、山頂まで登ることができます。運転間隔は基本的に15分間隔。ロープウェイの出発時刻が迫っており、一旦中間地点にある名所は無視して、ロープウェイ乗り場へ急ぎ足で向かいます。何とか出発時刻に間に合いそうと乗り場の建物に入りますが、残念ながら強風のため一時的に運転が見合わせになっているようでした。また、登山道も閉鎖されているようで、頂上に行く方法はありませんでした。残念ながら待つ時間はないので、あきらめることに。
ということで、先ほどスルーした観光名所を見ることに。その一つが「八幡坂」(はちまんざか)。地面が石畳、洋風の伝統建築、見下ろすところには海が広がります。その絵的な風景はCMやポスターにも使われるほどです。残念ながら、人が多すぎてあまり良い写真が取れませんでした。ぜひ、平日をねらって行ってみたいところですね。
次に八幡坂を下り、定番の「金森赤レンガ倉庫」へ。中は人が多そうなので、外観だけ眺めることに。現在は商業施設やイベントスペースとして使われていますが、1887年に倉庫として建設されたのが起源です。倉庫を建築したのは金森洋物店を運営していた渡邉熊四郎。商品を輸入する関係で、倉庫業の必要性を感じ、土地と既存の倉庫を買い取り運営。その後も、預り品が増え、倉庫を増築しました。金森赤レンガ倉庫の「金森」とは先述の金森洋物店に由来します。1907年の大火で一度焼けるも、1909年に再建。昭和後期には倉庫業の勢いが衰えますが、その外観のよさから現在のような観光地に生まれ変わっています。歴史ある赤レンガの倉庫が整然と何棟も並ぶ姿は美しいです。ベタofベタな観光地ですが、やはり見る価値があるように思います。やはり人気な観光地なので、ここも平日の人が少ないときに訪れるとよいと思います。
それでは色々歩き回ったので休憩がてら昼食にします。函館といえば、やはり函館名物のハンバーガー店、「ラッキーピエロ」。というところですが、どこも混んでいるので、その次に有名かと思われる「ハセガワストア」へ。やきとり弁当が有名で、作り立てのやきとりを提供してくれます。
今回は金森赤レンガ倉庫近くのハセガワストアへ行きましたが、なんとラッキーピエロの隣に立地します。お店の建物に巨大なやきとり弁当が掲げられており、インパクト絶大です。お隣のラッキーピエロも派手な看板を掲げており、函館名物同士でお互いにしのぎを削っているのでしょうか。「ハセガワストア」は有名な北海道のコンビニチェーン、セイコーマートの系列店です。そのためか、店内はコンビニを基調としていますが、やきとりを焼くための調理スペースが設けられているのが最大の特徴です。今回入ったお店は小さめのフードコートのような形になっており、イートインのスペースが広めにとられていました。
ハセガワストアの注文方法は少し独特で、店内の記入台で注文書に記入のうえ、レジでそれを提示してお会計を済ませるという方式。注文書に記入する際に味の種類(「たれ」「塩」など)を選ぶのをお忘れなく。ちなみに今回はイートインにしましたが、持ち帰りも可能です。会計を済ませると番号を書いた紙が渡され、出来上がった際にその番号が呼ばれるので、取りに行きます。
待つこと5分強で、やきとり弁当が出来上がりました。先ほどから「やきとり」と呼んではいるものの、ハセガワストアをはじめ、道南のやきとりは豚肉を使うのが特徴。地域性がよく表れていて興味深いです。本当はビールと一緒に食べたかったところですが、あいにくコロナの影響で、イートインスペースでの飲酒は禁止となっていました。それではやきとり弁当を頂いていきます。今回は最もスタンダードな「たれ」を選択。たれは醤油ベースの甘辛味。やきとりはねぎまで、小サイズのお弁当には3本入っています。焼き立てのやきとりは最高です。個人的には鶏肉のやきとりよりこちらのやきとりの方が好きです。やきとりの下にはのりとごはん。ごはんにも少しタレがついていて、そこにのりが良い仕事をしてくれ、ごはんが進みます。あっという間に完食です。小サイズの場合はお値段500円(持ち帰り価格)のワイコイン。この価格でここまで満足できるとは函館市民がうらやましくなります。
退店し、もう少し散策を続けようと思っていたものの、まさかの雨。事前に天気予報を確認しておらず、傘はもってきていません。
というわけで、函館駅に戻ることにしました。その後は駅ナカのカフェで休憩し、次の行程へと備えます。
【13:07発/15:44着】 いよいよ北海道を制覇。北海道・東北新幹線で本州へ。
それでは函館を出発し、新函館北斗より最長片道切符のルートへ復帰し、次に向かうのが盛岡です。
まずは函館よりはこだてライナーで新函館北斗駅へ戻ります。3両編成の電車内は立ち客がでるほど混雑していました。途中の七飯で交換列車が遅れ、4分遅れで新函館北斗へ到着。10分接続が遅れで6分接続となったため、急いで乗換をします。いまに始まったことではないですが、最長片道切符は経路が複雑な切符で、出札補充券と呼ばれる裏が白いきっぷを用いるため、自動改札機は使えません。毎回有人改札で駅員さんに説明して確認をしてもらってというプロセスが生じるので通常よりも改札通過に時間がかかります。特にルートから外れるときなど通常の切符を組み合わせるとなおさらです。そのため、時間に余裕がないといつも以上にそわそわするものです。
それでも、何とか時間に間に合い新幹線に乗車。なんだかんだで道内ではほとんど普通列車に乗っていたので、新幹線に乗るとその速さに感動を覚えるものです。それでは木古内を通過し、北海道の地に別れを告げます。青函トンネルをでるとそこは本州の地。新青森駅で北海道新幹線から東北新幹線へ直通すると同時にJR北海道からJR東日本のエリアに入ります。この時点において最長片道切符の旅は距離ベースで約15%が終わったことになります。北海道だけでこれだけの日数(7日間)がかかったので、その道のりの長さたるや。最長片道切符の恐ろしさと奥深さ、何より日本の広さと日本の鉄道網の充実ぶりを実感させられます。
北海道・東北新幹線の盛岡以北の最高速度は260km/h。これまでの移動のペースは何だったのかと思わせるほどのスピードで走り、盛岡に到着します。新函館北斗から約2時間です。
冒頭の通り、一旦ここで最長片道切符の旅は中断とし、都内の自宅で用事を済ませるため、そのまま東京方面へと戻りました。そのため、実際のところではここで一旦旅の区切りがつくことになります。
【16:39発/18:35着】 JR東日本屈指の赤字路線、花輪線で鹿角花輪へ
2023年4月2日(日)、無事、別件の用事が終わり、中断前の盛岡着の時刻に合わせて盛岡へ戻ってきたところからスタートです。
乗車するのはJR東日本区間の最初の在来線、花輪線です。通常、盛岡駅のJRの在来線は駅舎2Fの改札を通りますが、花輪線は駅舎1Fの隅の方に改札が設けられています。この改札口はIGRいわて銀河鉄道のものです。正確には花輪線の列車の盛岡・好摩間は第三セクターのいわて銀河鉄道線を経由します。この区間はもともとの東北本線の区間で、2002年の東北新幹線の盛岡以北延伸とともに、JRからIGRいわて銀河鉄道に経営移管された区間となります。そのため、駅名標などのデザインはIGRいわて銀河鉄道のものになっています。
そもそも、なぜJRでないいわて銀河鉄道線を最長片道切符のルートに組み込めたのでしょうか。これはJRの「通過連絡運輸」の制度が関係してきます。JRを含めたほとんどの鉄道会社の運賃体系としてはざっくりと初乗り運賃に移動する距離に応じた運賃が加算される仕組みです。例えば、「JR線-私鉄線-JR線」のようにJR線の間に私鉄線を挟むと通常、1回目のJR線はもちろん、2回目のJR線に乗車するときにも初乗り運賃が発生します。そのため、合計運賃は割高になります。一方で、通過連絡運輸は特定の鉄道会社、路線や区間において、先ほどのようなルート組みをしたとしても、2回目のJR線の初乗り運賃がかからず、前後のJR線を通しで乗車したものとして初乗り運賃1回分と前後のJR線の合計移動距離に応じた運賃が加算をされるというもの。そのため、少しお得に乗車ができるうえ、切符も私鉄区間を含め、通しで発行されるというものです(別途私鉄線の初乗り運賃と距離に応じた加算運賃は必要です)。いわて銀河鉄道線の盛岡・好摩間はJR線に挟まれることが発生しやすいのか、通過連絡運輸が設定されているため、制度的に最長片道切符のルートにこの路線を加えられたというカラクリになります。
あとは旅行者自身がどうするのかという意思にもよります。「最長」片道切符とはいえど、旅行者の考え方や流儀によってルートは変化します。今回でいえば、JR以外の路線をルートに組み込むか、ということについて旅行者自身が決めてルートが決定していくのです。私鉄の可否といった視点以外でも、ルート決めに影響する考え方や流儀の視点がいくつかあり、今回筆者が打ち出している最長ルートも、あくまでも複数通りがあるうちの一つに過ぎないということなのです。これに関しては突き詰めると1つの論文が完成しそうなレベルなので、今回はそこまで深堀りしないでおきます。
さて前置きが長くなりましたが、列車は盛岡を出発。この日は日曜の夕方ですが、盛岡出発時点ではボックス席はすべての箇所が誰かしらに陣取られた状態で、ロングシートの箇所も半分程度埋まっての出発です。IGRいわて銀河鉄道の区間はもともとのJR東日本の大幹線たる東北本線だったため、それなりに線形がよく、好摩まで快走していきます。途中の巣子までは東北新幹線と並走し、滝沢駅付近からは岩手県の象徴である岩手山が車窓左手に見えてきます。そして、好摩より先、JR花輪線の区間に入った後も、引き続き車窓左手に岩手山が断続的に車窓に映ってきます。
松尾八幡平駅を過ぎると、いままでの田園風景が山の様相に切り替わります。この時の車両はJR東日本おなじみのベテラン気動車、キハ110系。
ディーゼル音を唸らせながら急勾配へと挑んでいきます。サミット付近で、観光名所である安比高原駅へ到着。ここで数人の乗客が下車。安比高原のリゾートホテルがある場所までは距離があるので、ここで降車された乗客の方々はきっと送迎バスを利用されるものと思います。安比高原のホテルや民宿は割と広範囲にあるようで、次の赤坂田駅の直前まで観光地らしい風景が見られます。
列車は荒屋新町駅へ。荒屋新町発着となる列車が一部あり、この先の区間は閑散とします。実際、JR東日本の路線ごとの収支によると、花輪線の荒屋新町・鹿角花輪間の営業係数は10,196(2019年度;100円の収入を得るためのコストのこと)。ボランティア事業と錯覚するくらいの値です。
兄畑・湯瀬温泉駅間で県境を越え、岩手県から秋田県へと入ります。この時、国道と並行しており、県境の看板が左手に見えるので、越境したことが実感できます。しばらく走ると市街地へ入り、終点の鹿角花輪駅へ到着します。
花輪線はこの先、大館までを結びますが、2022年の大雨に伴う線路被害の影響で、長期間にわたりバス代行が続いています(2023年5月14日に全線運転再開しています)。そのため、鉄道としては鹿角花輪駅が暫定の終点となっています。本日はここで一泊し、明日は代行バスで大館まで移動していきます。
尚、普段であればここで夕食の紹介をしていますが、あろうことか、候補としていたお店がすべて休みなどで利用できず、ローソンで済ませてしまったため、本日はここで終えたいと思います。
以上、本日もお疲れ様でした。
【YouTube: 最長片道切符の旅7日目】